こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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われわれの生活の中で、大切な役割を担っている「音」。 もっと関心を持ってもらえたらうれしいです。

身近な「音」について知るための「音響学」

(一財)小林理学研究所理事長・東京大学工学博士

山下 充康 氏

やました みつやす

山下 充康

1938年東京都生まれ。64年学習院大学大学院自然科学研究科物理学専攻修士課程修了、79年東京大学で工学博士号を取得。これまで東京音楽大学、学習院大学理学部、日本大学文理学部等で「音響学」の講義を行っており、現在は(一財)小林理学研究所の理事長。環境省の音響保全事業「残したい日本の音風景100選」の座長も務め、騒音研究では国内外から高い評価を受けている。著書は、『謎解き音響学』(丸善)、『音饗額−名画に探る音の不思議』(建築技術)、『音戯話』(コロナ社)など。

2013年5月号掲載


「音響科学博物館」で、音の歴史を観る

──先ほど、日本でも大変珍しいという「音響科学博物館」を見学させていただきました。1900年代初めに市販されたエジソンの蝋管型蓄音機から、警報器や拡声器、鼓笛(こてき)まで、歴史の中で活躍した「音」に関するさまざまな道具を見て、懐かしく温かい気持ちになり、とても楽しかったです。博物館にある200点以上もの楽器や道具は全て先生ご自身の所蔵品なのだそうですね。貴重なコレクションの数々に感服しました。
実は、先生のご研究されているテーマが「音響学」と聞き、最初は「何だか難しそうだな・・・」と思っていたのですが、本日博物館を見学させていただき、改めて音に対する新鮮な興味が湧いてきました。

山下 それはうれしいですね。
音響学と聞くと、何やら難解な学術分野の話だと受け止められがちですが、われわれの身近にある「音について知るための科学」と考えれば、それほど難しいものではないんですよ。

1903年にイギリスで製作された「エジソンスタンダードフォノグラフ(蝋管式蓄音機)」(写真上)。実際に蓄音機が奏でる音は、ホーンの正面に立つと思わず耳をふさいでしまうくらいの迫力。音質は、昔のレコード盤の音と似ている(写真下)

 ──そうなんですか。でも、われわれは普段、音についてあまり深く考えたりすることはないですね。音響学という言葉も耳慣れないですが・・・。

山下 そうですね。何しろ「音を科学する」ことを始めたのは、ほんの100年くらい前のことで、音響学はまだまだ新しい分野の学問なんです。絵画や彫刻、建築、人体など、極めて広い分野で功績を残しているレオナルド・ダ・ヴィンチでさえ、音に関する科学機器は残していませんから。


──それは意外ですね。あのダ・ヴィンチも、音には特別の関心を寄せなかったなんて・・・。
でも、普段は取り立てて気付きませんが、音楽や会話、合図や警報など、われわれは音を使いこなしながら生活しています。そう考えると、音が果たしている役割は大きいといえますね。

山下 その通りです。
例えば、ペンのキャップを閉じるときの「カチッ」と鳴る音で、キャップが確実に閉じられたことを確認できますね。部屋の電灯のスイッチや自動車のドアロックなどもそうです。また、時代劇の合戦の場面などで、ほら貝やドラ、太鼓による音信号が使われる光景を目にしますが、これは音というものが昔から広い範囲に散らばっている仲間に指令を伝える手段として使われていたことの証しでもあります。不意の敵の襲来に備えて地面に耳を当てるとか、飛行機の音を聞いて敵機の存在を知るなどもそう。音は軍事とも深い関わりがあったようです。

音のないところに音を感じる、日本人ならではの感性

──とても興味深い話ですね。
ところで、先生はなぜ音響学のご研究を始められたのですか?


山下 大学4年生のとき、現在私が理事長を務めている小林理学研究所の先々代理事長から「音の研究をしてみないか」とお誘いを受けたのがきっかけです。もともと、コンサートホールの設計などを研究しており、反射や残響など音の性質について興味があったので、音の世界に本格的に足を踏み入れることとなったのです。

──先生のご著書を拝読し、音響学というのは物理や工学、心理、医学など、とても守備範囲の広い学問だということを知りましたが、中でも特に先生が「面白い」と感じられていることは何ですか?

