こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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子供の頃から東京の空の星を観測。 “HARA”という名前の小惑星も誕生しました。

天体観測のたのしみ

青山学院大学経済学部教授

原 恵 氏

はら めぐみ

原 恵

1927年東京生れ。青山学院大学文学部英米文学科卒業。同大学院修士課程修了。米国オハイオ州立大学大学院修士課程修了。専攻は賛美歌学。1962年以降青山学院大学講師、助教授を歴任。現在、同大学教授(英語、文学等を担当)他、フェリス女学院大学音楽部講師、東京神学大学講師、日本聖書神学校講師等を務める。幼時から星に親しみ、中学時代から変光星を観測。星座の神話、星の名の研究をはじめ、都内で星のカラー写真撮影を続けている。日本天文研究会会員。1957年、天文博物館・五島プラネタリウム開館とともに学芸委員に。現在、同館理事、運営委員。著書に、『星座の神話』『星座の文化史』を等、多数。1952年以来、雑誌「天文と気象」(現・「月刊天文」)「天文ガイド」等に連載執筆。現在、月刊科学誌「ニュートン」に『星物語』、「スカイ・ウォッチャー」に『星座博物館』を連載中。各地市民大学の講師も歴任している。

1993年4月号掲載


宇宙時代到来で天文マニアが増えてきた

──先生が星と関わるようになったきっかけは何ですか。

 たまたま小学校に入る前の年に、家の者が夏の星座を一つ教えてくれたんです。その時からなぜか星に興味を持つようになって、ちょうど次の年に日食なんかもあったりしたものですから、それが尾を引いて、だんだん病み付きになってしまいました。

──東京の真中で星の写真を撮っていらっしゃるそうですね。

 ええ。世田谷の自宅でです。都会の空は光害や排気ガスなどいろいろ条件が悪くて、普段は見えにくいんですけれども、しかし、月に数回はスーッと透明度が増してきれいに見える日があるんです。

──星に関心を持つ人や天文マニアが増えているということですが…。

 確かに、増えています。中でもここ十数年特に顕著になってきたのは、星の写真を撮る人が増えてきたということです。カラー写真が非常に進歩した、特に感光材料、フィルムがよくなったということが大きいと思います。カメラの性能も良くなりましたしね。

若い人なんかは富士山5合目とか八ヶ岳あたりまで車で行って撮影する。そういう人になると、星が動くのを追い掛ける装置を使ったりもしますね。そうやってきれいな写真を撮って楽しむのが天体写真撮影の第一歩なのです。

──今、日本中でどのくらいのマニアがいるんでしょうか。

 正確には把握できませんが、天文の専門雑誌の発行部数から推測して、数万人という桁でしょうか…。

──雑誌を買わない人もいるでしょうから、相当な数ですね。

 ええ。プラネタリウムや天文台はもちろんのこと、いわゆる“宇宙時代”が与えた影響も大きいでしょうね。アポロが月に人間を送り込んだとか、ボイジャーが土星の輪を撮影したといった報道で興味を持ち始めた人は多いと思います。

──アマチュアでどんな観測ができますか。

 例えば、火星と木星の軌道の間に小惑星という小さな天体がたくさんあります。すでに、5,000個ぐらいは番号が付いていますが、まだまだいくつあるか数えきれないくらいです。それらが通る場所はだいたい決っていますから、そこをカメラで狙っておきます。

そして、数時間ないし数日隔てて、撮ったもの同士を比べると、普通の星は位置が変らないけれども、小惑星は動いているので分ります。そういう観測もできますし、変光星の測光や、かすかにしか見えないような彗星も発見できるんです。毎年何十と見つかっているんですよ。私も昨年都内で、スイフトタットルという彗星を撮影しました。

──なるほど。やり始めたら、結構はまってしまいそうですね。


星座の始まりは実用的な目的からだった

──ところで、夜空を眺めていて「あれはおおぐま座だ」とか「オリオン座だ」など、だれでも一つ二つは星座の名前を知っていると思いますが、星座というのは、いつ頃から何のためにできたのでしょうか。

 今、世界共通で使われている星座は西洋天文学からきたもので、これはメソポタミア時代から始まったと言われています。

大昔は、太陽や星の動きとか位置をもとに方位、季節、時刻などを決めていたわけで、星座も実用的なものでした。星に目印をつけて覚えやすくする、あるいは伝えやすくするためのものだったと思います。そしてそこから暦なども発達した。例えば、今の暦の基本になった有名なエジプトの太陽暦なども、毎年起るナイル川の氾濫を予知するためにできたもので、やはり星の観測をもとにしています。

また、王や権力者などは、そうした暦をもとに、国民に種まきの時期や航海を指示したわけで、昔から天文学は帝王学とも言われています。

──王様の権威づけにもなったわけですね。

 ええ。その一つの証拠として今残っているのが、紀元前12世紀頃、当時の新バビロニア王ネブカドネザル1世がおそらく臣下に土地を与えた時、境界に印のために立てたとされる石です。それには太陽、月、惑星のような星とともに、星座が彫り込まれているんです。王様がこういう石を与えて、あるいは設置して「ここからここまではおまえの領地」というふうに決めたようです。

