こだわりアカデミー

こだわりアカデミー

本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
MENU閉じる

文明の始まりを知るカギとなる「遺跡」。 「ギョベックリ・テペ」遺跡が定説を覆す?!

「ギョベックリ・テペ」遺跡の発見で騒然!

筑波大学大学院人文社会科学研究科教授

常木 晃 氏

つねき あきら

常木 晃

1954年東京都生れ。77年東京教育大学文学部卒業、82年筑波大学博士単位取得満期退学。86〜87年ギリシア政府国費留学生としてテサロニキ大学大学院留学。87〜89年日本学術振興会特別研究員、89〜92年東海大学文学部講師。92年筑波大学歴史・人類学系講師、94年同大学歴史・人類学系助教授、2005年同大学大学院人文社会科学研究科教授、現在に至る。著書に『西アジアの考古学』『文明の原点を探る−新石器時代の西アジア』(同成社)、『食料生産社会の考古学』(朝倉書店)など。西アジア考古学、民族考古学、葬送に関する考古学などを研究。農耕の始まりから都市形成までの歴史過程を解明するために、1977年よりシリアとイランで現地調査を継続。近年は葬送や他界観念の始まりと展開についての研究を進めている。

2011年9月号掲載


常木 不思議なことに、ギョベックリ・テペ遺跡には、人が生活した痕跡がまるで残されていません。

例えば、T字形の石柱は、大きなもので高さ5m、推定重量が10tにもなり、石の切出しや運搬を含め、多くの人出が必要だったはずです。
それなのに、遺跡周辺には水場がなく、一番近い川も約5・離れています。また、作業員の住居などもなければ、農耕の跡もなく、生活臭のする遺構や遺物はまったく発見されていません。つまり、純粋に「祭祀を行なう場」であったことが明らかなのです。
──にわかには信じられませんね。石を運ぶ道具も、家畜もいない時代に、人の力だけで重い石を山頂まで運び、ただひたすら祈るためだけに神殿を建設するなんて…。

「ギョベックリ・テペ」を訪れた常木先生。T字柱にはキツネが彫刻されている〈写真提供:常木 晃氏〉

常木 おっしゃる通りです。当時の人達の信仰・崇拝精神は、われわれの想像をはるかに超えるものだったともいえます。
この遺跡の発見により、「狩猟採集民族が定住して農耕を始め、大きな社会を形成するにつれ生じるようになった人々の間の利害関係や緊張を緩和するものとして宗教が生れた」という従来の説の見直しが迫られているのです。

(写真左上)壁に埋め込まれたT字柱には、イノシシをはじめ多様な動物を彫刻。(写真右上)まるでガウディの彫像を思わせるような立体的な四足獣が掘り出されている〈写真提供:常木 晃氏〉

外側の周壁に彫刻された、キツネ、ツル、イノシシなどの動物群〈写真提供:常木 晃氏〉

──では、農耕の始まりについては?
常木 長期にわたる神殿建設の間には、作業員や、祭儀のために聖地を訪れる人々に食糧を提供するため、穀物の種子を決まった場所に蒔いて育てるということが行なわれるようになりました。それが、農耕が始まったきっかけだと推測されています。
──発掘作業は、まだ全体の1割にも達していないとのことですので、今後の動向から目が離せません。

チーズ、ワイン、ビール…など、西アジアはさまざまな食糧のルーツ

──遺跡の発掘調査というのは、本当に奥が深いですね。ところで、そもそも先生はなぜ考古学に興味を持たれたのでしょう。
常木 実は、考古学ではなく、民族学を学びたくて大学に入ったんです。それで、1年生の時「民族学+考古学」の授業を選択したのですが、当然のことながら、考古学の実習もありましたから、発掘作業に出向かなくてはならない訳です。
気が付けば、結局1年中、発掘作業を行なうことになっていました(笑)。フィールドワークに携わっている中で、遺跡発掘の面白さに取りつかれてしまったんですね。
──そうだったんですか。では、西アジアに興味を持たれたのはなぜですか?
常木 ワイン、チーズ、ビール、パンなどは全て、西アジアが起源だということをご存知でしょうか。チーズやワインはヨーロッパ発祥だと思われがちですが、西アジアが正真正銘のルーツなのです。もし、それらが生れていなかったら、私達の生活は大きく変っていたでしょう。
──確かにそうですね。

世界最古級の集団墓地を発見した、常木先生率いる発掘調査団メンバー〈写真提供:常木 晃氏〉

そういえば先生は、シリアの他にイランでも発掘調査を行なわれているとか?
常木 30数年前に、4か月程南イランの中期旧石器時代の遺跡調査に携わりました。その遺跡群にすっかり魅了され、「いつかまた調査を再開したい」と思い続けているのですが、現在はイラン政府から調査の許可がおりず、残念ながら頓挫している状態です。
また、1987年末に発表された分子生物学のいわゆる「ミトコンドリア・イブ」仮説で、現代の私達の起源が東アフリカにあると提唱され、南イランは考古学的な証拠を検証できる重要な地域として注目されています。何とか、イラン政府の許可を取りつけて、調査を再開したいと願っています。
──先生のお話で、西アジアは食糧生産社会の始まりの地であり、人類の起源を考える上でも極めて重要なフィールドであることが分りました。「テル・エル・ケルク」と、南イランでの遺跡調査によって、新たにワクワクするような発見があるのではないかと楽しみにしています。
本日はありがとうございました。


前へ     1 / 2 / 3

サイト内検索

  

不動産総合情報サイト「アットホーム」 『明日への扉〜あすとび〜』アットホームオリジナル 動画コンテンツ