こだわりアカデミー
小さな気付きから大きな発見を導き出す。 それこそ考古学の醍醐味
邪馬台国は畿内にあり
大阪大学大学院文学研究科教授
福永 伸哉 氏
ふくなが しんや

1959年広島県生まれ。大阪大学文学部史学科卒業、大阪大学大学院文学研究科博士後期課程に学ぶ。文学博士。大阪大学埋蔵文化財調査室助手、大阪大学文学部助教授、大阪大学大学院文学研究科助教授を経て、2005年より現職。国や地方自治体の文化財関係の委員も務める。主な研究テーマは、三角縁神獣鏡、前方後円墳などに関するもので、弥生時代・古墳時代の歴史を、中国や朝鮮半島を含めた東アジアの歴史動向の中で再構築することを目指している。著書は『シンポジウム三角縁神獣鏡』(編著・学生社)、『邪馬台国から大和政権へ』(大阪大学出版会)など多数。
2014年9月号掲載
「そこに卑弥呼はいた」。強大な権力の証を見つける
──先生のご専門は、弥生から古墳時代にかけての研究と伺っています。特にその時代の謎として誰もが関心を持つテーマが邪馬台国の所在地。私も先生のご著書『邪馬台国から大和政権へ』を興味深く拝読させていただきました。それにしても考古学というのは、綿密な調査の上で物証や文献から推理を組み立てていく…まるで名探偵が犯人を追いつめていくかのようですね。
福永 名探偵は最後には犯人を当てますが、考古学ではそう簡単にいきません(笑)。ただ、邪馬台国に関しては、もともと九州説と畿内(近畿)説があったのですが、最近の研究により、畿内説が有力視されるようになってきています。
──ほう。畿内説の根拠となるものは何ですか?
福永 そこに3世紀前半ごろ、強大な権力があったことが、近年の調査・研究で明らかになったことです。
──物的証拠としては、具体的には?
福永 まず、「鉄」です。鉄は古代では刃物の原料となる貴重な金属でしたから、たくさんあった場所には当然、大きな権力があったと推定できます。以前は九州の勢力が大陸からの鉄の流通ルートを支配していたというのが定説でしたが、20年ほど前に、開発に伴う京都府北部の発掘調査から鉄がたくさん出土する遺跡が見つかったのです。これによって日本海側の北近畿から大阪平野方面へかけての北回りの流通ルートが存在し、畿内勢力も相当量の鉄を握っていたことが分かりました。
──それは大発見ですね!
福永 はい。さらにその上、当時の権力のシンボルとなった、「三角縁神獣鏡」が一番多く出土しているのが奈良盆地を中心とする近畿地方であることも有力な根拠と考えられます。
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| 三角縁神獣鏡。長寿、子孫繁栄などの吉祥句の銘文が刻まれている。直径24�僉⊇杜面�1.3�圈匱命芯鷆 �福永伸哉氏〉 |
──権力のシンボルですか。三角縁神獣鏡とは、どのようなものでしょうか?
福永 中国の不老長寿などの神仙思想が織り込まれた鏡です。『魏志倭人伝』には中国の魏の皇帝が卑弥呼に鏡を100枚与えたと書かれており、それによって、卑弥呼が当時の最高権力者であったと考えられているのです。
──権力のシンボルが「鏡」だったと…?
福永 そうです。当時の有力者たちは勢力が強くなると、それを誇示するために何か立派なものをシンボルとして持った。また何をシンボルとしているかで政治的な同盟関係も確認できたのです。もともとそれ以前、九州では銅矛、近畿から東海にかけては銅鐸が権力のシンボルとされていたのですが、ある時点から三角縁神獣鏡がシンボルとして用いられるようになった。銅鐸などは、時とともに次第に巨大化し、一番立派な1m40�儷瓩い發里�出来た時点で突然消えているんです。
──新しいシンボルとして鏡が急に登場したと?