──なるほど。星座というのはもともとは実用的な意味でできてきて、それが暦などに発達していくに従って、人々の間に「星座」というものが浸透していったのですね。

天文博物館・五島プラネタリウム(東京・渋谷)館内に展示してある古い星図を見ながら
天文博物館・五島プラネタリウム(東京・渋谷)館内に展示してある古い星図を見ながら

昔の人たちも星にロマンを感じていた

──星座の中にはギリシャ・ローマ神話と関係のある名前が多いようですが…。

 ギリシャ・ローマ神話と星座のつながりというのはおもしろいですね。例えばオリオンは蠍(さそり)に食い殺されたという神話があって、さそり座が出てくるとオリオン座が沈んでしまうのは、オリオンがいつも蠍から逃げているからだ、と言われています。また、星座の生立ちにもいろいろあって、単に神話の中に登場する人や動物や物をこじつけたような星座もありますし、どうしてこの星とこの星をつないだのかと思われるような非常に荒唐無稽なものもあります。どちらがどうということではなくて、みな一緒に発達していったようです。

──でも、神話の主人公たちが空にいるというのは、当時の人々のロマンというか、星への思いみたいなものが感じられますね。

 ええ。実用性だけでなく、昔の人も夜空の星座にロマンティックなものを感じていたんですね。しかもギリシャ・ローマ神話というのは、例えばゼウス(ジュピター)が白鳥に化けて女性に近づく、というように非常に人間的ですから、その後キリスト教世界にも伝わって、何千年もの間、変らずに語られてきたというのも分ります。

投影室にて
投影室にて

1928年、公認星座を88個に決定

──星座の数というのは、いくつくらいあるんですか。

 現在、正式に使われているものは88個ですが、そのうちの48個がギリシャ・ローマ時代からあったものだそうです。

近世、コロンブスなどに代表される大航海時代に、人間が南の方に行くと、それまでヨーロッパや北半球では見えなかった星が見えるようになりました。航海の目印としてそういう星も星座として付け足していったわけです。

──なるほど。どんどん増えていったわけですね。

 ええ。その上、望遠鏡の発達などで、暗い星も見えるようになり、従来の48個の星座の周辺や、隙間の星も埋めていく必要が出てきました。

「星図」というのをご覧になったことがあると思いますが、19世紀の初め頃から星座と星座の間に境界線を引くようになったんです。それで星図をつくる人によって、線の曲がり方や星座の数が違うということ、また、同じものでも名前が違っているということもあって、そのまま野放しにしておいてはまずいということになり、第1次大戦後の1928年に、当時の国際天文連盟(現・国際天文学連合)が公認星座を88個に決定しました。そして、正式な名前はラテン語にすることや、境界線も地球上の緯度・経度に平行な線できちんと決めたんです。今は、肉眼で見える星はもちろん、かなり暗い星まで必ずどれかの星座に属しています。惑星は別ですが…。

──そうすると、星の位置を伝えるとき、どの星座のどの位置ということが世界共通で正確に伝えられるようになったわけですね。

 ええ、確かに便利ですよ。例えば、ハレー彗星が何月何日にどこの星座のどの星のどっち側を通ったとか、分りやすく伝えることができますからね。

──星座にも、そんなふうに国際的な取り決めがあるなんて知りませんでした。

ところで、先生の今までの功績が評価され、新しい星に先生の名前がつけられたと伺ったのですが…。

 はい。1989年に日本で串田さんと村松さんが発見された小惑星なんですが、1991年の国際天文学連合の小惑星部会で正式に「HARA」と命名されました。

──それはすごいですね。夜空の星に自分の名前がつくなんて…。星を見るのが今まで以上に楽しくなるでしょうね。

今日は勉強になりました。都市での星座観測はいろいろ障害があって大変かと思われますが、どうかこれからも、われわれの身近なところで夜空を見続けていってください。ありがとうございました。


近況報告

1996年に青山学院大学を定年退職。現在は東京神学大学他2校で非常勤講師を務める。15年間にわたり連載していた「ニュートン」誌の「星物語」は昨年末で執筆者を交替した(「スカイ・ウオッチャー」は廃刊)が、その他の執筆業では忙しい日々を送る。日本キリスト教団讃美歌委員会の『讃美歌21』(97年)、『讃美歌21略解』(98年)の編集・出版に携わるほか、現在は80年に発行した『讃美歌−その歴史と背景』(日本キリスト教団出版局)の全面改訂版を執筆中。また天文関係では、旧著『星座の神話』(1975年)が改訂新版として発行された。「個人的には相変らず星を見て、写真を撮っています」とのこと。なお、取材時にお邪魔した「天文博物館・五島プラネタリウム」は業績不振のため、残念ながら2001年3月で閉館した。


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