こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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経済統合を目前に控えたヨーロッパは かつてハプスブルク帝国に似ていますね。

結婚がつくった巨大帝国−ハプスブルク朝

比較文化研究者 東洋大学文学部教授

江村 洋 氏

えむら ひろし

江村 洋

1941年(昭和16年)東京生まれ。1970年、東京大学大学院比較文学比較博士課程修了。現在、東洋大学文学部教授。ヨーロッパ文化史、特にハプスブルク家に関する研究を続けている。
主な著書に『ハプスブルク家』(講談社現代新書)、『中世最後の騎士−−皇帝マクシミリアン一世伝』(中央公論社)、訳書に『ハプスブルク家−−ヨーロッパ一王朝の歴史』『女帝マリア・テレジア』(ともに谷沢書房)などがある。

1991年9月号掲載


19年半で16人出産した女帝マリア・テレジア

──マリア・テレジアは女帝ですが・・・?

江村 カール6世が相続順位法を制定して、この長女による継承を諸国に認めさせたんです。ただ、これはカール6世の死後、「オーストリア継承戦争」を引き起こしてしまうんですが・・・。

──でも、この女帝の政治力は並はずれていたんですよね。

江村 そうなんです。その上、この女帝も、家系を守るために、自ら、なんと16人も子供を産んだのです。

──それはすごい。

江村 それも、初めて子供を産んだ時から最後の16人目を産んだ時まで、正味19年半くらいなんですね。

──常に妊娠しては出産を繰り返していたことになりますね。

江村 そうですね。容姿もすばらしいが、身体もとても丈夫な人だったようです。本当か嘘か、4人目の子供のヨーゼフ(2世)を産んだ時、「2−3か月のちに次の子供が産めればいいのに」と言ったと言われています。

──先般、この対談で、京都大学の日高先生にお話を伺った時、すべての動物は一生懸命に直系の子孫を残そうとしていて、それをフィットネスと言うんだ、と教わったんです。われわれは最近「家」についてはほとんど考えなくなってきましたけど、そういうふうに考えますと、歴史そのものも、直系を残していくというか、家を残していくというエネルギーがいろいろなものを生んでいると思うんです。政治の場合、それが必ずしもいい方向に行くとは限りませんけど、そういうエネルギーってすごいなぁ、と。

江村 それは本当にすごいです。またそれだけ、君主にとっては切実な問題なんですよ。先程お話ししたマリア・テレジアのお父さんのカール6世には女の子しかできませんでした。しかも彼の后は身体が弱くて、男の子はおろか、もうとても子供を産める状態ではなかったわけです。けれども、当時のキリスト教世界では死なないかぎり決して離婚できない。ですから彼は、後継者はどうなるか、国家はどうなるか、と悩み続けたわけです。

イギリスのヘンリー8世も同様でした。后のカトリーナが弱くて、とても男の子はできそうにない。そこでなんとかして離婚して、自分がかわいがっている宮廷の女官と結婚したいと、ローマ教皇に金の力で離婚を認めてもらおうとしたんです。

ローマ教皇がしっかりしていた時代であれば、そんなことは認められないわけですが、ルネッサンスの時代にはローマ教会、キリスト教というのは非常に堕落しておりましたので、教皇なども金の力に弱かったんですね。

──商売みたいになっちゃっていたんですね。

江村 はい。金で特例として認めてやったりしたわけです。

このあたり、ヨーロッパの歴史のおもしろいところですね。

──王家の後継者問題が、宗教や、政治にまで影響していくというのは、何かすごく人間的なものを感じますね。


近況報告

著書 『ハプスブルク家の女たち』(1993年6月、講談社現代新書) 『マリア・テレジアとその時代』(1992年、東京書籍) 『カール五世 中世ヨーロッパ最後の栄光』(同) 『フランツ・ヨーゼフ ハプスブルク最後の皇帝』(1994年、東京書籍) 訳書 『ハプスブルク夜話 古き良きウィーン』(1992年、河出書房新社) 『ハプスブルク家史話』(1998年東洋書林) 『ハプスブルク家の愛の物語』(1999年、東洋書林) ※江村 洋先生は、2005年11月3日にご永眠されました。生前のご厚意に感謝するとともに、慎んでご冥福をお祈り申し上げます(編集部)

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