こだわりアカデミー
経済統合を目前に控えたヨーロッパは かつてハプスブルク帝国に似ていますね。
結婚がつくった巨大帝国−ハプスブルク朝
比較文化研究者 東洋大学文学部教授
江村 洋 氏
えむら ひろし
1941年(昭和16年)東京生まれ。1970年、東京大学大学院比較文学比較博士課程修了。現在、東洋大学文学部教授。ヨーロッパ文化史、特にハプスブルク家に関する研究を続けている。
主な著書に『ハプスブルク家』(講談社現代新書)、『中世最後の騎士−−皇帝マクシミリアン一世伝』(中央公論社)、訳書に『ハプスブルク家−−ヨーロッパ一王朝の歴史』『女帝マリア・テレジア』(ともに谷沢書房)などがある。
1991年9月号掲載
19年半で16人出産した女帝マリア・テレジア
──マリア・テレジアは女帝ですが・・・?
江村 カール6世が相続順位法を制定して、この長女による継承を諸国に認めさせたんです。ただ、これはカール6世の死後、「オーストリア継承戦争」を引き起こしてしまうんですが・・・。
──でも、この女帝の政治力は並はずれていたんですよね。
江村 そうなんです。その上、この女帝も、家系を守るために、自ら、なんと16人も子供を産んだのです。
──それはすごい。
江村 それも、初めて子供を産んだ時から最後の16人目を産んだ時まで、正味19年半くらいなんですね。
──常に妊娠しては出産を繰り返していたことになりますね。
江村 そうですね。容姿もすばらしいが、身体もとても丈夫な人だったようです。本当か嘘か、4人目の子供のヨーゼフ(2世)を産んだ時、「2−3か月のちに次の子供が産めればいいのに」と言ったと言われています。
──先般、この対談で、京都大学の日高先生にお話を伺った時、すべての動物は一生懸命に直系の子孫を残そうとしていて、それをフィットネスと言うんだ、と教わったんです。われわれは最近「家」についてはほとんど考えなくなってきましたけど、そういうふうに考えますと、歴史そのものも、直系を残していくというか、家を残していくというエネルギーがいろいろなものを生んでいると思うんです。政治の場合、それが必ずしもいい方向に行くとは限りませんけど、そういうエネルギーってすごいなぁ、と。
江村 それは本当にすごいです。またそれだけ、君主にとっては切実な問題なんですよ。先程お話ししたマリア・テレジアのお父さんのカール6世には女の子しかできませんでした。しかも彼の后は身体が弱くて、男の子はおろか、もうとても子供を産める状態ではなかったわけです。けれども、当時のキリスト教世界では死なないかぎり決して離婚できない。ですから彼は、後継者はどうなるか、国家はどうなるか、と悩み続けたわけです。
イギリスのヘンリー8世も同様でした。后のカトリーナが弱くて、とても男の子はできそうにない。そこでなんとかして離婚して、自分がかわいがっている宮廷の女官と結婚したいと、ローマ教皇に金の力で離婚を認めてもらおうとしたんです。
ローマ教皇がしっかりしていた時代であれば、そんなことは認められないわけですが、ルネッサンスの時代にはローマ教会、キリスト教というのは非常に堕落しておりましたので、教皇なども金の力に弱かったんですね。
──商売みたいになっちゃっていたんですね。
江村 はい。金で特例として認めてやったりしたわけです。
このあたり、ヨーロッパの歴史のおもしろいところですね。
──王家の後継者問題が、宗教や、政治にまで影響していくというのは、何かすごく人間的なものを感じますね。
著書 『ハプスブルク家の女たち』(1993年6月、講談社現代新書) 『マリア・テレジアとその時代』(1992年、東京書籍) 『カール五世 中世ヨーロッパ最後の栄光』(同) 『フランツ・ヨーゼフ ハプスブルク最後の皇帝』(1994年、東京書籍) 訳書 『ハプスブルク夜話 古き良きウィーン』(1992年、河出書房新社) 『ハプスブルク家史話』(1998年東洋書林) 『ハプスブルク家の愛の物語』(1999年、東洋書林) ※江村 洋先生は、2005年11月3日にご永眠されました。生前のご厚意に感謝するとともに、慎んでご冥福をお祈り申し上げます(編集部)
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