山下 日本人が持つ、独特の「音感性」でしょうか。

補聴器のコレクション。今日では耳の中に隠れるほどの小さな寸法で高性能な補聴器が開発されているが、電気回路以前のラッパ型の大きなものや、弁当箱に真空管と電池を組み込んだものなど、歴史を感じさせる数々の補聴器が展示されている

──といいますと?

山下 例えば、日本の漫画などでよく「しぃーん」という文字表現を書き込んだ絵を目にしますが、欧米では見たことがありません。静寂とは音がない状況であるはずなのに、あえて音を使って静寂を巧みに表現する。こうした日本人の静けさ表現技術は、実に趣があってユニークだと思います。

──そういえば、音もなく降り積もる雪を「しんしん」、かすかな風の音を「そよそよ」といったり・・・。これらの表現も同様に、いつの間にか日常的な音表現として定着しています。

山下 そうですね。日本人の音感覚はとても独特です。茶室で聞く湯のたぎる釜の音や、畳をする足袋の音も、静けさを強調しているように感じられます。また、日本庭園で見かける「ししおどし」も、音が存在することで無音の世界よりも静けさを感じさせる効果があるといわれています。

「騒音」は人が出す音。ならば人が解決できるはず

──ところで、先生は「騒音」についてのご研究でも有名で、その問題にとりわけ深く関わってこられました。しかし一口に騒音といっても、車や工事現場などから出る騒音に加え、ペットの鳴き声やカラオケといった近隣騒音、生活騒音など、さまざまなテーマがあります。騒音問題の解決は、非常に難しそうですね。

 


 

山下 大変難しいです。人は音を聞いたときに嫌いと思えば騒音になりますので、全ての音が騒音になり得る危険性をはらんでいるといっても過言ではありません。音との付き合いは日常的であるだけに、いったん敵に回してしまうと、その始末に苦労させられるのです。

音響科学博物館で人気を呼んでいる、大口径のラッパを備えたアンティークな蓄音機の前で

──厄介な問題ですね。でも考えてみれば、騒音は人間が出す音です。ということは、われわれにできる対応策が何かあるような気がします。

山下 おっしゃる通りです。例えば、電車内でイヤホンから音が漏れないようにするなど、ちょっとした配慮がされれば、好ましい音空間の創造が実現できるはず。そのために、まずは少しずつでも音に関心を持っていただけたらうれしいですね。

── 一人一人が気を付けて生活していくことが、騒音問題の解決につながっていくんですね。

音響学とはつまるところ「聴覚」。その不思議に迫りたい

──現在、先生が一番興味を持たれていることは何ですか?


山下 ズバリ聴覚です。
耳の基本的な機能は、実は胎生6ヵ月で完成していて、胎児はお母さんのお腹の中で音を聞いているといわれています。五感の中で、聴覚は極めて早い時期から機能し始めているんですよ。
先ほどの騒音にしても音を伝える仕組みにしても、基本は聴覚なんです。つまるところ、音響学とは聴覚の話なんですね。聞かなければ音を知ることはないのですから。今後は、その聴覚の不思議に迫るための勉強をしたいと思っています。

魚の姿をしている「魚板」(全長82cm)。京都の禅寺などでは、これを打ち鳴らして食事や起床の時刻を知らせていたらしい。また、腹を叩くことによって煩悩を吐き出させる意味もあったのだとか

──なるほど。音は大切な感覚であると同時に、広く、また奥深いテーマであると知りました。私も、われわれの身近にある「音について知るための科学」にもっと関心を持ちたいと思います。
本日はありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 


近況報告

※山下充康先生は、ご永眠されました。生前のご厚意に感謝するとともに、慎んでご冥福をお祈り申し上げます(編集部)


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