こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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全国の墓地を巡って集めた日本人の苗字は約30万。 苗字の歴史を辿っていけば、遠い祖先の歴史も分るんです。

苗字を知ればルーツが分る

文学博士 オリエンタル大学名誉教授

丹羽 基二 氏

にわ もとじ

丹羽 基二

にわ もとじ 1919年、栃木県生れ。44年、國學院大学国文科卒業。文学博士。「日本伝統美保存会」会長、「日本家系図学会」会長、「地名を守る会」代表。柳田國男、折口信夫らに師事し、高校教師の傍ら苗字調査を続けたが、80年に退職。それを機に本格的な活動に入り、全国の100万基の墓を巡った苗字研究家。近著に、『佐藤さんの本』『鈴木さんの本』など「日本の苗字シリーズ」(2005年、浩気社)のほか、『日本人の常識 地名と苗字の謎』(04年、幻冬舎)、『難読珍読 苗字の地図帳』(03年、講談社)、『日本人の苗字 三〇万姓の調査から見えたこと』(02年、光文社新書)、 『姓氏・家系・家紋の調べ方』(01年、新人物往来社)等々。苗字研究以外にも、『天葬の国チベット』(1997年、芙蓉書房出版)、『お墓のはなし』(82年、世界聖典刊行協会)など、多数。

2005年9月号掲載


苗字の種類は世界一苗字は30万、家紋は2万

──先生が苗字や家紋を収集されたご功績は大変なものだと伺っております。

また、先生のご著書を拝読すると、苗字の由縁を遡行することで、自分のルーツが徐々に明らかになっていくような気がいたしまして、まるで推理小説を読んでいるような興奮を覚えました。

こういったものを編纂されるには、あらゆる知識が必要かと思うのですが、そもそもこの道に入られたきっかけは?

丹羽 子どもの頃から、自分の苗字である「丹羽」が、なぜ「ニワ」と読むのか、不思議に思ったんです。「タンバ」と読む人もいて、そうでない人もいる。周囲にも「四十八願」さんという変った苗字の人もいたりして、なぜそう読ませるのか、どうしてその苗字になったのか、誰に聞いても釈然としませんでした。そういった素朴な疑問がきっかけです。

丹羽基二氏調べ。苗字は地名姓、氏名姓、建物物姓、信仰姓、物象姓、職名など、由来はさまざまであるが、多くは地名に関係する。ちなみに第一位である佐藤さんの「佐」は藤原秀郷の居住地、下野国佐野庄(栃木県佐野市)を示し、藤は藤原姓の故地、大和国高市郡藤原里を表すという。姓氏の型に「氏名(うじな)」とあるのは「藤」が藤原氏の氏名であるため。また、「職名」とあるのは秀郷の後裔公清が「左衛門尉」という役職についており、佐藤氏はここから発祥という説もあるため
丹羽基二氏調べ。苗字は地名姓、氏名姓、建造物姓、信仰姓、物象姓、職名など、由来はさまざまであるが、多くは地名に関係する。ちなみに第一位である佐藤さんの「佐」は藤原秀郷の居住地、下野国佐野庄(栃木県佐野市)を示し、藤は藤原姓の故地、大和国高市郡藤原里を表すという。姓氏の型に「氏名(うじな)」とあるのは「藤」が藤原氏の氏名であるため。また、「職名」とあるのは秀郷の後裔公清が「左衛門尉」という役職についており、佐藤氏はここから発祥という説もあるため

実際、どのように調査を進めたのかというと、とにかく全国各地のお墓を朝から夕方まで見て歩きました。不謹慎なようですが、お墓にはちゃんと苗字と名前が刻まれているので、資料の正確さでは随一ですから…(笑)。

そうやっている間に、墓石に刻まれている家紋も苗字と密接に関係していることを発見しました。祖先のルーツを辿る場合は苗字と家紋をセットで考えると、比較的ルーツが判明しやすいんですよ。また、墓場ばかり巡っている間に仏足石や墓場そのものも面白い存在だなあと思ったりして、苗字を軸にさまざまなことへ興味が広がっていきました。

──それにしても、ご著書も150冊くらいあって、先生の知的探究心というか、そのご成果というか、とにかくすごいですね。

丹羽 初めからこんなに深みに入ろうとは自分で思っていたわけではないんですよ。苗字を調べているうちに、地名についてもいろいろと調べて知るようになり、発見があったり…。それをまとめているうちに、このようになりました。


苗字を変えることをタブー視しなかった日本人

──なんでも、日本人の苗字は30万種類もあるそうで、その由来も祖先の居住地の名称からきたものや、一族の血統を表したもの、職業からきたもの等、随分といろいろあるそうですね。どうして日本にはこんなにも沢山の苗字があるのでしょうか?

丹羽 日本の苗字の多さは世界一でしょう。

苗字の種類が多い理由の第一には、漢字が導入され、表記の方法が多様化したことが挙げられます。

例えば同じ「つちや」さんでも「土屋」「土谷」「槌谷」など、表記の方法はいろいろあります。同じ音でも、血筋、家系の本流支流、仲間だとかを意識して区別をつけようと、異なった漢字をあてたことも要因の一つです。

一方、ヨーロッパなどは音表文字ですから、アクセントやイントネーションで変化をつけるのが精一杯。漢字でバリエーションをつけられる日本人の苗字は、いくらでも増える可能性があり、世界でも類を見ない突出した種類の豊富さにつながったのでしょう。

──なるほど。漢字の表記による工夫でしたら、いろいろできますからね。例えば「マツムラ」でしたら「松村」、「松邑」とか…。

丹羽 その通りです。また、日本の苗字が増えた理由には、漢字の表記による他、もう一つ別の理由があります。それは、日本人は苗字を単なる家名として捉えていることです。つまり、「みだりに変えるものではない」という思想が強くなかったからです。

