こだわりアカデミー
「味」の次は「高級魚」。人間の欲求のおかげで 研究テーマは次々に生れます。
日本の養殖技術
北里大学水産学部助教授
鈴木 敬二 氏
すずき けいじ
1938年、東京生れ。東京大学水産学科卒業。農学博士。約30年間にわたってアユの研究を続けており、今や「アユ博士」とも言われる水産増殖学の第一人者。85年には、20年以上も前に絶滅した台湾のアユを復活させている。大学の研究室は岩手県の三陸町にあるが、講演や研究などで国内、海外を飛び回る多忙な毎日を送っている。
1994年1月号掲載
2,500年前の中国に養殖のノウハウ本があった
──先生は魚のご研究の中でも「増殖」がご専門と伺っております。一般に言う「養殖」とはどう違うんですか。
鈴木 「増殖」とは人の手を加えて飼育すること全般を言います。細かく言うと、増殖にも、卵から稚魚、そして成魚になるまで全課程を管理し育てるやり方と、稚魚まで育てた後、一旦海や川に放流し自然の中で育て、そして成長して帰ってきたものを人間の手で獲るやり方があり、前者を「養殖」、後者を「栽培漁業」と呼びます。
──私たちは、飼育することすべてを「養殖」と言っていますが、本当は「増殖」が正しいのですね。例えば、身近なところではどんな魚が増殖されていますか。
鈴木 日本で一番多いのはハマチで、スーパーや料理屋にあるものはたいてい養殖です。タイやホタテ等もほとんどそうですね。淡水魚ではニジマスやアユがありますがウナギが代表的で、99%は養殖です。一方、栽培漁業の代表選手はサケです。卵から3か月くらい人間の手で育て、その後放流して自然の中で育ててもらう。そして最後に、生れ故郷の川に帰ってきたところで捕まえるわけです。
──馴染のある魚はかなり増殖が多いんですね。養殖の起源はいつ頃ですか。
鈴木 「魚を飼う」という意味では、例えば平安時代からすでに観賞魚として池でコイを飼うということが行われていました。源を辿りますと、古くは中国の春秋時代末期に范蠡(はんれい)という人が著したとされる「范蠡養魚経(ようぎょきょう)」という書物に、コイの飼い方、殖やし方が書かれています。今から約2,500年前にすでに養殖という考え方があったということです。内容は、今の人が読めば非常に基本的なことなんですが、その中には現在の増殖技術のポイントになることが全部入っているんです。また、この范蠡自身も、水蓄すなわち養殖によって巨大な財を築き、天下に名を馳せたと言われています。
──それが、後世日本にも伝わったというわけですね。サケの増殖も古くから?
帰って来たサケは捕獲され オスとメスに分けて孵化場に運ばれる。 (三陸町で) |
鈴木 少なくとも江戸時代にはすでに、新潟の村上藩が熱心に取り組んでいたようです。川を大事に管理してサケの稚魚を守り、放流してはサケが帰って来るのを待っていた。ただ、放した稚魚が成長して同じ川に戻ってくるということは理解していたかどうか分かりません。たくさん放流すれば、たくさん帰って来るという経験則みたいなものだったと思います。本の川に帰って来るものと証明されたのは昭和になってからですから。
中国大連水産学院客員教授として、中国東北部でトラフグの養殖指導を行なっている。
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