こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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「味」の次は「高級魚」。人間の欲求のおかげで 研究テーマは次々に生れます。

日本の養殖技術

北里大学水産学部助教授

鈴木 敬二 氏

すずき けいじ

鈴木 敬二

1938年、東京生れ。東京大学水産学科卒業。農学博士。約30年間にわたってアユの研究を続けており、今や「アユ博士」とも言われる水産増殖学の第一人者。85年には、20年以上も前に絶滅した台湾のアユを復活させている。大学の研究室は岩手県の三陸町にあるが、講演や研究などで国内、海外を飛び回る多忙な毎日を送っている。

1994年1月号掲載


2,500年前の中国に養殖のノウハウ本があった

──先生は魚のご研究の中でも「増殖」がご専門と伺っております。一般に言う「養殖」とはどう違うんですか。

鈴木 「増殖」とは人の手を加えて飼育すること全般を言います。細かく言うと、増殖にも、卵から稚魚、そして成魚になるまで全課程を管理し育てるやり方と、稚魚まで育てた後、一旦海や川に放流し自然の中で育て、そして成長して帰ってきたものを人間の手で獲るやり方があり、前者を「養殖」、後者を「栽培漁業」と呼びます。

──私たちは、飼育することすべてを「養殖」と言っていますが、本当は「増殖」が正しいのですね。例えば、身近なところではどんな魚が増殖されていますか。

鈴木 日本で一番多いのはハマチで、スーパーや料理屋にあるものはたいてい養殖です。タイやホタテ等もほとんどそうですね。淡水魚ではニジマスやアユがありますがウナギが代表的で、99%は養殖です。一方、栽培漁業の代表選手はサケです。卵から3か月くらい人間の手で育て、その後放流して自然の中で育ててもらう。そして最後に、生れ故郷の川に帰ってきたところで捕まえるわけです。

──馴染のある魚はかなり増殖が多いんですね。養殖の起源はいつ頃ですか。

鈴木 「魚を飼う」という意味では、例えば平安時代からすでに観賞魚として池でコイを飼うということが行われていました。源を辿りますと、古くは中国の春秋時代末期に范蠡(はんれい)という人が著したとされる「范蠡養魚経(ようぎょきょう)」という書物に、コイの飼い方、殖やし方が書かれています。今から約2,500年前にすでに養殖という考え方があったということです。内容は、今の人が読めば非常に基本的なことなんですが、その中には現在の増殖技術のポイントになることが全部入っているんです。また、この范蠡自身も、水蓄すなわち養殖によって巨大な財を築き、天下に名を馳せたと言われています。

──それが、後世日本にも伝わったというわけですね。サケの増殖も古くから?

帰って来たサケは捕獲され、オスとメスに分けて孵化場に運ばれる。(三陸町で) 帰って来たサケは捕獲され
オスとメスに分けて孵化場に運ばれる。
(三陸町で)

鈴木 少なくとも江戸時代にはすでに、新潟の村上藩が熱心に取り組んでいたようです。川を大事に管理してサケの稚魚を守り、放流してはサケが帰って来るのを待っていた。ただ、放した稚魚が成長して同じ川に戻ってくるということは理解していたかどうか分かりません。たくさん放流すれば、たくさん帰って来るという経験則みたいなものだったと思います。本の川に帰って来るものと証明されたのは昭和になってからですから。


中国の高級魚「ハタ」の養殖が今の研究テーマ

──ところで、これだけわれわれの食生活に増殖魚が増えてきて、味も、一時は養殖ハマチは臭いとか言われて不人気になったこともありましたが、今ではかなりおいしくなっている。ウナギに至っては、養殖の方がおいしいとさえ言われるところまできています。では、その先の研究テーマは何ですか。

鈴木 確かに、味の点ではもうほとんど天然に近い良いものができるようになっており、種類によっては、完璧なくらいできあがったと言えるものもあります。増殖技術的にもあるところまでは到達しています。ところが、人間は欲張りですから、今度は、高い魚を安く食べたいと考えるようになる。例えば、昔は高級魚でわれわれの口にはなかなか入らなかったタイやヒラメが、養殖のおかげで、近年だいぶ安くなってきたように、なかなか手に入らないおいしい魚を増殖してくれというニーズが非常に強いんです。ですから、そういう研究が必要となります。しかも、日本にいる魚だけでなく、世界中のおいしい魚を増殖してみたいと考えています。

──具体的には、どんな魚を?

