こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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心身ともに癒される「森」の力。 認知症やうつ病の治療にも効果があるんです。

心身を回復に導く「森林療法」

東京農業大学森林総合科学科教授

上原 巌 氏

うえはら いわお

上原 巌

1964年長野県生まれ。88年東京農業大学農学部林学科卒業、97年信州大学大学院農学研究科森林科学専攻修士課程修了。2000年岐阜大学大学院連合農学研究科生物環境科学専攻博士過程修了。06年東京農業大学地域環境科学部森林総合科学科准教授、11年より現職。主な研究テーマは、全国各地の放置林の再生と森林の保健休養機能について、地域の森林と人間が古くからの豊かな関係を取り戻し、共に健やかになることを目指して、全国各地で里山の再生と森林療法を実践している。著書に『森林療法のすすめ』(コモンズ)、『ジョン・レノンが愛した森 夏目漱石が癒された森』(全国林業改良普及協会)、『回復の森』(川辺書林)など。

2014年6月号掲載


「森林浴」とは異なる「森林療法」とは?

──「森林療法」の講座があるのは、全国でも東京農業大学だけだそうですね。
森林浴という言葉はよく耳にするのですが、「森林療法」という言葉はこれまで聞いたことがありませんでした。どう違うのでしょう?

上原 森林浴はご存知の通り、森林を散策しながら森の空気を吸うことによって、疲労回復などの効果をもたらすものです。
森林療法とは、疾病治療や健康増進のため、あるいは生活習慣病の予防や気分の改善、心身のリハビリテーションなどを目的に森林環境を利用することを言います。その意味で、森林浴も森林療法の一つです。

長野県信濃町・野尻湖畔の「象の小道」。かつてナウマン象もこの辺りを歩いていたそう〈写真提供:上原巌氏〉

──森林療法は、具体的にどんな方法で行うのですか?

上原 森を歩くというのがまず一つ。ヨーロッパなどには、森林内の天然のアップダウンを活かして設定されたリハビリコースを歩く「地形療法」というのもあります。また、森林内を散策しながら途中のベンチや切り株に腰を下ろして、森の風景や樹木の梢を眺め自己を内観するといった心理カウンセリング的な方法。自らの身体を動かして森林を手入れし、森林の健康を回復させていくことで、自己の生命力や治癒力を回復させる「作業療法」という方法もあります。それから、少し治療とは異なりますが、デンマークやドイツでは、園児と保育士が自然環境の中で過ごす「森の幼稚園」など、保育・教育的な方法も実践されています。

──なるほど。人間はもともと自然の中で育ったので、自然に帰ることで癒されるというわけですね。私も、森に入るとなぜか懐かしく心が落ち着きます。特に森は、鳥の声や風の音、木漏れ日などに囲まれているため、海や草原とはまた違った複合的な癒し効果が得られるということでしょうか。


上原 幼い頃の記憶や体験が影響する場合もありますが、遠い昔、われわれの祖先が森の住人だった頃の記憶がDNAに組み込まれていて、森を「ふるさと」のように感じ、懐かしく感じられるのかもしれません。

薬では治らない病気が、森林で症状が改善!

──森林療法を実際に行った例を教えていただけますか?

上原 数年前に、鹿児島県のある病院で行った事例ですが、そこでは入院患者の平均年齢が81.8歳、約7割の方が認知症と診断されていました。徘徊行動や物盗られ妄想、暴言・暴力行為等が多発し、患者さんの不安も増し、他者とのトラブルを招きやすい状況をつくり出していました。同病院の院長とあるきっかけで出会った私は、ちょうどその病院の裏手に手付かずの鬱蒼とした放置林があったので、「作業療法」を取り入れた森林保健活動をお勧めしたのです。

──結果はどうでしたか?

上原 多くの患者さんに見違えるような効果が表われました。
ほんの一例ですが、アルツハイマー型認知症を患っていたある男性は病前、警備関係の仕事をされており、自宅の裏山で山仕事もされていました。入院後は、他者との交流は受動的で自ら話しかけることもなく、ぼんやりと過ごしているような状況でした。
この男性と、鋸で丸太切りをしたり、鉈(なた)で皮むきをしたり、杭打ち等の作業を行ったところ、それまでと打って変わって笑顔になり、積極的に作業を行うようになったのです。さらには、道具の使い方や作業姿勢などを職員に指導するほどまでになり、その様子をご覧になったご家族も「まだこんなに元気があって、昔の仕事も覚えていたなんて」と驚いておられました。

病院隣接の針葉樹放置林を整備しながらの作業療法。左が作業療法士、右が患者〈写真提供:上原巌氏〉

──本当ですか!? 薬では良くならない症状が、森林療法を行うことで改善されるとは・・・。


上原 はい。この例に限らず、破壊行為の減少や身体機能、コミュニケーションの向上などの効果が見られた患者さんもいました。ほかにも、多動傾向(いつでもせわしなく動く)や異食行動(食べられないものを口に入れる)、アブノーマルビヘイビア(異常行動)の見られる重度の知的障害者が森林療法を行ったところ、症状はゼロにはならなかったものの、4分の1くらいまでに軽減できたという例もあります。

多くの可能性を秘める森に、あの著名人も救われていた!

──森林療法では、通常の療養生活では見られない患者の能力を引き出すことができるんですね。そういえば、先生のご著書を拝見し、多くの著名人も森林保養を行っていたことを知りました。

森の中でのリラクセーション。涼しげな木陰の場所を選び、樹冠を見上げながら林床に寝そべり静かに過ごす〈写真提供:上原巌氏〉

上原 日本を代表する文豪の1人である夏目漱石がそうです。彼はイギリス留学の際、神経衰弱、今でいう「うつ」に陥ったのですが、スコットランドのピトロッホリーという地で当地の山道や渓谷を散策することによって、精神の安定が得られたと聞いています。後の作品『草枕』に、ピトロッホリーの自然の保養経験が反映されているのではないかと考える研究者もいるそうですよ。
ベートーベンや、作家の堀辰雄も、治療の困難な疾病や障害を転地療養して森林散策を行ったことで改善したとされています。

──なるほど。いったい森の何が作用するのでしょう?

上原 森は余計なことは言わず、そのままの自分を受け入れてくれる。それがいいのかもしれませんね。


自然に恵まれた国土を持つ日本。もっと森林を身近に感じてもらいたい

──ところで、先生は「日本森林保健学会」の理事長でいらっしゃると伺っております。どのような団体なのですか?

上原 2010年に発足した生まれたての学会です。総勢50名ほどの日本で一番小さな団体なんです(笑)。これまで行ってきた森林環境を活用した疾病予防や治療、リハビリ、心身の健康保持・増進・快復法などをもとに、生活の質の向上を図るための実践と研究を行い、その成果を社会に広めていくことを目的に設立しました。

──会員にはどのような方が?

障害者の方々と地域の放置林を手入れする活動の様子〈写真提供:上原巌氏〉

上原 森林に関わる医療、福祉、保育などの実践経験者や専門職の方が中心ですが、カウンセラーや公務員、主婦、学生なども入会しています。職業の規制、規約などは特に設けておらず、どなたにも気軽に参加していただきたいと思っています。

──日本は豊かな自然に恵まれた国です。学会を通して、この研究や森林療法が広がっていき、森を活用した健康づくりがもっと行われていくといいですね。
本日はありがとうございました。


近著紹介
『ジョン・レノンが愛した森 夏目漱石が癒された森』(コモンズ)

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