こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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幕府の「三貨制度」と、藩の「藩札」。 これらが併存する特殊な貨幣制度こそが、江戸経済の原動力でした。

江戸経済を支えた特殊な貨幣制度

松山大学経済学部経済学科教授

岩橋 勝 氏

いわはし まさる

岩橋 勝

1941年愛知県生れ。64年滋賀大学経済学部経済学科卒業、64年〜67年大阪大学大学院経済学研究科博士課程中退。68年〜69年大阪大学経済学部助手、69年〜71年松山商科大学(松山大学)経済学部講師、78年より現職。専門分野は日本経済史。研究テーマは貨幣の経済史、三貨制度、貨幣流通史、通貨統合など。近世の日本貨幣の流通の実態について調査。「近世物価と貨幣の経済史」をテーマに、日本各地の物価動向や貨幣流通の実態を示す史料を探索し、江戸時代にどこまで市場経済が形成され、地域的にどのような経済格差が生じていたかを分析している。著書に「近世日本物価史の研究」(大原新生社)、「経済社会の成立(日本経済史1)」(共著、岩波書店)、「近代成長の胎動(日本経済史2)」(共著、岩波書店)など。

2011年10月号掲載


日本の紙幣流通は、西欧よりもずっと早く始まった

──先生は江戸時代の貨幣の流通についてご研究されていると伺っております。
岩橋 はい。日本各地の物価動向や貨幣流通の実態を示す史料を探索して、江戸時代の貨幣の変遷や発行の背景などを調べています。
──貨幣というと、日本では意外に古くから紙幣が使われていたそうですね。
岩橋 そうなんです。中国では10世紀頃からあったようですが、ヨーロッパでは国の承認を受けたものとして、1661年にスウェーデンのストックホルム銀行が銀行券として発行したものが最初といわれています。そして、日本でも同じ年に越前福井藩が「藩札」を発行しており、これが最初の公的紙幣とされていました。しかし、備後福山藩で1630年に「銀札」が発行された記録が藩政史料から見付かっており、さらに早期に紙幣が使われていたことが分っています。また、「藩札」ではないのですが、1600年頃にはすでに、伊勢山田地方で「山田羽書」という紙幣が流通していたのです。これは現物も残っているんですよ。

写真上段は、右から1番目が「土佐藩札」、2番目が「福井藩札」、3・4番目が「但馬出石藩札」。写真下段は、1番右が伊勢山田で発行された「山田羽書」、現存最古の紙幣とされている。「射和羽書」(写真中央2枚)と「松坂羽書」(写真左2枚)は、紀州藩支配下の松坂で発行された紙幣〈写真提供:日本銀行金融研究所貨幣博物館〉
写真下段は、1番右が伊勢山田で発行された「山田羽書」、現存最古の紙幣とされている。「射和羽書」(写真中央2枚)と「松坂羽書」(写真左2枚)は、紀州藩支配下の松坂で発行された紙幣〈写真提供:日本銀行金融研究所貨幣博物館〉
写真上段は、右から1番目が「土佐藩札」、2番目が「福井藩札」、3・4番目が「但馬出石藩札」。写真下段は、1番右が伊勢山田で発行された「山田羽書」、現存最古の紙幣とされている。「射和羽書」(写真中央2枚)と「松坂羽書」(写真左2枚)は、紀州藩支配下の松坂で発行された紙幣〈写真提供:日本銀行金融研究所貨幣博物館〉

──西欧よりも日本の方が、はるかに早く紙幣の流通が進んでいたのですね。日本ではどういう経緯で紙幣が生れたのでしょうか?


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