こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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現代にも通じる諸子百家の哲学思想。 文明と自然と人間のあるべき関係が さまざまに語られています。

孔子・墨子・老子も環境問題について論じていた?!

東北大学大学院環境科学研究科教授

浅野 裕一 氏

あさの ゆういち

浅野 裕一

1946年宮城県生れ。71年東北大学文学部哲学科中国哲学専攻卒業、76年東北大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。77年島根大学教育学部助手、78年同大講師、82年同大助教授、88年東北大学教養学部助教授、91年同大教授、93年同大大学院国際文化研究科教授に就任し、2003年より現在に至る。最近は、中国で発掘された竹簡資料をもとに、古代中国の哲学思想を研究。諸子百家像の解明に力を注いでいる。著書に『古代中国の宇宙論』(06年、岩波書店)、『竹簡が語る古代中国思想ー上博楚簡研究』、『古代思想史と郭店楚簡』(ともに05年、汲古書院)、『諸子百家』(04年、講談社学術文庫)など、多数。

2008年2月号掲載


諸子百家にまつわる新資料が続々と発掘

 

──先生のご専門は中国哲学だと伺っております。

近頃、孔子、荘子、墨子など、古代中国の春秋戦国時代に現れた「諸子百家」に関する重要な資料の発見が相次いでいるそうですね。

そのあたりのお話からひとつ・・・。

 

浅野 1993年、中国・湖北省荊門市郭店の墓陵で、儒家・道家に関連する竹簡が出土し、これが大変な話題を呼んでいます。

 

春秋戦国時代の楚の都の北方にある、貴族の墓稜地より発掘された竹簡「郭店楚簡」の模式図 春秋戦国時代の楚の都の北方にある、貴族の墓稜地より発掘された竹簡「郭店楚簡」の模式図

 

──竹簡というと、紙が発明される前に書写の道具として使われていたものですか?

 

浅野 そうです。諸子百家の書物はいろいろ残ってはいるものの、そのほとんどは紙に印刷された版本、つまり木版印刷術が普及した宋時代(A.D.960〜1279)以降のものでした。

そのため、諸子百家の著作の成立年代が定かでなく、古代思想において、極めて重大な問題として、さまざまな議論がなされてきたのです。

具体的には、伝承どおり春秋戦国時代(B.C.770〜B.C.221)に書かれたものか、それとも秦(B.C.221〜B.C.206)(B.C.202〜A.D.220)以降に書かれたものかが争点でした。

しかし、この竹簡が発見された墓というのは、春秋戦国時代中期に造営されたものです。

この竹簡を「郭店楚簡」と呼んでいるのですが、これには秦の始皇帝が文字統一する前の古い字体で諸子百家の著作が書かれており、その文献が秦時代以前にすでにあったことを 示しています。

戦国期の墓から思想関係の文献がまとまった形で発見されたのは初めてのことで、その後、この郭店楚簡と同時代の竹簡が立て続けに発見されたこともあって、現在、欧米や中国、台湾の研究者が先を争うように一斉に研究をしているんですよ。

 

竹簡が発掘された郭店一号楚墓を示すプレート(左)。墓の場所は戦国期の楚の首都「郢(えい)」の近郊<写真提供:浅野裕一氏>  
竹簡が発掘された郭店一号楚墓を示すプレート(左)。墓の場所は戦国期の楚の首都「郢(えい)」の近郊<写真提供:浅野裕一氏>

 

──孟子や荘子がまさに生きていた時代の書物なんて、エキサイティングですね。

 


 

 

 

孔子や墨子の時代にすでに環境問題が語られていた?!

 

 

──ところで、諸子百家では、現在、環境問題として取り上げられるような自然や文明、社会のあり方などについて、すでに論じられていたようですね。

 

浅野 この時代は黄河文明が高度化し、都市化が進みました。そのため、当時の思想家達は、文明と自然と人間のあるべき関係について、さまざまな思索を試みています。

例えば孔子に代表される儒家では、統治階層は華麗に装飾を施した邸宅や衣服などを使用してこそ、身分の格差を表示でき、文明社会の秩序が維持されるのだと主張しています。

王侯貴族が華美な装飾を施すのに必要な資源を自然界は十分供給できると考えていました。

つまり、自然と人間の関係に対し、楽観的で、あくまでも文明の高度な発展を全面的に肯定し是認していたわけです。

 

──では、その反対の意見も?

 

身近な諸子百家の言葉
身近な諸子百家の言葉

 

 

浅野 はい。墨子に代表される墨家は、自然界から取り出せる富の総量は、人類すべての生存を保障できるかどうか危ぶまれる程、絶対的に不足していると考えており、そのため、富の節約と勤勉な労働による富の増産が必要だと主張しています。

根本的に自然に対しては悲観的です。ただ、文明社会は維持されるべきとの立場をとっており、だからこそ富を節約し、増産が不可欠だと考えました。

 

 

 

──儒家も墨家も、あくまで人間を中心に自然を捉えているんですね。

 

浅野 はい。その点、老子に代表される道家は、文明よりも自然は先行して存在しており、人間は自然の一部にすぎないと捉えています。

自然は人間の規範であるにもかかわらず、人間は欲望を満たすために文明を発達させており、文明の発達が増長すればする程、世界はますます混乱の度を深めるだろうと。

 

──古代において、まるで現代で論じられているような文明への警告がなされていたのですね。

 

