こだわりアカデミー
人間の欲望や願望をかたちにして発達してきた道具。 その背景を知ることで、モノをより大事にできると 思うんです。
道具学から見た日本文化
道具学研究家 GK道具学研究所所長
山口 昌伴 氏
やまぐち まさとも
やまぐち まさとも 1937年生れ、大阪府出身。63年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。10年間建築設計監理に従事の後、研究の道に入り、現在GK道具学研 究所所長。FORUM DOUGUOLOGY道具学会事務局担当理事、国立民族学博物館研究協力員。専門は生活学・住居学・道具学。台所の研究から道具全般のルーツや歴史・デザインなど、生活スタイルや住まい方まで幅広く研究。道具に出逢うため世界を旅する。著書『台所空間学』で日本生活学会今和次郎賞、日本産業技術史学会賞受賞。他にも『和風探索』(筑摩書房)、『和風の住まい術』(建築資料研究社)、『地球・道具・考』(住まいの図書館出版局)、『図面を引かない住まいの設計術』(王国社)、『日本人の住まい方を愛しなさい』(同)など、多数。
2005年3月号掲載
形見として残せる道具はもはや存在していない?
──先生がこういったご研究を通じてお感じになっていることは?
山口 いろいろあります。まず、現在、多種多様な道具がありますが、実はそんなにいらないのではないかということです。
キッチンだけでなく収納庫の中にも随分と不要なモノが多いと思うんです。屋根裏の収納スペースなんかには要らないものを二度と出てこないように幽閉しているみたいですしね(笑)。道具が沢山あっても、日本人は本来それに慣れていないから整理ができない。西洋のように道具を用途に合わせていちいち変えて選ぶシステムが身に付いていないんでしょうね。
──確かにそうかもしれませんね。
道具学会会報誌『季刊道具学』では、失われた道具について山口氏が執筆。例えば「竹の皮」なら、そのおもて、うらのデザインや使い方から「竹自身にとって竹の皮とは何なのか」まで言及されている |
山口 また、かつての日本では道具は体の一部として愛着を持って使用されてきましたが、現在ではそういった意識が希薄ではないでしょうか。
その分かりやすい例として、今、親から子に伝える『形見』というものがない。昔は手鏡とかがそうでしたが、現代では『モノ』の魅力が失われている。時計なんかは電池の交換代より安い値段で買えますから。
──モノを大事にしにくい環境があるのかもしれませんね。それではモノが消費材でなく、本来の道具として扱われるにはどうしたらよいのでしょうか?
山口 人でもモノでもそうですが、深く知ることで接しかたが変わってくると思います。その道具がどういう背景のもと発生してきたのか、どんな使われ方をしてきたのかなど、知れば知るほど大事にしたくなってくるのではないでしょうか。
現在、私が理事を務めている『道具学会』の会報誌でも、『消えた道具−そして失ったもの』と題して、現在の日常生活で使われなくなった道具達について執筆しています。なぜ消えていったのか、それによって失われた文化は何かなど、道具にまつわる物語を編んでいます。
飯櫃、リヤカー、縁台、肖像写真、火吹竹、箱膳、洗濯板、蛇の目傘、七輪…、日常生活では使われなくなったもの、現在も使われているもの、それら道具について正しく知ることで、読者の道具を見る目が変わってくれるといいなとも思っています。また、愛着を持てる、可愛がれる『自分の道具』ができれば、道具観も異なってくるでしょう。
そのうち、これら道具にまつわる物語を集めて、沢山の本に、と思っています。また、より多くの方に読んでいただき、改めて身の周りの道具を、ひいては生活を大事にしていってもらえればと思っています。
──それは楽しみですね。本の出来上がりをとても期待しています。
本日は先生やご著書に接したことで、今一度道具について一考するよい機会になりました。
どうもありがとうございました。
『和風探索』(筑摩書房) |
岩波書店から新書『水の道具誌』を上梓したほか、道具学会からは『道具学への招待』(ラトルズ)を出版。また『首から上の道具学 身につける道具の100年 1』(道具学叢書2、発行:ラトルズ)を上梓されました。ご著書では、首から上の、頭、耳、目、鼻、口にちなんだ道具(かつら、ひげ、楊枝、義歯等々)を取り上げ、モノを通じて見える人間社会の変化について明らかにしています。 山口 昌伴先生は、2013年8月17日に永眠されました。生前のご厚意に感謝するとともに、慎んでご冥福をお祈り申し上げます(編集部)。
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