こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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人間の欲望や願望をかたちにして発達してきた道具。 その背景を知ることで、モノをより大事にできると 思うんです。

道具学から見た日本文化

道具学研究家 GK道具学研究所所長

山口 昌伴 氏

やまぐち まさとも

山口 昌伴

やまぐち まさとも 1937年生れ、大阪府出身。63年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。10年間建築設計監理に従事の後、研究の道に入り、現在GK道具学研 究所所長。FORUM DOUGUOLOGY道具学会事務局担当理事、国立民族学博物館研究協力員。専門は生活学・住居学・道具学。台所の研究から道具全般のルーツや歴史・デザインなど、生活スタイルや住まい方まで幅広く研究。道具に出逢うため世界を旅する。著書『台所空間学』で日本生活学会今和次郎賞、日本産業技術史学会賞受賞。他にも『和風探索』(筑摩書房)、『和風の住まい術』(建築資料研究社)、『地球・道具・考』(住まいの図書館出版局)、『図面を引かない住まいの設計術』(王国社)、『日本人の住まい方を愛しなさい』(同)など、多数。

2005年3月号掲載


住宅という容れ物の中で共存する人間と道具

──先生のご著書『和風探索−にっぽん道具考』をはじめ、身の回りの道具に関するルーツや背景等についての本をとても楽しく読ませていただきました。

先生は建築がご専門だと伺っておりますが、このように道具、特に台所道具にご興味を持たれたきっかけは?

山口 住宅の設計をやっていた際に、真剣に「住まい」とは何なのか、考えたことがきっかけです。

例えば「風呂」や「玄関」にしても、それが「何であるか」「本来どういう場所であるか」ということを分かっていないといけないわけです。そこで特に興味を持ったのが台所でした。

現代の台所は西洋に憧れた大正モダニズムが流れの根底としてあるようで、どうも長年の間に培われてきた日本の生活実態とはかけ離れている。これは、台所に限らず、玄関、風呂など住まいのさまざまな部分に共通して言えます。

また、家の中の生活というのは、そもそも道具の間を行ったり来たりしているのです。それなのに道具のことがまったく考慮されていない設計が多い。プランニングする上で住まいの中身を考えていないのではないか、自らも設計者としてそういう疑問を感じ、道具から住まいへアプローチしてみたわけです。

それをきっかけに道具のことをあれこれ調べるようになったのですが、やってみるととても奥が深く、興味をもってしまったんです。


『キッチン』と『台所』はそもそも別のもの

──なるほど。ところで、ご著書を拝見したところ、台所道具はここ100年でとても変わったようですね。

山口 その通りです。明治時代に入り、政府が近代化、西洋化を進める中で急速に変わってきました。

──そもそもそれまでの日本と西洋の台所用具には大分違いがあったんですか?

山口 はい。西洋の文化は基本的に寒い国の文化です。冬季とそれ以外の期間で構成される二季という気候に基づいています。一方、日本には四季があり、食材も豊富です。そのように風土が違うのに『キッチン』という様式や道具だけ真似たり、奇妙な舶来主義になっている。

──日本のキッチンは物真似ですか?

山口 そもそも『キッチン』という言葉の原形は『火処』なんです。近代ヨーロッパで誕生した『キッチン』は、冬を前提としています。ほとんどの調理を包まれた火の中、オーブンや鍋で行なうんですね。

一方、日本では豊富な食材を調理するには台の上で広げて作業をする必要がある。だから『台所』なんです。そのあたりが基本的に違うでしょう?

もう一つ、とりわけ道具に関していうと、西洋の台所道具は種類が多く、単目的のものが多い。一つの目的に合わせて一つのバリエーションをつくるんですよね。「切る」「つぶす」「たたく」「こねる」「取り分ける」いちいち対応する道具があるんです。

道具学会編の百鬼夜行絵巻。カツラ、先割スプーン、CD、割り箸・ストロー、たわしなど、「短い間」だったが家人に仕えてきたにもかかわらず打ち捨てられた道具たちが、節分の夜に妖怪と化す…。行き着く先はゴミ収集車。画像下は妖怪の説明。<道具学会発行『季刊道具学』第7号より 制作:道具学会編集委員・近藤豊氏>
道具学会編の百鬼夜行絵巻。カツラ、先割スプーン、CD、割り箸・ストロー、たわしなど、「短い間」だったが家人に仕えてきたにもかかわらず打ち捨てられた道具たちが、節分の夜に妖怪と化す…。行き着く先はゴミ収集車。画像下は妖怪の説明。<道具学会発行『季刊道具学』第7号より 制作:道具学会編集委員・近藤豊氏>

※『道具学会編の百鬼夜行絵巻』詳しくはこちら

 


かつて日本人は体の中に道具が入っていた

──西洋と比較すると日本のものは万能型が多いということですね。

山口 そうなんです。日本では一つの道具をいろんな風に使い回し、多目的に利用してきました。

既に亡くなられましたが『京のおばんざい』で有名な大村しげさんのお宅の台所は実に狭く、道具も少ないんですね。あのありとあらゆるおばんざいが生まれてくる空間は3尺の通り間の脇にある一間半の流し台という小空間。日本の家屋というのは江戸時代の長屋などからわかるとおり、限られた狭い空間を実に有効に使っていたんです。また、道具もそう沢山置いておけない。

