こだわりアカデミー
絶滅した大型哺乳類「デスモスチルス」。 ゾウやジュゴンの親戚ですが、生態は未だ謎です。
謎の哺乳類デスモスチルス
東京大学大学院助手
犬塚 則久 氏
いぬづか のりひさ
1948年、青森県生れ。七五年京都大学大学院理学研究科地質学鉱物学専攻修士課程修了後、東京大学医学部解剖学教室(97年に東京大学大学院医学系研究科分子細胞生物学専攻細胞生物学・解剖学講座生体構造学分野と改称)助手、86年より東京芸術大学美術学部美術解剖学非常勤講師を併任。理学博士。地質学会奨励賞、地球科学賞を受賞。主な著書に『デスモスチルスの復元』(84年、海鳴社)、『恐竜復元』(97年、岩波書店)、『ヒトのかたち5億年』(2001年、てらぺいあ)、共著に『絶滅した日本の巨獣』(89年、築地書館)など。
2001年6月号掲載
新属「アショローア」が北海道で発見された!
──デスモスチルスと時期を同じくして、別の束柱目の仲間がいたそうですが…。
犬塚 「パレオパラドキシア」という仲間がいました。やはり円柱を束ねたような臼歯を持っていましたが、パレオパラドキシアの方が歯根が長いとか、歯の周りに歯帯という帯のようなものが巻いているなど、多少の違いが見られます。
──同じ時期にうまく棲み分けはできていたんですか?
犬塚 生息域は似通っていますが、棲み分けはできていたと思われます。歯の形が多少違うということは、食べるものも違っていたということを意味していますから、生存競争は起きなかったでしょう。さらにパレオパラドキシア以外にも、年代はもっと遡りますが、4種類の仲間が見付かっています。また、現在も新たな種が発見されつつあります。
──先生も最近、束柱目の新属を同定されたそうですね。
犬塚 「アショローア」のことですね。実は1976年、当時、北海道大学の大学院生だった現・東京大学の木村学教授が、北海道の足寄(あしょろ)町で動物の化石を発見されました。その一報を聞き付けて、私も発掘に参加したんですが、その時は、何の化石か分らなかったんです。その後、アメリカやヨーロッパの研究者のところへ行って、いろいろ調べてみました。そして98年に、当時、最も古い時代の束柱目といわれていた「ベヘモトプス」よりも、さらに300万年も古い時代にいた新属であることを明らかにしたんです。これには発見された地名「足寄町」にちなんで「アショローア」と名付けました。
アショローアの発掘風景。川の水をせき止め、川底にへばりついて歯や骨のかけらを見落とさないよう掘る(写真提供:犬塚則久氏) |
──長い年月が掛りましたね。同定が難しかったんですか?
犬塚 確かに、新種であると決定付けるには、その裏付けなどに時間が掛ります。しかしアショローアの場合、実は発掘されてからもずいぶん長い間、北大の研究室に眠っていたんです(笑)。
──長い年月、地中に埋もれていて、やっと日の目を見たと思ったら、今度は地上でも眠りについたんですね(笑)。
犬塚 そうなんです。ちょうど同時期に、ほかの場所でも化石が見付かったりするなど、なんやかんやで手が付けられない状態だったんです。本格的に取り掛ったのが90年代に入ってからでした。
──先生は、足寄町にある「足寄動物化石博物館」の建設にも一役買われたそうですね。
犬塚 84年頃から博物館の建設を提案していたんですが、最初、莫大なお金も掛かることで町は乗り気ではありませんでした。しかし、ちょうどいいタイミングで「ふるさと創生1億円」がきっかけで予算が付き、98年7月に開館に漕ぎ着けることができたんです。
足寄町はアショローアをはじめ、クジラやベヘモトプスなどの貴重な化石がたくさん出た地です。そういった化石が出ると、東京などに標本として集められがちですが、私としては、かつてその動物達が生きていた地元に、保存、保管しておくのが一番良いのでは、と思ったんです。
──その地方の誇りですしね。すでに足寄動物化石博物館は世界から注目されているようですね。
犬塚 そうなんです。世界の博物館、研究者から標本やレプリカの引合いがたくさんあります。外国の珍しい化石と交換もしており、展示品の内容も年々充実してきていますね。
『恐竜復元』(岩波科学ライブラリー) |
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