こだわりアカデミー
創造に失敗はつきもの!その失敗を分析することで 成功への道が開けてくるのです。
失敗を生かす「失敗学」
工学院大学国際基礎工学科教授
畑村 洋太郎 氏
はたむら ようたろう
1941年、東京都生れ。東京大学工学部機械工学科修士課程修了後、日立製作所でブルドーザーの開発設計に従事。その後、73年、東京大学工学部助教授、83年、同大学大学院工学系研究科教授に就任。01年より現職。また、同年より畑村創造工学研究所を主宰。東京大学名誉教授。著書に『失敗学のすすめ』(2000年、講談社)、『社長のための失敗学』(02年、日本実業出版社)、『決定版 失敗学の法則』(02年、文芸春秋)、『成功にはわけがある』(02年、朝日新聞社)、編著に『続々・実際の設計--失敗に学ぶ』(96年、日刊工業新聞社)、『子どものための失敗学』(01年、講談社)など多数。
2002年11月号掲載
日本の過去と未来を示す2つの「恥」意識
畑村 なるほど。恥とは新鮮な着眼点ですね。
では、せっかくですから、もう少し掘り下げて考えてみたいのですが、私は「恥」にも2通りあるのではないかと思っています。そしてここには、今の日本で正さねばならない姿と、今後進むべき姿、この2つの対極ともいえる意識が隠されていると思うのです。
──随分、重要なキーワードに気付いてしまったようですね。早速、お聞かせいただけますか?
畑村 1つは、社会規範に対しての「恥」です。日本は、組織や協調性というものを大事にする文化が強い国。悲しいことに、いまだ従来型の「村文化」が横行しているのが現状です。このため、何か失敗をしてしまった時に、まず会社などの組織の損得を考え、隠そう隠そうとしてしまうケースが多いのです。今、問題視されている大企業の不祥事などはその最たる例ですね。明らかに間違っていることなのに、組織の中でそれを指摘できずに良しとしてしまう。
──確かに、昔はそれでも通用したのでしょうが、時代とともに価値判断も大きく変化しています。
畑村 その通り。昔に比べ、人、ものの移動の範囲が広がっていますし、今や文化さえも流通する時代です。失敗を恥という意識で捉えるなどという小さな器の人間の集まりでは、組織の膿はますます大きくなってしまいます。ですから、組織のためにと失敗を隠そうとせず、むしろ今後の教材として公にするべきなんです。
最近よく耳にする内部告発なんていうのも、この文化に我慢ならない、また良心に正直な人々が起こす行動だともいえます。ですが、思い切って公にしても裏切った、リークしたなどと責められてしまったりする…。こんなおかしな話はないと思うのですが、そういった強制力のようなものが、まだこの国の文化に色濃く残っているわけです。
──分ります。如何ともしがたい現実ですよね。先生は、失敗学を世に広めることで、このような風潮、意識を取り除いていきたいと思っているのですね。
畑村 ええ。そこで逆に広めていきたいのが、2つめの恥の意識なんです。
同じ恥の意識といっても、こちらは己の良心に対する恥の意識。自分はこうしたいと思っているのに、その意志に反した行動をとってしまった、とらざるを得ない状況に陥った場合などに感じるものです。いってみれば自身の志に対する失敗の恥の意識で、これは人の生き方に関わる大事なことです。
──個人の価値基準が問われるわけですね?
畑村 その通り。現代は、精神的にも経済的にも肉体的にも個人の自立が求められる時代です。自身できちんと考えて行動する、決して人の基準で動かない強さが必要なのです。ですから逆に、志に対する恥の意識を持っていない人は流されてしまうでしょうね。前者の「恥」とは大違いです。
──おっしゃる通りですね。自身で基準をつくり行動するのは、怖さ、辛さを伴いますが、これが「志」ですよね?
畑村 そうなんです。ですからその志に従って、失敗を恐れずに突き進んで行くべきなんです。そして、もし失敗してしまった時には、隠すことなくその事実を直視し、そこから学び今後の糧とする、この姿勢こそが生きていく上でとても大事なのだと思います。
──そういう人間が集まれば、自ずと組織も文化も変っていくでしょうね。
畑村 そう思います。
とはいえ、生死に及ぶような致命的な失敗は絶対にしてはなりませんよ。しかし、多少の痛みは必要でしょう。というのも、人間は、痛みを感じた時点で初めて次への対策を考えるものですから。それから、失敗学は決して「失敗しろ!」と勧める学問ではありませんからね(笑)。
──はい、よく分りました(笑)。
『社長のための失敗学』(日本実業出版社) |
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