こだわりアカデミー
国立大に「忍者学」が!! 忍者の実態や歴史を探り、 優れた知恵を現代に生かす!
本物の忍者は黒装束ではなかった!
三重大学人文学部教授
山田 雄司 氏
やまだ ゆうじ
1967年静岡県生まれ。京都大学文学部卒業、筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科史学専攻(日本文化研究学際カリキュラム)修了。日本学術振興会特別研究員。1999年三重大学人文学部講師に就任、2011年より現職の三重大学人文学部教授に就任。著書に『怨霊・怪異・伊勢神宮』(思文閣出版)、『忍者文芸研究読本』(編著・笠間書院)、伊賀忍者研究会編『忍者の教科書 新萬川集海1・2』(監修、笠間書院)など。
2015年10月号掲載
「にんじゃ」の呼称は昭和以降。彼らは有能な諜報員だった
──今回、国立大学が学問として忍者を取り挙げていることを知り、非常に興味を引かれました。先生はなぜ忍者の研究を始められたのですか?
山田 そもそも私は、中世の信仰や怨霊についての研究が専門なのですが、たまたま2012年に三重大学の前学長が、県内の伊賀市との連携を打ち出し、忍者の研究をすることになったのです。そこで、どちらかといえば日本史でも正統派ではない、私にお鉢が回ってきたのです(笑)
──そういう経緯があったのですね。ところで、実際に研究を始められてみていかがですか?
山田 まず、忍者研究についていうと、これまでいわゆる愛好家が関連本を出すことなどはあったのですが、学術的には全く研究されていない分野だということが分かりました。しかも調べ始めてみると、これまで小説などのフィクションで描かれている忍者とは、全然違うことも分かってきて…。
──とおっしゃると?
山田 そもそも「にんじゃ」という呼称も昭和以降に使われるようになったもので、もともとは「しのびのもの」や「しのび」という名称でした。また、忍者が活躍したのは戦国時代ですが、彼らの役割は実は戦闘員というよりはプロの諜報員だったのです。敵を攪乱するために火術を使ったりすることもあったようですが、一番重要な仕事は、味方の大きな損害を防ぐために、敵の城に忍び込んだり、敵陣に紛れ込んだりして、兵糧の残り、城の構造、敵の人数などの情報を取って戻ってくることでした。そのため装束もわれわれが一般にイメージしているような黒装束ではなく、農民や武士などに紛れても目立たない柿色や紺の衣装を身につけていたとされています。
『忍者の教科書 新萬川集海』(笠間書院) |
サイト内検索