こだわりアカデミー
イギリスの近代都市づくりを進めたのは 実はコレラだったのです。
誤解が生んだ「近代化」−コレラとイギリスの奇妙な関係−
歴史学者 中央大学文学部教授
見市 雅俊 氏
みいち まさとし
1946年、東京都生れ。70年東京教育大学文学部卒業。74年一橋大学社会学研究科博士課程中退。京都大学人文科学研究所助手、和歌山大学経済学部助教授を経て、現在、中央大学文学部教授。著書に『コレラの世界史』(94年、晶文社)、『ロンドン─炎が生んだ世界都市』(99年、講談社)、共著に『路地裏の大英帝国』(82年、平凡社)、『青い恐怖・白い街』(90年、平凡社)『記憶のかたち』(99年、柏書房)、『疾病・開発・帝国医療』(近刊、東大出版会)、共訳に『ダウニング街日記』(90年、平凡社)。
2001年8月号掲載
コレラ=不道徳?! 誤解が生んだ近代化
──イギリスの衛生改革や近代都市づくりが、実はコレラをきっかけとして行なわれていったということですが…。
見市 面白いのは、まるで見当はずれな論理や観点から、意外にもそれらが正しい方向に進んでいった、という点です。その一番のポイントは、コレラが不道徳な病気だと認識されたことでしょう。
──なぜそのように解釈されたのですか?
見市 コレラ患者が老人や虚弱者、酒飲みといった貧困層に偏っていたためです。彼らは道徳的に劣っていると考えられていたので、「コレラ=不道徳」という方程式ができた。そこから、この“不道徳な病気”を退治するには、“不道徳な人間”の生活環境を道徳的に向上させなければいけない、という発想が生まれ、衛生改革が行なわれた。さらに、その過程でいろいろな誤解や社会的状況が絡まって、都市整備が進められていったのです。
──それだけ道徳が重要視された時代だったんですね。具体的に、どのように進められていったのですか?
見市 最初は、割と簡単なものからスタートしました。市民が住居内で飼っていた豚やその糞などを除去したり、空気を浄化するために木を燃やしたり、と…。
──コレラは空気によっても感染するんですか?
見市 いいえ。実際は水や食べ物からです。しかし、当時はまだ感染ルートが特定されていませんでしたから、空気の浄化も効果があると信じられていたんです。それに、都市の行政管理という点からみれば、大変意味のある行為だったと思います。
コレラの感染ルートは水だと、いち早く指摘したのは、ジョン・スノウという医師でした。彼はスコットランドのコレラ被害が重度だったのは、スコットランド人が愛飲するウィスキーと一緒に飲む“水”が要因であると指摘したのです。
──変った視点ですね。
スコットランドのウィスキー専門店。現在も愛飲家は多い |
見市 実は、スノウはもともと筋金入りの禁酒運動家だった、というのがミソです。「水によってコレラが感染する」説は、禁酒運動家にとって愛飲家を攻撃するための格好の材料となったんです。
──つまり、スノウはコレラを退治しようとしたわけでなく、自分に有利だからという理由で「水感染説」を唱えた…。
見市 目的はどうであれ、結果的には大正解、というわけです(笑)。
しかし一方、ロンドンでは水源であるテムズ川に下水やゴミがそのまま捨てられていて、とても飲めた状態ではなかったのです。そのため、市民は水の代りにビールをよく飲んでいました。その方がコレラにかからないという報告もされたため、禁酒運動家による「酒=コレラ」という説は説得力を欠いていったのです。
『「怪物スープ」の正体はこれだ!』(ウィリアム・ヒース画、1828年)。 「怪物スープ」とは、当時汚染のひどかったテムズ川の水のこと (「LONDON-WORLD CITY 1800−1840」) |
──この「水か酒か」、「病気か道徳か」という問題はどうやって解決されたのですか?
見市 ちょうどこの時代に紅茶が大衆化しますが、それが病原菌まじりの生水の代用品となり、いうなれば、コレラに対する「予防薬」となりました。おまけに、飲酒癖から抜け出す道徳的な飲み物としても認知されたのです。そして同時に、衛生改革の柱として上下水道も整備されていき、テムズ川もきれいになったというわけです。
──すべては結果オーライ、という感じですね。
『水道本管工事 トトナム・コート道路で』(ジョージ・シャーフ画、1834年)。 水道の普及も「道徳の向上」として考えられた (「LONDON-WORLD CITY 1800−1840」より) |
『コレラの世界史』(晶文社) |
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