しかしながら、今日に活かされていな ただ、われわれは文明や都市化を完全に悪者としては捉えられませんよね。

実際、都市 化によって安全で便利な、そして豊かな生活を手に入れている・・・。

 

浅野 ええ、その通りだと思います。 われわれは間接的な利害というのを頭では理解していますが、直接的な利害のほうが切実です。

ですから、このまま文明を発展させれば地球環境に悪影響がでることを認識していても、「では、今、地球環境のために経済活動を停滞させていいか」と聞かれれば、大多 数の人は好景気でなければ困る、経済成長を進めてもらわなくては困る、というでしょう。

乱暴ないい方をすれば、そういった問題は自分が死んだ後に解決して欲しいと・・・(笑)。

 

──確かに。しかしその一方で、物質的な繁栄を追い求めるのを少し抑制して、もっと別の精神的な幸福感を求めるべきではないか、といった考えも生れてくるわけですね。

 

浅野 ええ、それはまさに道家思想ですね。

ただ、そういったことを頭で理解できても、 大多数の人間がそういった考えを受け入れないと、世の中の合意にはなりません。

環境問 題についても、一人ひとりがわが身に関わる問題だと認識する、そして大多数の人々が動 き出さない限り本格的な運動にはならないと思うのです。

 

──つまり一部の人々の急進的な環境活動や大多数の合意が取れていない活動は、実を結 ばない、と。

 

浅野 結果的にそうなってしまうのではないかと思います。

 

──先生のご専門が中国哲学でありながら、大学では環境科学という研究分野におられる 理由も分かるような気がします。

 

 


 

「地球環境保護」が 時代の正義

 

浅野 こういってしまうと誤解を受けるかもしれませんが、あえて問題提議をさせていただきたいのです。

実際に、このテーマで講義をしたこともあるんですが、「環境問題は本当に存在するのか」と。

 

──というと?

 

浅野 例えば私の趣味は化石の採集で、古生物学をやってきたともいえます。古生物学 では地質年代で物事を捉えます。

 

──例えば地球誕生から46億年、人類が誕生して50万年〜100万年だとか?

 

浅野 そうです。そういう地球史的なスパンで物事を考えますと、500年や1000 年というのは、存在しないにも等しい年数なんですね。

つまり、今、私達が生きている時 代は新生代の第四期に区分されている時期で、170万年くらい続いているわけですが、 この第四期は氷河期と間氷期の繰り返しなんです。約1万年前にウルム氷河期という最後 の氷河期が終わり、現在は間氷期に入っている。地球はこれまで絶えず寒冷化と温暖化を 繰り返してきているんです。

そういう視点で考えると、人間の活動如何に関わらず、地球 の温暖化は起こる、とも考えられるわけです。

 

竹簡の出土により、各国の研究者が活発に研究している。武漢大学(中国)で浅野氏が開会スピーチを行なった「新出楚簡国際学会」の様子。
竹簡の出土により、各国の研究者が活発に研究している。武漢大学(中国)で浅野氏が開会スピーチを行なった「新出楚簡国際学会」の様子<写真提供:浅野裕一氏>

 

 

──人間の活動が、温暖化を加速させたり助長させているといえるかもしれないけれど、 何をどうやっても次の氷河期がくるまでは温暖化は食い止められないのではないかと。

 

浅野 そうとも考えられます。


「環境問題」の「環」という字は「リング」という意味ですが、そのリングの中心にい るのはあくまでも人間。人間を中心としてこの世界を捉えた問題意識です。 

地球温暖化と同時に、絶滅危惧種などを憂えた生態系の話題も多いのですが、それはあ くまでもそういった生物が生きられない環境になってしまえば、人間も生きられなくなる という指標として捉えられている面がある。いわば「炭鉱のカナリア」です。

そういった ことを改めて踏まえたうえで、今一度、環境問題について考えてみる必要があると思って います。

 


──確かに。あまりよく物事の本質を考えないで、スローガンのように地球環境保護を声 高に叫ぶ傾向もあるように感じますね。

 

浅野 ええ。現代では地球環境保護が_時代の正義_になっていると思います。

ただ、基 本的に世の中すべての人が正しいと賛成するような運動は、物事の本質を見誤る危険性が あるのではないかとも思うんです。

中国・湖南省長沙で「里耶楚簡」の実物を調査する浅野氏と研究員<写真提供:浅野裕一氏>
中国・湖南省長沙で「里耶楚簡」の実物を調査する浅野氏と研究員<写真提供:浅野裕一氏>

 

──その点、諸子百家の時代は多くの思想や考え方に恵まれており、さまざまな角度から 論じられていますね。

 

浅野 そうですね。 古代において、文明の発達について深刻に考えた人がいて、深い危惧の念を思想として 形成した。

その体験というのは、現代文明のわれわれにとっても、ひとつの経験、先人の 経験として教材になりうるのではないだろうかと。

 

──つまり、加速度的に進む文明の発達に対し、それぞれ人間がどのように対処したか、 一つのケーススタディになるということですね。

それしてもわれわれは、文明や環境問題 に対し、もう少し冷静に対処する必要がありそうです。 大変勉強になりました。

本日はどうもありがとうございました。


近著紹介
『古代中国の文明観―儒家・墨家・道家の論争―』(岩波書店)
近況報告

2010年3月末で東北大学大学院環境科学研究科をご退官


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