こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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大地の崇拝から始まった神話。 神話なくして、人間は生きられません。

神話が明かす人類の歴史

神話学者 学習院大学文学部教授

吉田 敦彦 氏

よしだ あつひこ

吉田 敦彦

1934年東京都生れ。57年成蹊大学政治学部卒業、59年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了後、フランス国立科学研究所研究員を経て、70年成蹊大学文学部助教授、75年教授。82年より現職に。これまでに山崎賞、サントリー学芸賞、産経児童出版文化賞など受賞歴多数。主な著書に『縄文の神話』(87年、青土社)、『日本神話のなりたち』(98年、青土社)、『神話のはなし』(2000年、青土社-写真-)など多数。

2000年10月号掲載


物事の仕組みをすべて神話で説明

──先生は、神話研究で多くの業績を残され、国際的にも大変著名でいらっしゃいます。本日は、日本の神話を中心に、神話の成立ちや数多くある世界の神話についてなど、いろいろお伺いしたいと思います。

まず基本的なことですが、「神話」とはどういうものなのでしょうか。

吉田 そもそも人間は、いつの時代どの時代でも、物事がどうやって始まったのか、なぜ存在するのか、どういう仕組みなのか、神話によって説明してきました。社会システムから死生観、自分達の行動、物の起源、価値、社会のアイデンティティーまでも、神話で説明しています。

──なぜ、人間はそのような神話を持つようになったのでしょうか。

吉田 例えば、ミツバチやアリは、非常に複雑な社会システムを営んでいます。しかし、彼らは皆インプットされた本能に完全に従っているだけで、働きバチは蜜を運ぶことに何の迷いもない、まさに自然な行為なのです。それに対して人間の生き方は、反自然的です。集団ごとに異なる文化が形成されており、自分の文化の中で当り前のことが他からは野蛮に見えたりします。ですから、その文化で行なわれている一つひとつの習俗、システム、その文化が持っている価値観などをきちんと説明、定義しておかないと、自分の行動に迷い、ためらいが生じてしまいます。そうなると、文化は解体してしまいますからね。

──文化がある以上、必ず神話があるということですね。

吉田 そうです。神話のない文化はあり得ない、つまり人間は、神話がなくては生きられないといって良いでしょう。


すでに3万5000年前には「大地母神」信仰が・・・

──ところで、われわれ人間はいつから神話を持つようになったのですか。

吉田 人間がホモサピエンスとして、ものを考えるようになった時からです。実際に、遺跡や遺物などから、後期旧石器時代、だいたい今から3万5000年前のクロマニョン人が神話を持っていたことが推察できます。

──具体的には、どういうものだったんでしょうか。

長野県茅野市棚畑遺跡から出土した、縄文ヴィーナス像(左)<br>オーストラリア南部で発見された、先史時代のヴィーナス像(右)
長野県茅野市棚畑遺跡から出土した、縄文ヴィーナス像(左)
オーストリア南部で発見された、先史時代のヴィーナス像(右)

吉田 万物を生み出す「大地」を、女神として崇めることです。当時の生活形態は狩猟・採集が中心でした。自分達の生活に必要な獲物である動物を始め、すべてのものが大地から生れたのだ、そして自分達人間も同じように大地の子であったと考え、万物を生み出す大地を女神、「大地母神」として崇拝していたと思われます。

これは考古学的に推察されることで、実際に、遺跡から石炭岩やマンモスの牙などで精巧につくられた女神の像、「先史時代のヴィーナス像」が多く見つかっています。乳房や腹、股間など、女性が妊娠して産んで育てる働きと関係する部位が極端に誇張されており、明らかに、大地母神を表しているといえます。

──大地が出発点であるということを意味しているのですね。

吉田 そうです。また、クロマニョン人が残した遺物には、地下の洞窟に描かれた岩壁画もあります。洞窟の天井や壁には、獲物であるウシやウマ、マンモスなどの絵が折り重なるように描かれており、ヴィーナス像と並んで非常に有名な美術作品です。

──これもその時の神話、信仰を表しているものなんですか。

吉田 そうです。この絵がどういう意味を持っていたのかは、その洞窟の構造を見ると分ります。

多くの洞窟では、絵の描かれている場所は、長い地下の通路を通り抜けてやっと行き着けるところにあります。もちろん、その通路は真っ暗で、狭いところや、途中には地下水や滝さえ流れているというような状況です。そんな通行の極めて困難な、迷路のような通路を通り、やっと絵の描かれている広々とした空間にたどり着けるのです。

──険しい通路を通るということ自体、何かを表現しているような気がしますね。

吉田 それらの洞窟を女神の身体の内部だと思っていた。つまり、地下の通路を大地母神の産道として、絵の描かれている広々とした空間を、子宮と見なしていたのです。そして、そこに描かれた絵は、大地母神が彼らの生活に最も必要な獲物達を子宮から無数に産み出して、自分達に与えてくれているということを表現していたと思われます。

──ヴィーナス像と洞窟画、一見別のものに見えますが、同じ大地母神の働きを表現し、崇める意味を持っていたのですね。


縄文から弥生へ・・・農業の変化とともに神話も変化

──日本の神話についてもお聞きしたいと思います。クロマニョン人が神話を持っていたわけですから、当然、縄文人も持っていたんでしょうね。

吉田 縄文時代の初期から女性の像の土偶がつくられており、同様の大地母神の崇拝があったと考えられます。

しかし、それが縄文時代中期になると、つくった土偶を破片にし、方々の場所に分けて処理していたようなんです。

──せっかくつくったものを、わざわざ壊すんですか?