例えば、中国の苗字は大体1000、韓国は250程です。これは大陸的な事由、つまり、陸続きで絶えず他民族を意識した結果、苗字を変えることを拒んだからでしょう。すなわち、同じ苗字を持つものは、同じ血統であり、同じ祖先であるという民族意識の表れだともいえます。

それに比べ、日本は島国で、大陸ほど他民族を意識することはなかった。元を辿れば、日本人の多くは天皇という同一祖ということで、「苗字を変えることはタブー」という意識が少なかったのでしょう。実際、日本人は住む所を変えるたびに従来の苗字を変えたり、一部を変化させたりしてきたようです。

──かつての中国や韓国においては、苗字は一族の証だったんですね。

そういえば、韓国ではつい最近まで、同姓で家系の始祖の出身地やルーツが同じだった場合は、結婚ができなかったと聞いたことがあります。


日本人の苗字の8割は地名に由来している

──一方、日本では地名や氏姓などいろんな由来があるようですが…?

丹羽 はい、由来で最も多いのは地名です。居住地や祖先の出身地を苗字にしたものが、8割を占めることが分りました。

例えば「田中」や「渡辺」などは、それに当る場合が多いです。次に多いのが職業や屋号に由来するもので、「服部」は古代服部の子孫で衣服を織っていたことから、「鍛冶」は金属などで武器や農具などを作っていたことに由来します。その次は職掌(官職)名からきたもの。軍事に携わった「大伴」や、神事に携わった「中臣」などがそうです。中には「豊臣」のように天皇から賜ったというようなものもありますが、そういった例は少ないようです。

丹羽氏いわく、「家紋は絵に描いた苗字」。苗字ほどではないが、バラエティーに富み、デザイン的にも美しい家紋。上段左より片喰(かたばみ)紋の代表:片喰、桐紋の代表:五三桐、蔦紋の代表:蔦、下段左より蝶紋の代表:揚羽蝶、木瓜(もっこう)紋の代表:木瓜、鱗紋の代表:三つ鱗
丹羽氏いわく、「家紋は絵に描いた苗字」。苗字ほどではないが、バラエティーに富み、デザイン的にも美しい家紋。上段左より片喰(かたばみ)紋の代表:片喰、桐紋の代表:五三桐、蔦紋の代表:蔦、下段左より蝶紋の代表:揚羽蝶、木瓜(もっこう)紋の代表:木瓜、鱗紋の代表:三つ鱗

日本人の苗字はどうやら地名と切り離せないようで、苗字を調査することは地名を調査することだともいえます。

そもそも、自分の村を離れて「どこそこの土地のものだ」「どこそこの土地で生れた男だ」と名乗りを挙げたのが、苗字の発祥の理由の一つですので…。


地名の消失は文化と伝統の喪失

ご自宅にて。丹羽氏の右側にある本棚の書籍は、すべて同氏著作のもの
──なるほど、苗字と地名の関係は深いわけですね。その地名にも、それぞれいろいろな歴史がありますよね。でも、先生、近頃では昔ながらのいい地名がどんどん減ってはいませんか。

丹羽 そうなんです。現在、由緒ある地名の消失が進んでいます。また、市町村再編にともなって、それが加速していると言ってもいいでしょう。

こんなふうに考えているのは閑人だけかもしれませんが、例えば埼玉県の「浦和」にしても、北浦和、南浦和、西、東、中、武蔵…と現在ではいろいろあります。でも、そもそも「浦和」ってどういうことなのでしょうか。もし、「浦和」が「入間川の流れが屈折している土地や中洲」という地形の一帯の地域を指していたとすると、前出のその名付け方は少し乱暴な気がしないわけでもないんです。

もちろん知名度の高い「浦和」を活用する術であるのは理解できますが、それと同時に地名がただの符牒として捉えられているなあとしみじみじ感じるわけです。

──もったいないような気もしますね。

丹羽 そうですね。気付きにくいですが、地名は祖先を辿るヒントでもありますし、さまざまな伝統や文化の痕跡です。そういった地名が失われつつあるのは非常に惜しいですね。

同志で「地名を守る会」という活動をやってはいますが、現実問題、なかなか止められません。「ワタナベ」さんの苗字の発祥地である大阪市中央区の地名「渡辺」が消されようとしたときは、「地名を守る会」で慌ててて運動し、残すことができましたが…。

──それは良かったですね。

それにしても、苗字にしろ、地名にしろ、由緒を知ることは大事なことですね。知ることで、祖先にも、土地にも、歴史にも、いろいろなことに関心が広がりますからね。

丹羽 そうなんです。由緒を知ることで大事にできることも多々ありますし、関心が広がれば、その人の人生もより充実するのではと思っています。

それに、自分の先祖と家系について、苗字や家紋を手掛りに調査するのも非常におもしろいと思いますよ。自分の足でお墓やお寺の過去帳を見たり、役場に行ってみたり、神社の祭りの資料、神社創建の資料、寄付台帳まで見せてもらったりして…。

こういったことをやっているせいか、私も次から次に興味が沸いてきます。私も苗字の次は名前について調べたいな…、なんて考えているんですよ。

──いやいやそれまた、膨大な研究になりそうですね。

まさに興味の尽きないお話の数々、どうもありがとうござました。


近著紹介
『日本人の苗字 三〇万姓の調査から見えたこと』(光文社新書)
近況報告

※丹羽基二先生は、2006年8月7日に永眠されました。生前のご厚意に感謝するとともに、慎んでご冥福をお祈り申し上げます(編集部)


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