こだわりアカデミー
日本の仏教は時代とともにダイナミックに変ってきました。 「仏教=葬式」のイメージも変っていくと思います。
時代とともに変る「仏教=葬式」のイメージ
山形大学人文学部教授
松尾 剛次 氏
まつお けんじ
1954年長崎県生れ。77年東京大学文学部国史学科卒業、81年東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退、94年同大学院人文科学研究科より博士(文学)授与。山形大学講師、助教授を経て現職。山形大学都市・地域学研究所所長兼務。日本宗教学会理事。日本仏教綜合研究学会初代会長、東京大学COE特任教授、ニューヨーク州立大学オーバニー校東アジア研究学部客員教授なども務めた。現在は、官僧・遁世僧研究を基点に、中世日本宗教史の見直しを行なっている。著書に『鎌倉新仏教の誕生』(講談社現代新書)、『仏教入門』(岩波書店)、『破戒と男色の仏教史』(平凡社)、『中世律宗と死の文化』(吉川弘文館)、『葬式仏教の誕生』(平凡社新書)など多数。
2012年2月号掲載
「奇跡」の話がきっかけで、
仏教への関心が高まった
──先生は日本仏教史の第一人者で、特に鎌倉仏教がご専門だと伺っております。
私達が学校で習った当時の仏教といえば、法然や親鸞の浄土信仰や、禅宗、日蓮宗などが思い浮かびますが、そもそも先生がこうした研究を始めようと思われたきっかけは?
松尾 私は大学時代、主に中世史を専攻していたのですが、4年生の時、ゼミの教授にあるテーマで卒論を書かないかと勧められ、それで手にした資料を読んで仏教に関心を持ったのです。
──それは、どのような内容だったのですか?
松尾 戒律を重んじた律宗の僧、「忍性(にんしょう)」が起こした奇跡の話です。
当時の仏教は、「穢れ(けがれ)」を忌み嫌っており、特に死体に触れたり、葬送、墓の発掘などに携わった人間は、30日間、神事や参内などを慎む程でした。しかし忍性は、非常に穢れた存在と考えられていたハンセン病など重病患者の救済活動を積極的に行ない、多くの患者を治癒するという奇跡を起こし、「生き仏」と崇められたのです。
──何より避けるべき「穢れ」を避けることなく、逆に、慈悲深く、救済に努めたわけですね。あえてタブーに立ち向かうというのは、とても勇気が必要なことだったでしょう。
松尾 そうですね。彼を支えていたのは、「清浄の戒は汚染なし」という信念でした。それは、厳しい戒律を守っていれば、社会的な救済活動はもとより、穢れからも守ってくれるという論理だったのです。事実、忍性は20年間で5万7000人を介護し、そのうちの4万6000人の命を救ったという奇跡の記録があります。しかし実際には、そうした人々の多くは重病などではなく、栄養失調や環境の悪さから皮膚病などに罹っていたに過ぎなかったのかもしれません。
──十分な食事を与え、薬湯風呂に入れるなどによって治癒できたのは、今考えてみると当り前のことですが、当時の人々には「奇跡」と感じられたのでしょうね。
(写真左)額安寺(奈良県大和郡山市)の巨大五輪塔、総高は2.95m。律宗の僧が建立したもので、全国に60基以上ある。(写真右)五輪塔の下から出てきた忍性の骨蔵器。五輪塔の下、土台石および江戸時代に置かれた地覆石の下にある、1辺1.1mのほぼ正方形に近い深さ0.9mの穴に納められていた〈写真提供:松尾剛次氏〉 |
人間誰しもが
「送りたい」「送られたい」と願う
──ところで、先生は多数の著書を出版されていますが、最近では『葬式仏教の誕生』が話題となりました。とても興味深く拝読させていただきましたが、なぜ「葬式仏教」をテーマにしようと思われたのですか?
『葬式仏教の誕生』(平凡社新書) |
松尾剛次先生は2019年3月末日に退職され、名誉教授に就任されました。
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