こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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平安女性に興味を持ってみると、 『新しい』歴史がみえてきます。

権力を発揮していた平安の女性達。性差を越えた、歴史の見方とは

埼玉学園大学人間学部教授

服藤 早苗 氏

ふくとう さなえ

服藤 早苗

1947年愛媛県生れ。71年横浜国立大学教育学部卒業後、小学校教諭を経て、77年東京教育大学文学部卒業、80年お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了、86年東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。文学博士。2001年より、埼玉学園大学人間学部教授、09年4月より同学部長。平安時代を中心とした家族史と女性史をメインに研究をしている。著書・編著に『女と子どもの王朝史―後宮・儀礼・縁』(森話社)、『平安王朝社会のジェンダー― 家・王権・性愛』(校倉書房)、『歴史のなかの皇女たち』(小学館)など多数。91年『家成立史の研究』『平安朝の母と子』で、第六回女性史青山なを賞(東京女子大学女性学研究所)受賞。

2009年4月号掲載



服藤 そのお話をするには、少し歴史を遡る必要があります。奈良時代に中国から律令が入り、日本はそれをお手本に法律を作りました。中国の律令では皇帝は男性しか認めていないのですが、日本では「女性の天皇の子どもも同じ」という一文をわざわざ追加し、女帝も認めたのです。

──それは知りませんでした。そうした意味では日本はずいぶんとひらけていたのですね。


服藤 そうなんです。古代の日本は性別にとらわれていなかった、ということが定説化されつつあります。しかし、平安時代からは女性が政治の場に出ることができなくなりました。


とはいえ、女性の力が衰えたわけではありません。平安時代は摂関政治の全盛期ですよね。天皇の母親である「国母」は、政治の表舞台に出られなくなった代わりに、父や兄弟を摂関として代行させていたのです。

──つまり、平安時代の女性は表舞台にこそ登場しないものの、裏でかなりの権力を持って国をコントロールしていたわけですね。


服藤 賢女として有名な藤原道長の娘・彰子は、4人もの天皇を補佐するなど、国母としての権限を遺憾なく発揮していました。


鎌倉時代に登場する北条政子も、夫である源頼朝が亡くなった後に擁立された若い将軍の後見となって活躍しました。母親が強いという歴史の流れは、その後も続いていたわけです。

──なるほど。しかし、なぜ女性が政治の表舞台に出られなくなったのでしょう。


近著紹介
『平安朝 女の生き方 輝いた女性たち』(小学館)
近況報告

服藤早苗先生が、『平安朝の父と子』を上梓されました。『平安朝の母と子』『平安朝の女と男』に続く三部作の完結篇で、「御堂関日記」や「小右記」など貴族の日記や説話から、平安時代における父と子供の関わりを考察されています。

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