こだわりアカデミー
「肉食の禁止」により進んだ「米」の神聖化が 日本の特異な食文化をつくり出しました。
米と共に歩んだ日本の歴史
国士舘大学21世紀アジア学部教授
原田 信男 氏
はらだ のぶお
1949年栃木県生まれ。74年明治大学文学部卒業、83年同大学院博士後期課程単位取得満期退学。札幌大学女子短期大学部助教授。89年『江戸の料理史』(中公新書)でサントリー学芸賞受賞、95年『歴史のなかの米と肉』(平凡社)で小泉八雲賞受賞。98年「中世村落の景観と生活−関東平野東部を中心として」で明大史学博士。ウィーン大学客員教授、放送大学客員教授を経て、2002年から現職。著書に『江戸の食生活』(岩波現代文庫)、『コメを選んだ日本の歴史』(文春新書)、『和食と日本文化』(小学館)など多数。
2014年4月号掲載
原田 そうです。ブタを伴わないという日本の米文化は、アジアの中ではかなり特異なものです。
当初は、稲作の期間だけ肉食が禁じられていましたが、やがて肉を「穢れ」と見なすようになり、米が聖なる食べ物として受け入れられていくことになります。とはいえ、米の生産力が厳しかった段階では、多くの人々にとって肉食は不可欠でした。貴族や都市住民の中には肉を好む人もいて、京都にはシシ肉を販売するルートさえ成立していたほどです。
そして、古代に始まった肉食の禁忌は水田の開発と生産力が増すにつれ、徐々に社会の下層にまで及んでいきます。近世においては、肉を食べると目が潰れるとか、口が曲がるという俗信まで生み出されました。
沖縄小禄公園に保存されているフール(ブタ便所)。ブタを食べる文化が続いていた沖縄ではトイレでブタを飼い、人糞をブタの寝床に回す〈写真提供:原田信男氏〉 |
──なるほど。古代の肉食禁止令がきっかけで、日本独特の米文化が発達していったのですね。
原田 はい。米は尊い聖なる食べ物としての位置を確立し、祭祀の中でも重要な役割を果たすようになります。さらに江戸の幕藩体制下では、「石高制」という形で、ほとんどの経済価値を米で表わすという、世界的にも特異な社会システムが誕生しました。
── 一方、肉を排除した代わりに、重要な動物タンパク源である魚に注目が集まり、刺身や鮨などという食文化が生まれたともいえます。食と歴史は、実に密接な関係にあることがよく分かります。
ところで、現在われわれは当たり前のように肉を口にしますが、肉食の禁忌が解かれたのはいつだったのですか?
原田 明治4(1871)年、天皇による肉食再開宣言が打ち出されたときです。ここから文明開化が一気に進み、日本食文化が大きく進展していきました。
『歴史のなかの米と肉』(平凡社) |
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