こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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伊達政宗の野望とともにイスパニアへ渡った 「慶長遣欧使節団」。 彼らの子孫が今、スペインに…。

イスパニアへ渡ったサムライたち

歴史学者(スペイン経済史) 東海大学外国語教育センター教授

太田 尚樹 氏

おおた なおき

太田 尚樹

1941年、東京生れ。東京水産大学卒業後、カリフォルニア州立大学バークレー校、マドリッド大学等に留学。東海大学外国語教育センター助教授を経て、教授に。また、青山学院大学講師も務める。著書に『スペインは太陽の香り−食風土と人々と』(92年、家の光協会)、『サフランの香る大地ラ・マンチャ』(96年、中央公論社)、『パエリャの故郷バレンシア』(96年、中央公論社)、『ヨーロッパに消えたサムライたち』(99年、角川書店)など。

2000年7月号掲載


キリスト教禁圧で封印された支倉使節団の存在

──使節団一行は、当初、イスパニアでは大変な歓迎を受けたとか…。

(左)コリア・デル・リオにたたずむ支倉常長の銅像(右)「慶長遣欧使節団」を乗せて日本を発ったサン・ファン・バウティスタ号(復元)
(左)コリア・デル・リオにたたずむ支倉常長の銅像
(右)「慶長遣欧使節団」を乗せて日本を発ったサン・ファン・バウティスタ号(復元)

太田 ええ、彼らは道中、各地で有力な貴族などから手厚い歓待を受けています。

また、支倉は現地でキリスト教の洗礼を受けたんですが、その際、イスパニア国王、総理大臣を始め、名だたる政治家、聖職者達が洗礼式に顔を連ねているのです。これは極めて稀なケースで、他国の使節団にそのような待遇をした例はありません。

──国を挙げての歓迎ですね。日本をそこまで重視していたとは驚きです。

太田 当時、日本は「黄金の島」と呼ばれ、各国が通商を望むほどの国でした。その上、イスパニアは、日本国内でキリスト教の布教をしたかったという思惑がそうさせていたようです。実際には、すでに幕府がキリスト教弾圧を始めていたので厳しい環境になっており、当初、イスパニア側としては、支倉使節を歓待しておけば、そういう事情も好転するのでは、という期待感があったのだと思います。また、支倉常長が非常に人間的な魅力に溢れた人物であったということも伝えられており、彼の人望もあったんだと思います。

いずれにせよ、政教一体の国家ですから、国を挙げての大歓迎となったわけです。

──しかし、次第に使節団に対し冷たくなっていったようですね。

太田 幕府のキリスト教全面禁止を始め、キリスト教布教事情がさらに厳しくなっているという日本の情報がイスパニアに入ってくるにつれ、熱は冷めていきました。さらに、「日本は黄金の島ではない」ということも分り、結局、通商交渉では色よい返事がもらえず、使節団は失意のうちに帰国せざるを得なくなったのです。

──しかも帰国した時には、国内情勢がすっかり様変りでしたから、彼らにとっては辛かったでしょうね。

太田 不幸な結果となってしまいました。キリスト教弾圧の時代、洗礼を受けたなど以ての外。政宗ですらも、この件については、藩の記録の中に無難な事実だけを最小限に書きとどめているに過ぎません。苦労が報われることもなく、そうした事実は半ば封印されてしまったんです。

ですから、支倉らの存在については、なんと明治6年まで歴史から抹殺されていたのです。岩倉具視が欧米視察でイタリアに行った際、支倉の署名が入った文書を見たことから、彼らの存在が改めて脚光を浴び、ようやく日本の歴史の日の当る場所に出てくるようになったのです。

──不思議なのは、当初イスパニアとの通商を望んでいた家康が、なぜキリスト教布教という条件を受け入れず、後に、布教禁止・弾圧に踏み切ったのか…。

太田 政教一体と先ほど言いましたが、当時のイスパニアは、各地へ宣教師を送り込み、布教の傍ら彼らにその地の情報を収集・報告させていたのです。そして最終的には、そうした情報をもとに兵力を送り込んで征服する。中南米20か国以上あった植民地は、皆そのやり口によるものでした。

──もちろん国策としてのことでしょうけれど、まさに「スパイ活動」ですね。

太田 そうです。日本に来ていた宣教師フランシスコ・ザビエルも、そういう役割を担っていました。日本各地の港の水深や、各藩が保有している大砲の数、兵力等について、詳細に報告していたことが分っています。家康ほどの人物ですから、それを見抜き、危険を察知していたのでしょう。それがキリスト教を禁じた大きな要因となったようです。

−− 「黄金の島」と言われていたほどでしたから、喉から手が出るほど日本を手に入れかったのでしょうね。


近著紹介
『ヨーロッパに消えたサムライたち』(筑摩書房)
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