こだわりアカデミー
疫病の流行は、自然破壊など 人間の行き過ぎた行動に対する ウィルスからの警告だと思います。
次々に誕生する新たな感染症はウィルスからの反撃?!
独立行政法人労働者健康福祉機構海外勤務健康管理センター所長代理 医師・旅行医学研究者
濱田 篤郎 氏
はまだ あつお
はまだ あつお 1955年、東京都生れ。1981年、東京慈恵会医科大学卒業後、84年、米国に留学し、熱帯医学、旅行医学を修得する。帰国後、東京慈恵会医科大学の熱帯医学教室講師を経て、現職に。海外渡航者の診療にあたるとともに、SARSなど海外の感染症対策事業を運営している。非常勤講師として東京慈恵会医科大学、慶應義塾大学医学部などで寄生虫学や旅行医学の講座を担当。著書に『海外旅行健康必携(予防接種の項担当)』(協和企画)、『職場の感染症を防ぐ(海外赴任者の感染症対策の項担当)』(中央労働災害防止協会)、『旅と病の三千年史』(文春新書)、『疫病は警告する』(洋泉社)など多数。
2006年11月号掲載
旅や戦争と共に発展した「旅行医学」
──先生のご著書を大変楽しく拝読させていただきました。先生のご専門は「旅行医学」とのことですが、そもそも「旅行医学」とは?
濱田 現代の旅行医学は、主に海外旅行者や海外勤務者を対象とした医療です。感染症を中心とした病気の予防や、現地での健康対策などについて研究しています。
──あまり聞き慣れない分野ですが…?
濱田 日本ではあまり馴染みのない分野です。でも意外に歴史があるんですよ。
人間は古くから「旅」をしてきました。兵士として、植民者として、商人として、探検家としてなど。人は生きるため、領土拡大のため、新大陸発見のためと、さまざまな目的で集団移動をしてきたのです。そこには怪我や病気は付きもので、当然「治療」というものが必要になってきます。
──旅先では、その土地その土地の「風土病」というのもありますしね。
濱田 ええ、訪れた先で風土病にかかったり、あるいは旅先から病気を持ち帰ったり…。その意味で昔の旅行というのは、現代のような「遊び」「楽しみ」といった要素はまるでない、しかも、行く先の土地の情報もほとんど知らないわけで、「旅」それ自体が苦しみとか不安なものであったに違いないと思います。特に、戦争に駆り出された兵士というのは、過酷な条件の中で怪我や感染症に悩まされながら戦わなくてはならなかったわけですしね。
──そういえば、19世紀のナポレオン戦争やクリミア戦争などでも、戦闘による死者より病死者の数の方が上回っていたとか…?
濱田 はい、昔は誰かが戦地で感染症にかかると、瞬く間に軍全体が存亡の危機にさらされたのです。それが初めて逆転したのが「日露戦争」といわれています。といっても、日本軍の死者だけでも、戦死が5万8000人に対し、病死が2万2000人という数でしたが…。
──日露戦争の前は、感染症対策がほとんどなかったわけですね。
濱田 そうです。中世の頃から「軍医」という人はいたのですが、彼らは主に戦闘によって傷ついた兵士の治療を行なう戦傷外科が専門でした。しかし、徐々に兵士の健康管理や感染症対策の重要性が認識されるようになり、戦場、さらには植民地などで「軍陣医学」というものが発展していったのです。また、微生物の発見以後は予防対策もされるようになりました。もっとも、まだ「旅行医学」と呼べるようなものではありませんでしたが…、これが旅行医学の古典的な姿といえます。
(上左)マラリア原虫。赤血球の中に2つマラリア原虫がみられる。原虫が赤血球を破壊すると発熱が起こる。 (上右)ランブル鞭毛虫。腸に寄生して下痢を起こす。 (下)赤痢アメーバ。腸の中に寄生して、下痢や血便を起こす(写真提供:濱田篤郎氏) |
『疫病は警告する』(洋泉社) |
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