山口氏愛用の道具「拡大レンズ」。古道具屋で見つけたルーペの枠を取り外したら、より携帯性が高まったとのこと。「人間だけでなく、身の回りのものへの愛着はそれを深く理解することから始まる」のだそう
山口氏愛用の道具「拡大レンズ」。古道具屋で見つけたルーペの枠を取り外したら、より携帯性が高まったとのこと。「人間だけでなく、身の回りのものへの愛着はそれを深く理解することから始まる」のだそう

大村しげさんの道具はというと、厳選されたものがほんの少しあるだけなんです。すり鉢の擂り粉木なんかは先の方をみるとレンズのように均等な球面がつくられている、実に使い込まれたものでした。また割れ物の代表とされる『ほうろく』は、銀杏などを煎る際に使うのですが、それを永年使い込んでいるんです。それらはもはや、道具が体の一部として使われているから、体と同じで、壊れる程ぶつけない、そういう証拠品になってるんですよね。

道具は体の一部と言いましたが、特に日本では道具は使い手の使い方によって働きが違う。使い手の技術によって、道具はいかようにも生かすことができる、というわけです。言い換えれば、体内に道具を持っているとも言えますね。

しかし現代の日本では高度成長による家庭電化などと相まって、道具が多様化されているのが現実。今ではいかようにも道具を扱える使い手はほとんどいないのではないでしょうか。

また、日本の風土を無視して、ただの憧れから導入されたキッチンや台所道具。もともとは北国のスタイルを取り入れているわけですから、当初は日本の食生活には似つかわしくなかった。しかし、現代では加工済から調理済までの食材が流通して、下ごしらえがいらなくなった。要は食事情が北国流になってきたわけです。そうすると西欧亜流と許したキッチンと妙につじつまが合ってきてしまったともいえます(笑)。


形見として残せる道具はもはや存在していない?

──先生がこういったご研究を通じてお感じになっていることは?

山口 いろいろあります。まず、現在、多種多様な道具がありますが、実はそんなにいらないのではないかということです。

キッチンだけでなく収納庫の中にも随分と不要なモノが多いと思うんです。屋根裏の収納スペースなんかには要らないものを二度と出てこないように幽閉しているみたいですしね(笑)。道具が沢山あっても、日本人は本来それに慣れていないから整理ができない。西洋のように道具を用途に合わせていちいち変えて選ぶシステムが身に付いていないんでしょうね。

──確かにそうかもしれませんね。

道具学会会報誌『季刊道具学』では、失われた道具について山口氏が執筆。例えば「竹の皮」なら、そのおもて、うらのデザインや使い方から「竹自身にとって竹の皮とは何なのか」まで言及されている
道具学会会報誌『季刊道具学』では、失われた道具について山口氏が執筆。例えば「竹の皮」なら、そのおもて、うらのデザインや使い方から「竹自身にとって竹の皮とは何なのか」まで言及されている

山口 また、かつての日本では道具は体の一部として愛着を持って使用されてきましたが、現在ではそういった意識が希薄ではないでしょうか。

その分かりやすい例として、今、親から子に伝える『形見』というものがない。昔は手鏡とかがそうでしたが、現代では『モノ』の魅力が失われている。時計なんかは電池の交換代より安い値段で買えますから。

──モノを大事にしにくい環境があるのかもしれませんね。それではモノが消費材でなく、本来の道具として扱われるにはどうしたらよいのでしょうか?

山口 人でもモノでもそうですが、深く知ることで接しかたが変わってくると思います。その道具がどういう背景のもと発生してきたのか、どんな使われ方をしてきたのかなど、知れば知るほど大事にしたくなってくるのではないでしょうか。

現在、私が理事を務めている『道具学会』の会報誌でも、『消えた道具−そして失ったもの』と題して、現在の日常生活で使われなくなった道具達について執筆しています。なぜ消えていったのか、それによって失われた文化は何かなど、道具にまつわる物語を編んでいます。

飯櫃、リヤカー、縁台、肖像写真、火吹竹、箱膳、洗濯板、蛇の目傘、七輪…、日常生活では使われなくなったもの、現在も使われているもの、それら道具について正しく知ることで、読者の道具を見る目が変わってくれるといいなとも思っています。また、愛着を持てる、可愛がれる『自分の道具』ができれば、道具観も異なってくるでしょう。

そのうち、これら道具にまつわる物語を集めて、沢山の本に、と思っています。また、より多くの方に読んでいただき、改めて身の周りの道具を、ひいては生活を大事にしていってもらえればと思っています。

──それは楽しみですね。本の出来上がりをとても期待しています。

本日は先生やご著書に接したことで、今一度道具について一考するよい機会になりました。

どうもありがとうございました。


近著紹介
『和風探索』(筑摩書房)
近況報告

岩波書店から新書『水の道具誌』を上梓したほか、道具学会からは『道具学への招待』(ラトルズ)を出版。また『首から上の道具学 身につける道具の100年 1』(道具学叢書2、発行:ラトルズ)を上梓されました。ご著書では、首から上の、頭、耳、目、鼻、口にちなんだ道具(かつら、ひげ、楊枝、義歯等々)を取り上げ、モノを通じて見える人間社会の変化について明らかにしています。                                                                                                    山口 昌伴先生は、2013年8月17日に永眠されました。生前のご厚意に感謝するとともに、慎んでご冥福をお祈り申し上げます(編集部)。


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