こだわりアカデミー
われわれは自然とともに生きる 縄文人の心に帰っているのかもしれませんね。
弥生人の祖先霊信仰
歴史学者 明治学院大学一般教育部助教授
武光 誠 氏
たけみつ まこと
1950年山口県防府市生まれ。東京大学大学院国史学科博士課程を修了。現在、明治学院大学助教授。日本古代史専攻。主に、比較文化的視野を用いた日本の思想・文化の研究に取り組む。
著書「日本誕生−−『古代国家』大和とまつろわぬ者たちの物語」(91年発行、文藝春秋)は、近年の新発見を組み込みつつ、日本統一への道や古代史像を新たな視点で描いたもの。他著に、「邪馬台国100話」、「古代日本人の生活の謎」、「日本古代国家と律令制」などがある。
1991年12月号掲載
環境を見つめ直す"ゆとり"が出てきた日本
—— ところで、戦後日本の急成長の中で、企業は、競争に勝とう、シェアを拡大しよう、と必死になっていました。しかし、最近はそのへんはトーンダウンして、地域の住民との融和とかコミュニケーション、あるいは地球や自然と仲良くしようといったエコロジーの問題に取り組むところが増えてきています。企業PRもそういうことを積極的に打ち出す傾向が強いですね。まるで縄文時代に戻っているような感じですね。
武光 そういう部分もあるんでしょう。
これまで、経済中心の弥生時代的な価値観できたけれど、それが行き詰まってしまった今、ひょっとしたら弥生時代以来、大事なものを忘れていたのではないか、と考えるようになり、自然の中の人間というものを見つめ直す“ゆとり”が生まれてきたのではないでしょうか。
—— 確かにゆとりということもいえますね。
武光 また、この2〜3年の自然保護の動きを見ると、日本人は捨てたものではないな、日本人の良心は信用できるな、と思います。「割箸はひょっとして木の無駄遣いではないか」「フロンガスをなくそう」「埋立てになるプラスチックボトルはなるべくなくそう」という声が起こると、徐々にみんなに受け入れられて市民運動などに広がっていきますしね。
—— なんとなく浸透してくるという感じなんですね。日本人には、平均的に誰でもわかっていくというすばらしさがありますね。
武光 それは日本人の良さです。それと、日本人は勉強好きですし、雑誌や新聞もよく読みます。新聞記事にさりげなく自然保護のことが出た途端に、それがいつの間にか市民の声となっていくわけです。
—— 環境問題にしても、今後、国がどうのこうのしようというのではなくて、一人ずつの中で価値観の変化が出てきたらすばらしいですね。自然や環境にとっても力強い。
武光 意外にそれは早いんじゃないかと思います。
—— そう期待したいですね。本日はどうもありがとうございました。
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