こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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法隆寺は放火されていた!? 建築と歴史の視点から謎を読み解く。

「空白の美」の原点、法隆寺の謎を解く

東北文化学園大学教授

武澤 秀一 氏

たけざわ しゅういち

武澤 秀一

1947年、群馬県前橋市生れ。一級建築士。71年、東京大学工学部建築学科卒業。72年、同・大学院を中退し、東京大学工学部助手。97年、東京大学より博士号(工学)を授与される。建築家として用美強・建築都市設計にて設計活動を行なう傍ら、東京大学、法政大学、武蔵野美術大学にて講師を兼任し、99年より現職。88年、東京都建築士事務所協会主催の東京建築賞受賞。著書に『法隆寺の謎を解く』(ちくま新書)、『インド地底紀行』、『空間の生と死―アジャンターとエローラ』(いずれも丸善)、『迷宮のインド紀行』(新潮社)など。現在、講談社ポータルサイトMouRa I 正言@アリエス(http://moura.jp/scoop-e/seigen/index.html?top_area=r)にて「マンダラの謎を解く」を連載中。

2007年8月号掲載


現存する法隆寺は二代目だった!

──先生のご著書『法隆寺の謎を解く』を大変興味深く拝読させていただきました。
法隆寺というと、厩戸皇子(※)ゆかりの寺であり、現存する世界最古の木造建築物であることは知っていましたが、実は二代目であるということは全く知りませんでした。
本当なのですか?

※厩戸皇子=聖徳太子。聖徳太子という名は生前には用いられておらず、没後70年ほど経った持統天皇の時代に認められた名称

回廊に囲まれた白砂の聖域。手前に五重塔、右手奥が金堂。左手奥に講堂が見える
回廊に囲まれた白砂の聖域。手前に五重塔、右手奥が金堂。左手奥に講堂が見える
<写真提供:武澤秀一氏>

武澤 日本書紀に、確かに法隆寺が「焼けた」という記述があります。しかし、再建したとまでは書かれていません。そこで再建説と、日本書紀は誤りであるという非再建説が明治時代以降、学会で争われていました。
ところが、昭和14年に旧法隆寺の塔と金堂の痕跡が発見されました。これが物的証拠とみなされて、現在では一般に再建説に落ち着いています。

──では、現存の法隆寺は火災の後に「再建」された、ということになるのですか?

武澤 「再建」といってしまうには、いくつか疑問が残ります。まず、通常の再建であるならば、元あった場所にそのまま建て直せば良いのに、場所も向きも、旧法隆寺とは異なっています。

──確かに、焼けたものを建て直すならば、同じ場所に建てますね。

武澤 現在の法隆寺がある場所は山裾の傾斜地だったところであり、そこを整地工事までして建てていることからも、単なる「再建」ではない事情があったのだと思われます。


近著紹介
法隆寺の謎を解く』(筑摩書房)
近況報告

武澤秀一先生が、『マンダラの謎を解く 三次元からのアプローチ』を上梓されました。講談社のポータルサイト「MouRa」のコンテンツ「正言@アリエス」での連載をもとに、加筆修正したものです。立体マンダラの豊饒な空間構成を、インドと中国の宇宙論をもとに考察しています。さらには、マンダラが日本においてどのように変容してきたのかについて、空海の構想などを交えて言及されています。

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