鈴木 現在取り組んでいるのは、ハタという魚です。日本では、ハタ、クエ、モロコと呼ばれ、体重30キロから50キロもある大きなものしか手に入らないんですが、中国では600グラム程度の、ちょうど頭から尻尾までがお皿に載るくらいの大きさのハタが高級魚とされ、中華料理では大変珍重されています。このハタの需要は、今、世界中で1億尾と言われていますが、天然ではなかなか追いつかないということで養殖を始めました。まず、稚魚を獲ってきて、海の中に網いけすといういけすをつくり、そこで養殖するわけです。今、その稚魚づくりがテーマで、私も台湾に行ってやっているんですが、なかなか難しい。台湾全体でやっと100万尾くらいがつくられている状況です。

──それではまだまだ追いつきませんね。

鈴木 ですから、今は、つくればいくらでも売れます。それができれば、また次の魚ということで、研究テーマはまだまだ尽きませんね。イセエビの稚エビづくりを研究している人もいますよ。


稚魚づくりのためのプランクトンの養殖も

──日本の増殖技術というのは、今、どのへんまで進んでいるんですか。

鈴木 淡水魚の増殖については、なんといっても中国が一生懸命ですし、ニジマスとかサケ、マス類については、ヨーロッパが伝統的に強い。それに対し日本では、まずクルマエビの養殖に成功し、その後エビ類の養殖が発達したんです。魚については、アユの稚魚づくりから始まりました。当初、手法を試行錯誤していた頃、たまたま「輪虫」というプランクトンがウナギの池で大量に繁殖して困っていたんです。それで実験的に輪虫をアユに与えてみたら、非常によく食べ、育った。これはいい餌が見つかったということになったんですが、次はこの輪虫をいかにして殖やすかが課題になった。この研究に取り組んで成功したのも日本で、今や世界中にその技術が伝わり、いろいろな魚の稚魚づくりに、輪虫が餌とされるようになったんです。

──輪虫の生産から始まり、それが成功したことで、魚の稚魚をつくる技術が確立したということですね。その意味では、トップレベルとみていいですね。

鈴木 稚魚づくりについてはそう言えます。また、海中で魚を養殖する時につくる網いけす−−つまり網囲いの中で魚を飼う技術−−も、日本でつくられたもので、これも今や世界に伝わっています。例えば、ノルウェーのフィヨルドでのサケの増殖にも使われているんです。

──そのサケを、われわれが輸入して食べている・・・(笑)。工学的な技術面でも今後の発展が楽しみですね。


精子の研究で分かってきたサケの回帰の謎

──ところで、増殖の中では、魚の卵の研究が大事なテーマだと思いますが、先生は最近、むしろ雄の精子の方を熱心にご研究されているとか・・・。

鈴木 これまでは、いかにしていい卵をとるかということで、雌の方の研究が主体だったんですが、最近はバイオテクノロジーの発達で、精子の保存技術も進み、精子についての研究が活発になってきました。

──何か分かってきましたか。

鈴木 ええ。精子というのは、その動物が何万年も前に誕生した頃からの原形を強く留めていますから、研究をしているとおもしろいことが分かります。例えば、なぜサケが生れた川に戻って来るのか、逆に、なぜウナギは海に行かなくてはいけないのか、という疑問は多くの人がお持ちだと思います。ご存じのように魚は体外受精ですから、精子は相手の卵まで行き着くには水中を泳いでいかなくてはならないわけです。そこでサケの精子を、淡水から海水まで塩の濃度の異なるいくつかの液の中に入れ、その動きを見てみますと、淡水の中ではよく動くんですが、海水の中では全然動かないんです。つまり、サケの精子は淡水でしか運動できない。なぜならサケはもともと淡水起源の魚だからです。ウナギはその逆で、淡水中では絶対動かないというわけです。

北里大学水産学部(岩手県三陸町)で増殖されているサケの稚魚。
北里大学水産学部(岩手県三陸町)
で増殖されているサケの稚魚。

──ということは、サケは海では受精行動ができないので、成長すると、自分の種族保存のために、淡水すなわち川に帰って来るということですか。

鈴木 そういうことです。起源が淡水であるか、海水であるか、その記憶が「精子の運動する場所」というところに残っているわけです。

──最近、和牛などでは、品質のいい牛の精子が保存され、高価で売買されたりしていると聞いたことがありますが、今後、魚等にもそういう傾向は出てくるんでしょうか。

鈴木 徐々にそういうふうになりつつあります。例えば、この精子を使えば子供は全部雄になるという精子をとっておいて、卵にかけてやれば、いつも雄ばかりができるようになります。すでにサケ、マス類ではその研究が進んでいます。実用化していけば、子持ちカレイとか、イクラ、カラスミ等、高価で珍重される「卵を持った雌」の増殖に活用されるようになるでしょうね。

──贅沢な気もしますけど、もっと安くおいしい魚が食べられるようになるのはうれしいですね。ますますご研究が発展されることを期待しています。ありがとうございました。


近況報告

中国大連水産学院客員教授として、中国東北部でトラフグの養殖指導を行なっている。


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