こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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フグの毒は餌のせい。無毒の餌を与えれば 無毒のフグができます。

縄文時代、フグは無毒だった!?

千葉大学薬学部部長

山崎 幹夫 氏

やまざき みきお

山崎 幹夫

1931年、東京都文京区生れ。54年、千葉大学薬学部卒業。60年、東京大学大学院化学系研究科(薬学専攻)博士課程修了。国立放射線医学総合研究所主任研究官、千葉大学生物活性研究所教授を経て、87年、同大学薬学部教授。93年より同薬学部長。薬学博士。専門は医薬品素材学。東南アジア等の熱帯雨林で薬草・毒草を採集し、薬の原料になる物質を分析・研究している。主な著書「化合物ものしり事典」(1984、講談社)、「天然の毒−−毒草・毒虫・毒魚」(共著、1985、講談社)、「アルカロイドの生化学」(共著、1985、医歯薬出版)、「毒の話」(1985、中公新書)−写真、「毒の文化史」(共著、1990、学生社)、「真珠の文化史」(共著、1990、学生社)、「薬の話」(1991、中公新書)等。

1993年12月号掲載


「体内の悪霊を退治する毒」が薬の始まり

──先生の著書「毒の話」を拝読させていただきましたが、「毒」って、本来はものすごく恐ろしいものなのに、なぜかロマンチックで、みんなが興味を持っている、という点が不思議ですね。なぜなんでしょう。

山崎 毒というのは、人間の歴史の中でもいろいろな事件や人物にかかわっていますからね。ひとつには、そういう点でわれわれの興味をそそるというか、魅き付けるものがあると思います。また、人間はものを食べないと生きていけないわけですが、人類が誕生した200万年前には、毒を持つ生物がとっくにこの地球上に存在していました。だから人類は誕生の始めからそういう自然の中で食べ物を選びながら命を長らえなければならなかったわけです。毒を持っている生物かどうかというのは、そういう意味で大変重要な情報でした。だから、毒の情報は人づて、あるいは親から子へといまだに伝わってきている。また、その一方では毒を薬に換えてしまったりしています。

──先生のご研究も、その延長線上にありますね。ところで、「薬」というものが人間の歴史に登場してきたのはどのあたりですか。

山崎 昔々中国に「神農」という薬の神様がいまして、その人は毎日毎日道端の草や葉をかじりながら、歩き回ったんです。それで「これは薬になる」とか「これは毒だ」とか言いながら、1日80回くらい倒れてはまた生き返った・・・(笑)。伝説上の人物ですけどね。そしてたくさんの薬になる植物と毒になる植物を分類して「神農本草経(しんのうほんぞうきょう)」という書物をつくられた。

──さすが4000年の歴史ですね。

山崎 実際は“神様”が本を書いたのではなく後世の人が長い歴史の中で言い伝えられてきた薬の知識−−ほとんどが毒の知識なんですが−−を集大成したものです。これが今の漢方薬の知識の始まりになっています。そしてその本には「薬になるものは毒である」と書かれています。というのも、中国では昔は、悪いことをするとその人には悪霊が乗り移り病気になる、と考えられており、病気を治すためには悪霊をやっつけないといけない、それには作用の強い毒しかないということで、「病気を治せるのは毒」「薬になるのは毒」と考えられていたからです。


近況報告

1997年、千葉大学退官後、名誉教授に。1999年より東京薬科大学客員教授。 近著に「毒薬の誕生(95年、角川書店)」、「歴史を変えた毒(2000年、角川書店)」がある。

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