こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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日本の庶民観光の始まりは「お参り」。 「お伊勢参りブーム」に乗って 旅行業の基礎もつくられました。

観光はいつ生まれたか

社会学者 立教大学観光学部教授

前田 勇 氏

まえだ いさむ

前田 勇

1935年、東京都生れ。59年、立教大学文学部心理学科卒業後、同大学心理学研究室を経て、66年同大学社会学部産業関係学科講師。67年観光学科設置に伴い移籍後、助教授を経て75年教授。98年観光学部・大学院観光学研究科設置により移籍、現在に至る。社会学博士。立教大学観光研究所所長、日本観光学会評議委員、日本能率協会・サービス向上推進全国大会実行委員長、日本道路公団・関東ハイウェイ懇談会座長等多数の役職を兼務。主な著書に『実践・サービスマネジメント』(89年、日本能率協会)、『観光とサービスの心理学』(95年、学文社)、『現代観光学キーワード事典(編著)』(98年、学文社)など多数。

2001年4月号掲載


江戸時代には伊勢参りが大流行!!

──江戸時代は各地に関所が設けられ、通行手形がないと通れないというように、旅は容易ではなかったはずですが、お参りは簡単に許可されたんですか?

前田 信仰心は無下にできないということで、お参りについては、基本的に手形発行が認められていました。しかし、行くにしても渡し船に乗る、宿に泊まるなどとお金がいるわけで、まだ誰もが簡単に行けたわけではありません。

そこで考え出されたのが、何人かでグループをつくりお金を積み立ててお参りに行こうというもの。これを「講(こう)」というんですが、御師(おし)という伊勢神宮を布教する人達が考え出し、各地を募集して回ったんです。これが火付け役となり、伊勢参りの大流行につながりました。その様は「蟻の熊野詣」以上だったようです。

──旅行斡旋業の始まりですね。

前田 まさに、旅行代理店の元祖といえます。またこの時、団体割引や宿の予約システムも考え出され、旅行業の基礎がつくられました。

しかし、それでも旅ができない人達がいました。例えば、商店の小僧とか奉公人、農家の次男などです。彼らは、店主や家長からお参りに行く許可がなかなか下りないんです。ですから時々、内緒でお参りに行く、これを「抜け駆けしてお参りする」という意味から、「抜け参り」と呼びました。頻繁に起こっていたようです。

──手形もないわけでしょうに、関所はどうやって通ったんですか?

前田 関所を避け脇道を行く人もいましたが、見付かった場合でも「お伊勢参りに行きたい、その気持ち一心で来ました」といわれれば役人も無下にできず、大目に見ていたようです。

この抜け参りは不思議なことに、1650年を第1回目としてほぼ60年周期で3回、爆発的なブームが起こっているんです。この現象を「おかげ参り」、その年のことを「おかげ年」と呼んでいます。

──情報メディアも発達していない中、周期的にそのような現象が起こったのは不思議です。なぜ60年ごとにブームになったのでしょう?

前田 60年というのは、当時の平均寿命年数です。それと何らかの関係があるとは思いますが、なぜ同じ年に一斉に起こったのかは謎です。

──抜け参りをしてまでお参りに行きたいとは、江戸時代の人達は信仰心がそれだけ強かったということですか? 私は江戸時代の旅というと、「弥次さん、喜多さん」で有名な、『東海道中膝栗毛』のイメージがあります。「信仰」というより、「楽しみ」という感じがするんですが…。

前田 実は、その通りなんです。当時の川柳に「伊勢参り、大神宮にもちょっと寄り」というのがありまして、「伊勢参りに行ったけど、そこにはちょっと寄っただけ」という意味です(笑)。『東海道中膝栗毛』も、二人の江戸町人が伊勢参りに行くといいながら、道中は遊んでばかりいます。危険を伴う熊野詣のような旅は純然たる信仰心からでしたが、江戸時代になると、だんだんそれが名目化して、建前になってきた。普段の生活から離れて珍しいものを見たり、食べたり、楽しみたかったようです。

──現代人と変りませんね。 

前田 そうですね。もともと日本人は旅好きです。旅をしたい、楽しみたいという人々の気持ちは、江戸時代から現代に脈々と受け継がれていますね。

明治時代になると、橋や鉄道などの整備も進み、旅館、ホテルも多く建てられました。また、何といっても移動が自由にできる時代になり、人々は建前なしに、現代のような観光を楽しむようになっていったのです。

観光学者である前田先生は、国内外さまざまな地へ自ら足を運び
旅を楽しみながら「観光学」を探求されている
観光学者である前田先生は、国内外さまざまな地へ自ら足を運び、旅を楽しみながら「観光学」を探求されている<br>(上)視察旅行で訪れた「良寛と夕日の丘公園」。後方に佐渡島、隣に良寛記念館がある(「にいがた景勝百選」の第1位に選ばれた場所・新潟県出雲崎町)。左が前田先生<br>(下左)韓国済洲島で出会った巨大なトルハルバン(石のおじいさんの意味)<br>(下右)「栗菓子」と「葛飾北斎館」で知られる長野県小布施町の街角
(上)視察旅行で訪れた「良寛と夕日の丘公園」。後方に佐渡島、隣に良寛記念館がある(「にいがた景勝百選」の第1位に選ばれた場所・新潟県出雲崎町)。左が前田先生
(下左)韓国済洲島で出会った巨大なトルハルバン(石のおじいさんの意味)
(下右)「栗菓子」と「葛飾北斎館」で知られる長野県小布施町の街角

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