こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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かつて東北地方には、「蝦夷(えみし)」 と呼ばれる朝廷の支配が及ばない人々がいました。

東北の支配者・蝦夷

歴史学者 福島大学名誉教授

工藤 雅樹 氏

くどう まさき

工藤 雅樹

1937年、岩手県生れ。61年、東北大学文学部史学科卒業、66年、東北大学大学院文学研究科博士課程修了。宮城学院女子大学教授を経て、福島大学行政社会学部応用社会学科地域文化講座教授。現在、福島大学名誉教授、博士(文学)。主な著書に『古代蝦夷の考古学』、『蝦夷と東北古代史』、『東北考古学・古代史学史』(以上98年、吉川弘文館)。この3冊により第8回雄山閣考古学賞受賞。『古代蝦夷』(2000年、吉川弘文館)、『古代蝦夷の英雄時代』(同年、新日本新書)、『蝦夷の古代史』(01年、平凡社新書)など多数。

2004年2月号掲載


蝦夷進出の1番の目的は、支配ではなく交易だった

──先生は北日本を中心とした古代史や考古学の研究をされていらっしゃいますが、本日は、かつて「蝦夷」と呼ばれた東北・北海道地方の人々と、朝廷との歴史について、いろいろとお話を伺っていきたいと思います。

今回、先生の著書「蝦夷の古代史」を読ませていただいて初めて知ったのですが、蝦夷の世界への進出は、国家政策において、とても重要な位置付けだったようですね。

工藤 そうです。東北や北海道地方は、国土面積が広く、ポテンシャルが高かったので、非常に魅力的な土地だったのだと思います。

──東北地方への進出が盛んに行なわれたのは、いつ頃のことなのでしょうか?

工藤 およそ6世紀−8世紀です。しかし当初は、進出の1番の目的は交易であり、領土支配のためではありませんでした。

──それは意外ですね。では、なぜ交易が始まったのでしょうか?

工藤 奈良時代−平安時代は、都の貴族が地方へ派遣され、各地を治めていました。そんな中、東北に派遣された地方長官だけは、通常の任務に加えて、政府の力を蝦夷の地域に浸透させるという特別な役割が与えられていたのです。

そうした中、蝦夷の世界で不足する物資を提供する代りに、現地の特産品や情報を入手するという取引が行なわれ、蝦夷との交易が深まったわけです。

──なるほど。朝廷と蝦夷は、始めから敵対していたのではなく、友好的な関係の時期もあったわけですね。

東北地方の城柵<資料提供:工藤雅樹氏>
東北地方の城柵<資料提供:工藤雅樹氏>

工藤 その通りです。この時代に蝦夷の地域に築かれた城柵も、戦いに備えた砦としてではなく、地方を治める役所として設けられたものでした。城柵には交換した物資が1度集められ、都へと運ばれていました。


近著紹介
『蝦夷の古代史』(平凡社新書)
近況報告

※工藤雅樹先生は、2010年1月29日にご永眠されました。生前のご厚意に感謝するとともに、慎んでご冥福をお祈り申し上げます(編集部)

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