吉田 そうなんです。これは女神を殺すことを意味していたと思います。どういうことかというと、栽培という行為、例えば原始的な焼き畑でも、大地である女神の体を害することから始まります。当時すでに、育て方が簡単なイモやクリ、クルミなどの栽培が始まっており、殺された女神から植物が発生する。女神は殺されても、その死体の破片から毎年、作物が生え出してくるということを表現していたのです。

──日本では、後に稲の栽培が伝わり、農業の中心が稲に取って代わられます。その作物の変化は、神話にどう影響してくるのでしょうか。

山梨県釈迦堂遺跡から出土した、おびただしい数の破片にされた土偶
山梨県釈迦堂遺跡から出土した、おびただしい数の破片にされた土偶

吉田 弥生時代になると、農業は大きく変りました。日本中に新しいやり方が広まって、稲を始めとする5穀が最も大切な作物になっていったわけです。それに伴って、神話も5穀の始まりを説明するものに変っていった。それが、『古事記』や『日本書紀』に記されている日本神話になったと考えられます。

具体的には、『古事記』ではオホゲツヒメ、『日本書紀』ではウケモチという女神が乱暴な男の神によって殺され、その体から作物が生えてきたと語られています。この部分は縄文時代の神話を受け継いでおり、女神の体から生み出された作物は、神話が編纂(へんさん)された当時の農業を反映して、5穀の起源を説明しているのです。


慈悲深い、日本神話の最高神・アマテラス

──古い神話に新しいエッセンスが加わりながら神話は受け継がれ、現在の「日本神話」といわれる『古事記』や『日本書紀』になったんですね。

吉田 そうですね。『古事記』、『日本書紀』は8世紀の初めに、それまで語られていた伝承や記録を編纂したもので、その初めの部分に「神話」が記されているのです。この他、『風土記』などの古典にも神話が見られ、また日本各地の昔話や伝説に形を変えて、語り続けられているのもあります。

──先生は、世界各地の神話の比較研究もされていますが、日本の神話には、どういった特徴が見られるのでしょうか。

吉田 天上の神達を支配していた最高神のアマテラスに見られる性質は、本当にユニークです。まず、他の世界の神話に出てくる最高神達はおしなべて男性であるのに対し、アマテラスは女神であるという点です。さらに、旧約聖書のヤハウェや、ギリシア神話のゼウスなどの最高神達は、自分に背く者は容赦なく罰を与えて徹底的に滅ぼし、殺すことに何のためらいもない残忍な神様です。しかし、アマテラスは徹底して寛仁であり、慈悲深い神様です。例えば、弟のスサノヲが天上でひどい悪さをしますが、罰せず許そうとします。しかし、彼の乱暴がエスカレートして機織りをしていた女神を殺してしまうと、アマテラスは怒り、天の岩戸に隠れてしまうという話があります。罪を罰するのではなく、できるだけ許そうとし、血が流されたり、殺害となると許さない、そういう神様だったのです。

──確かに、残忍なことは一切しない神様ですね。一つひとつのストーリーに、深い意味が凝縮されているんですね。

吉田 さらに日本の神話には、日本人の特徴を表現した面白いストーリーがあるんです。日本人が働くということについて持っている概念を、よく表したものです。

当時の労働の中心は、農業である稲作でした。『日本書紀』で見ると、最初、稲の栽培というのは、天上の神様達だけが行なえるもの、いわゆる米は神様達の食べ物でした。しかし、地上を支配するため、アマテラスの孫にあたるホノニニギが地上に降りてきて、その時、一緒に神様の食べ物である稲も持ってきたため、それからは人間も食べられるようになったとされているんです。ですから、稲をつくるという労働は、アマテラスも天上でやっていること、神からの恵みとして許された行為であり、ありがたいものなのです。日本人にとって労働とは、一種の生き甲斐なのです。

──確かに、休暇を取っても仕事のことが気になったり、休みなのにせかせか動いたりしてしまいますね。

吉田 そうですよね。反対に西洋での「労働」の起源はというと、旧約聖書の神話を見ると、アダムとエバの話で語られています。彼らは楽園で労働をせずに暮らすことができていたのですが、禁断の果実を食べて楽園から追放されてしまいました。それからは自分達で額に汗して働き、食べ物を得なければならなくなったわけです。つまり、西洋でいう労働とは、罰なのです。これは、ギリシア神話でも同様に語られています。

──とても明解な話で、納得できます。

これまでお話を伺ってきて、神話というのは、非常に面白いものだと改めて思いました。しかし日本では、第2次大戦時、軍国主義の政策に利用されたことが原因で、神話が敬遠されるようになりました。未だに、その印象が完全にぬぐい去れていないのが残念です。先生はこれまで、その誤解を正すため、日本の神話の本来の意味を取り戻すために力を尽くしてこられたと聞いておりますが、先生のお立場から、これから新しい世紀を迎えるに当ってアドバイスなどはございますか。

吉田 これからも人間が文化的な営みを続けていくためには、昔から人々が神話を通して語り続けてきた大地、自然万物に対する思いを改めて見直し、取り戻すことが必要です。自然万物とともに生きていることを忘れ、人間本位な生き方を続けていては、自然環境を破壊し、地球そのものも解体してしまう方向に突き進みかねません。今一度、神話を見直してもらいたいと思います。

──確かに、私達は科学の発展とともに、自然万物に対する慈愛を忘れつつあるように思います。神話を通してわれわれの祖先が何を思い、考えていたのか見直し、その価値を再発見する必要がありますね。

本日は非常に興味深いお話を、ありがとうございました。


近著紹介
『神話のはなし』(青土社)

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