こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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生産技術よりもまず、道具として伝わった「鉄」。 鉄は『再生』『再利用』の文化なんです。

再生・再利用される鉄の、「鉄器文化論」

民俗学者

朝岡 康二 氏

あさおか こうじ

朝岡 康二

1941年京城(ソウル)生れ。64年東京藝術大学、66年同大学院修了。67年育英工業高等専門学校専任講師、85年同校教授、86年沖縄県立芸術大学美術工芸学部デザイン工芸学科教授、90年国立歴史民俗博物館民俗研究部教授、2000年国立歴史民俗博物館民俗研究部長、03年沖縄県立芸術大学長、06年大学共同利用機関法人人間文化研究機構理事などを歴任。また、道具学会(06〜08年)、日本民具学会(05年〜)会長なども務める。著書に『鉄製農具と鍛冶の研究』、『野鍛冶』、『鍋・釜』、『古着』『鉄製農具と鍛冶の研究ー技術史的考察』(いずれも法政大学出版)、『日本の鉄器文化』『鍛冶の民俗技術』(ともに慶友社)、『南島鉄器文化の研究』(渓水社)など多数。

2008年8月号掲載


鋳金がきっかけで 鍛冶屋めぐり


──先生は、鍛冶や鉄器などについて、民俗学的にアプローチしている数少ない研究者と伺っております。
実際、鉄は、大変身近な素材であるにもかかわらず、民俗学的に考えられることは、少なかったように思います。
そもそも先生が鉄に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか?


朝岡 私はもともと東京藝術大学で鋳金を専攻していました。金属の中では比較的価格が安かったということもあって(笑)、鉄を使って作品をつくっていたんです。


──もともとはアーティストなんですね。
どのようにして民俗学の道に?


朝岡 いやいや、アーティストなんて。大学院まで残って遊んでいたようなものですよ(笑)。
その頃、自分が作品づくりで鉄を扱っていたこともあって、各地の鍛冶屋を見て回っていました。東京の郊外にはまだたくさん農村がありまして、そこには必ずといっていい程、鍛冶屋さんがあったのです。そうやって鍛冶の仕事を眺めていると、つくづく民俗学的にも鍛冶や鉄って面白いものだなあと思うようになったんです。

 

 

鍛冶屋の道具
1炭カキ 2ハシ 3向う鎚(大鎚各種)4小鎚(横座用)5鍛冶屋セン 6タガネ(切りタガネ・樋打タガネ) 7タガネの柄 8ヤスリ(平ヤスリ・甲丸ヤスリ) 9泥桶(焼入れ・ワカシ付け用の泥) 10硼砂・鉄ロウ・赤血カリ等のクスリ 11水神様 12正月の物作り(宝船に七福神の見立て) 13水フネ 14鎌型・鉈型 15鞴(a.鞴本体、b.前板、c.上フタの重石、d.上フタ、e.押し板と毛皮、f.ふみ吹き下駄) 16羽口竹(キロ竹) 17羽口 18金床 19角床(アンビー) 20シュモク金床(丁児字金床) 21蜂ノ巣床 22砥石(荒砥・中砥) 23センガケ台 24砥船と砥石台〈資料提供:朝岡康二氏〉

 
1炭カキ 2ハシ 3向う鎚(大鎚各種)4小鎚(横座用)5鍛冶屋セン 6タガネ(切りタガネ・樋打タガネ) 7タガネの柄 8ヤスリ(平ヤスリ・甲丸ヤスリ) 9泥桶(焼入れ・ワカシ付け用の泥) 10硼砂・鉄ロウ・赤血カリ等のクスリ 11水神様 12正月の物作り(宝船に七福神の見立て) 13水フネ 14鎌型・鉈型 15鞴(a.鞴本体、b.前板、c.上フタの重石、d.上フタ、e.押し板と毛皮、f.ふみ吹き下駄) 16羽口竹(キロ竹) 17羽口 18金床 19角床(アンビー) 20シュモク金床(丁児字金床) 21蜂ノ巣床 22砥石(荒砥・中砥) 23センガケ台 24砥船と砥石台〈資料提供:朝岡康二氏〉

鉄器は生産地以外にも 広く伝播している


──面白いというと?


朝岡 道具の素材というのは、その地域で容易に手に入るものを用いることが多いのですが、面白いことに、鉄器というのは、鉄が生産されていない地域にも、広く伝播しているんです。


──確かにそうですね。
日本の家には、木が使われることが多いですが、それは日本に木が多くあるからであって、ヨーロッパなどに行くと、石が手に入る地域では石の家になります。
しかし、鉄はそれらとは事情が異なるようです。


朝岡 そうなんです。
つまり、鉄器の場合は、生産技術が先に広まって鉄器が生れるのではなくて、まず鉄器が伝わるのです。さらに、そうした鉄器が再利用されたり、再生産されているのです。
例えば、弥生時代の遺跡から鋳造鉄器が出るのですが、完形品(完全に形が残っているもの)はほとんどなく、その多くは破片です。一方、朝鮮半島で同じ時代に発掘される鉄器のほとんどは完形品。
日本ではその鉄器の破片をどのようにしていたかというと、どうやら石器のように研いで使っていたようなんです。


──朝鮮半島で生産された鉄器が、破片やかけらの状態で日本に入ってきて、それを再利用していたということでしょうか。


 


朝岡 そうではないかと推測しています。
日本に製鉄技術がいつ入ったかについては、製鉄・技術史の研究者がいろいろ議論しており決着はついていないのですが、いずれにせよ、鉄器のかけらが入ってきた大分後のことのようです。