福永 はい。そして中国の文献によれば、ちょうどそのあたりが卑弥呼の登場時期と重なっています。勢力争いの「倭国乱」が終結し、優勢だった有力者を中心に国内がまとまり、そこで全体の代表者として卑弥呼が担ぎ出されて手打ちとなった。とすれば、近畿や東海、九州のシンボルを廃止して、全国的な統一シンボルを用意しようという動きがあってもおかしくないと思います。
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| 約20年前に滋賀県の遺跡から出土した三角縁神獣鏡の精巧な樹脂製レプリカを確認。錫の含有量が多い青銅のため、当時は100円玉のような色をしていたのだとか |
──なるほど。大改革が行われたというわけですね。
突如、巨大化した墓が出現。大和政権とのつながりも
福永 さらにもう一つ、「大規模な墓」も一つの証拠です。中国のある史料では、魏の正始年間(240〜249年)に卑弥呼が亡くなったと書かれています。実はその頃、飛躍的に巨大化した古墳が奈良盆地に出現するんです。
──古墳が巨大化…。どれ位の大きさですか?
福永 桜井市にある纏向(まきむく)遺跡の中に箸墓(はしはか)古墳という古墳がありますが、全長280mという大きさです。それ以前の墳墓は大きくても70〜80mでした。
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| 「箸墓古墳」(奈良県桜井市)。周辺の発掘調査で出土した土器の付着物を炭素14年代法で測定した結果、240〜260年ごろにつくられた最古の古墳だと判明〈写真提供:桜井市教育委員会〉 ※転載不可 |
──急に3倍以上になるとは、やはり巨大権力の存在を感じさせますね。もはや邪馬台国は畿内だったと言っていいのではないでしょうか。
福永 そうですね。私はそう考えています。さらに箸墓古墳が卑弥呼の墓と仮定すれば、卑弥呼と大和政権とのつながりも類推できます。
──どのように?
福永 古代の天皇の中で、実在した人物として最も古い存在は10代目の崇神(すじん)天皇とされていますが、崇神天皇の墓は箸墓古墳の近くにあり、周辺には複数の巨大な前方後円墳がある。出土する土器の様式の違いから、これらの墓は時期が少しずつずれていることも分かっています。こうした状況から、卑弥呼と後継者の女王・台与(とよ)、その数代後が崇神天皇だとすれば、卑弥呼から大和政権の最初の天皇まで、その一帯を中心に権力を維持し、繋がっていると考えることが可能となります。
──なるほど。もう間違いないような気がしてきました。
魏特有の技法に着目。畿内説の決定打に!
──ところで、先生は畿内説に関する決定的な発見をされたとか。
福永 はい。三角縁神獣鏡が、魏でつくられた証を発見しました。実は、三角縁神獣鏡は中国では1枚も出土していないことから、それまでは、日本で独自につくられたのではないか、とか魏と対立した呉の工人の手によるものだという説があったのです。
──どのようにして発見されたのですか?
福永 20年ほど前に、三角縁神獣鏡のまん中にあるひもを通す穴(鈕孔:ちゅうこう)の形が、中国の銅鏡の中では珍しい長方形をしていることに気付いたんです。それからは、各地で出土した鏡の穴ばかり観察して歩きました。3年くらいかけて千数百枚は見たでしょうか。
その結果、三角縁神獣鏡の長方形鈕孔が、魏の中でも皇帝直属の工房の工人に特有な技術であると突き止めたんです。
──粘り強さの勝利!大発見だったのですね。
福永 こういうささいなところから大きなことを発見することが、まさに考古学の醍醐味といえます!
──本当にそうですね。今後はどのような研究テーマを?
福永 世界の巨大墓の比較です。秦の始皇帝の墓など、世界にも箸墓古墳のように突然巨大化した王の墓が出現した例がいくつかあります。どういう条件が整うとそんな墓が出てくるのか。きっと人類史上意味のあることだと思います。来年から5年間、中国、トルコ、エジプトなど世界10カ国の研究者と共同で国際比較研究をする予定です。
──非常に壮大なテーマですね。ぜひ、巨大墓出現の秘密も解き明かされることを楽しみにしております。
本日はどうもありがとうございました。
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| 「雪野山古墳」(滋賀県東近江市)前方後円墳の石室〈写真提供:福永伸哉氏〉 |
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| 「長尾山古墳」(兵庫県宝塚市)での発掘調査の様子〈写真提供:福永伸哉氏〉 |
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| 『邪馬台国から大和政権へ』(大阪大学出版会) |
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