こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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モアイをつくったイースター島の先住民。 実はわれわれ日本人とルーツは同じなのです。

太平洋の島々に拡散したポリネシア人

京都大学名誉教授

片山 一道 氏

かたやま かずみち

片山 一道

1945年京都生まれ。69年京都大学農学部農林生物学科卒業、74年京都大学大学院理学研究科修士課程修了、75年大阪医科大学医学部助手、79年京都大学理学博士、80年大分医科大学医学部講師、82年京都大学理学部助教授、96年同大学霊長類研究所教授、2004年同大学大学院理学研究科教授、09年同大学名誉教授。専門分野は自然人類学、骨考古学で、ポリネシア人の起源に関する研究などを行う。現在は、立命館大学、奈良大学などで非常勤講師を務める。著書に『ポリネシア海と空のはざまで』(東京大学出版会)、『古人骨は語る』(角川ソフィア文庫)、『海のモンゴロイド』(吉川弘文館)など。

2013年8月号掲載


 



片山 ええ、そうです。
ラピタ人は、太平洋各地に広がった世界初の航海民族で、ラピタ土器という独特の装飾土器を持つことで知られています。タロイモなどを栽培する農耕民族でもあり、海洋活動に特化した文化を持っていました。航海術を駆使してわずか500年ほどの間に、バヌアツ、ニューカレドニア、フィジー、トンガやサモアの島々に拡散し、ラピタ文化を広く展開したのです。しかし、その文化は、2000年前にこつぜんと姿を消してしまいます。

──彼らは土器文化を捨てて、次の世界に船出していった…ということですね。それが、ポリネシア人と呼ばれる人々ですか。


片山 その通りです。その後、彼らは太平洋を東進、マルケサス諸島やタヒチ、そして北のハワイ諸島、西のニュージーランドまで拡散し、無数の島々を制覇していきました。一番東端のイースター島にたどり着いたのが、今から1500年前のことになります。

──人類の歴史から見ると、ポリネシア人の拡散というのは、つい最近の出来事だったんですね。

片山 はい。南米の先端には、すでに1万年くらい前から人が住んでいましたし、北極近くでは1万5000年前から、さらにオーストラリアでは、5万年くらい前から定着していたといわれますから、その意味で、ポリネシア人の拡散は、人類の地球開拓史の最後を飾る大イベントだったといえます。

 

自然条件を利用した高度な航海技術


──それにしても、太平洋の島々は孤島ばかりです。大型の帆船や海図、羅針盤もない時代に、どのように遠洋航海をしたのですか?

片山 航海手段は、カヌーを改良したダブル・カヌーといわれる2つの船体を板でつないだものを使用していたといわれています。大きいものになると、全長30mに達し、新天地開拓のため、食料や園芸植物、飼育する家畜などを載せて旅していました。
航海術は、鳥が飛ぶ方角をはじめ、星や太陽、月などの天文現象と、風や波、雲などの自然現象を最大限に利用したと考えられています。

──自然条件を利用するだけで、何千kmも離れた島々を旅するなんて、すごいことですね。それにしても、どうしてそんなに苦労してまで航海に出たのでしょうか?
わざわざ危険を冒してまで行く必要があったのか…。

 


近著紹介
『海のモンゴロイド』(吉川弘文館)
『骨が語る日本人の歴史』(筑摩書房)
『ポリネシア海道記』(臨川書店)
近況報告

※片山一道先生が、2019年7月31日に『ポリネシア海道記』(臨川書店)を出版されました(編集部)

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