──なるほど。いわば、“鉄くずありき”、ということですね。


朝岡 ええ。
もっと大きな意味でも、鉄の文化は“鉄くずありき”だと考えています。というのも、鉄は、今も昔も再生産、再利用されています。形を少し変えて、そのまま使用されることもあれば、鍛造し直して使うこともあります。
要するに、鉄の世界は“古物”の世界・・・ これが面白いんです。

 

アジア各地の鍛冶屋1 (スマトラ島・メダン)
アジア各地の鍛冶屋1 スマトラ島のメダン


船、鉄道、自動車と
再生産・再利用される“鉄”

──再利用といえば、電車や鉄道のレールが、駅舎や金敷などに転用されているのを見掛けたことがあります。


朝岡 そうですね。
現在、一番多く再利用されているのは、自動車の足回り部品のようです。板バネだとか、コイルバネだとか。
ちなみに、それ以前は船でした。鉄鋼船はもちろんのこと、帆船の時代でも、錨だとか舟釘に鉄は相当使われていましたから。
江戸から明治頃の資料には、秋田佐竹藩の沈没船を、地元の商人が引き上げて一儲けすべく、なんとか許可をもらおうと東奔西走する姿が記録されていたりするんですよ。


──つまりその頃にはすでに、商売として十分成り立っていた上に、商品として魅力的でもあった、ということですよね。鉄の流通体制があったことがうかがえる事例ですね。

 

アジア各地の鍛冶屋2 (ネパール・パタン)
アジア各地の鍛冶屋(ネパール・パタン)

各地に鍛冶屋があったわけ


朝岡 もう一つ、私が鉄を面白いと思う理由に、日本中どこにも鍛冶屋がいたということがあります。 


──確かに、以前は村々に鍛冶屋がたくさんありました。
でも、考えてみれば鍛冶屋は職人。職人とは基本的に村ではなく、城下町など、町に住んでいるものですよね。「鍛治屋町」という地名にも残っています。


朝岡 そこなんです。そもそも村には鍛冶屋がいるはずがないのに、実際には存在している。
そこで、いろいろ調べてみたところ、どうやら、江戸時代に営業行為を許可する鑑札(許可証)を持って出職(他に出掛けていって仕事をすること)をしていた職人がもとになっていることが分ってきました。


例えば、知多半島の尾張藩に属した大野という場所は、鍛冶の一大集結地でした。彼らは大野鍛冶と呼ばれ、尾張藩は出職株を決めて彼らの権利を認めていました。出職の権利を得た大野鍛冶は、周辺の尾張・美濃の村々に半年くらい寄留し、村の人々の注文を受けて、村の鍛冶小屋で働く。そこで、野良仕事で使う鍬や鋤の刃先の修理をしていたのです。鍬や鋤は使用に伴い摩耗したり曲がったりはがれたりしますから、それを度々直す必要がありました。そしてこの鍛冶は基本的には出職ですから、しばらくするとまた町に戻る。こうしたことを繰り返していたのです。


それが明治に入って居住の自由を得ると、出職先にそのまま移住するようになり、それが村の鍛冶屋になっていったようです。

 

 

アジア各地の鍛冶屋3 (中国・雲南)
アジア各地の鍛冶屋(中国・雲南)


──継続的に村の中で仕事があったから、各地に鍛冶屋が生れた・・・。


朝岡 ええ、その通りです。
現代では、モノは壊れたら捨てるか、よくてもリサイクルに出されますが、かつては、直してずっと使い続けていたんですよ。

鍛冶屋は道具や素材の再生の場


──先生のお話からすると、鍛冶は直し職人だったというわけですね。


朝岡 その通りです。
ご存知かもしれませんが、鍛冶だけでなく、傘、下駄、着物、桶など、あらゆるモノの直し職人がいました。
こうした観点から考えると、どうやら、直すということと、モノの構造や形とは密接な関係があることが分ります。

 

アジア各地の鍛冶屋4 (ジャワ島・西ジャワ)
アジア各地の鍛冶屋(ジャワ島・西ジャワ)


──というと?


 


朝岡 モノをつくる、つまりデザインする際、そのモノが直して使われることを念頭に、構造や形が考えられていたのです。
実際、鍬や鋤はそうした構造を持っていることが分りました。


──なるほど。直しやすいというか、直すことを想定して、モノがつくられていた。
改めて捉えてみると、鍛冶屋は道具の再生の場であり、鉄という素材の再生の場でもあったんですね。
現代ではほとんど見掛けなくなりましたが、素材としての鉄という意味では、製鉄会社がかなりの率で再生していますね。


朝岡 ええ。現在ではかなりの割合の鉄が回収・再生産されています。中には、再生鉄だけを扱う企業もあります。


──今も昔も、鉄は、回収され、新たに生れ変っていく。その循環を考えると、本当に鉄というか古物の世界は面白いですね。

いろいろな刃物
鋼尺(鉄製のものさし)を再利用したもの〈写真提供:朝岡康二氏〉
いろいろな刃物。(写真上)左からタイ、中国(少数民族イ族)、ネパール、スマトラ、バリのもの。写真下の刃物は、鋼尺(鉄製のものさし)を再利用したもの〈写真提供:朝岡康二氏〉

朝岡 ええ、私もそういうところに興味をもったんです。
どんなふうにモノが生れて広がり、人々の手に触れ、役目を終え、そして生れ変るか。こうした古物のあり方や流通、市場は大変おもしろいと思うんです。
ちなみに最近は、古着なんかについてもいろいろと考えているんですよ。


──ああ、確かに。衣服も再生・再利用されますからね。


本日はどうもありがとうございました。



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