こだわりアカデミー
経済統合を目前に控えたヨーロッパは かつてハプスブルク帝国に似ていますね。
結婚がつくった巨大帝国−ハプスブルク朝
比較文化研究者 東洋大学文学部教授
江村 洋 氏
えむら ひろし
1941年(昭和16年)東京生まれ。1970年、東京大学大学院比較文学比較博士課程修了。現在、東洋大学文学部教授。ヨーロッパ文化史、特にハプスブルク家に関する研究を続けている。
主な著書に『ハプスブルク家』(講談社現代新書)、『中世最後の騎士−−皇帝マクシミリアン一世伝』(中央公論社)、訳書に『ハプスブルク家−−ヨーロッパ一王朝の歴史』『女帝マリア・テレジア』(ともに谷沢書房)などがある。
1991年9月号掲載
結婚によって次々と領地を拡大
──もう一つおもしろいなぁと思ったのは、ハプスブルクという家系です。王家とはいえ、一つの家なんですよね。それが、周囲にいろいろな王家、豪族等列強がいる中で、神聖ローマ帝国の皇帝として、代々その地位を維持し続けたというのは不思議というか、一体どういうことなのかと思いましてね。
江村 もともとハプスブルク家なんてものは、スイスの国境に近い、今でいうとバーゼルあたりのドイツ領の小さな豪族のようなものに過ぎなかったんです。それが、どうして支配者になれたか。すなわち、婚姻です。ハプスブルクは、結婚というものがうまく当たったんです。
──うまく当たった・・・?(笑)
江村 王家の結婚というものは、生きるか死ぬかの分かれ目のようなもので、ヘマをすると、自分の国を取られてしまうわけです。常に王子がいれば問題なく継承でき、国家が続いていくけれども、たいていの家はどこかでこれが崩れてしまうわけですね。つまり、男の子が生まれなくなってしまう。
しかし、ハプスブルクだけはうまい具合に男の子がずっと続いたんです。その上、結婚運が非常に良かった。例えば、スペインがハプスブルクのものになった時もそうでした。スペインを相続するはずの王子たちが、皮肉にもバタバタ死んでしまい、残ったのは、フアナ王女一人。その夫であるハプスブルクのフィリップがスペインの王位を継いだんです。それでうまい具合にスペインを乗っ取ってしまった。今のハンガリーとかチェコスロバキアにしても同様です。結局、マリア・テレジアの父親であるカール6世まで非常にうまく続いたんです。そして領地を拡げていったわけです。
著書 『ハプスブルク家の女たち』(1993年6月、講談社現代新書) 『マリア・テレジアとその時代』(1992年、東京書籍) 『カール五世 中世ヨーロッパ最後の栄光』(同) 『フランツ・ヨーゼフ ハプスブルク最後の皇帝』(1994年、東京書籍) 訳書 『ハプスブルク夜話 古き良きウィーン』(1992年、河出書房新社) 『ハプスブルク家史話』(1998年東洋書林) 『ハプスブルク家の愛の物語』(1999年、東洋書林) ※江村 洋先生は、2005年11月3日にご永眠されました。生前のご厚意に感謝するとともに、慎んでご冥福をお祈り申し上げます(編集部)
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