こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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敬意を払える文化があり敬意を払える人々がいる。 だから「仁尾ヶ内」に通い続けたんです。

山村のくらしを見つめる

民俗学者 神奈川大学経済学部教授

香月 洋一郎 氏

かつき よういちろう

香月 洋一郎

1949年福岡県生れ。72年一橋大学社会学部卒業。在学中から民俗学者・宮本常一氏に師事し、日本観光文化研究所員を経て、86年より神奈川大学経済学部助教授、95年より現職。日本常民文化研究所所員。専攻は民俗学。主な著書に「景観のなかの暮らし−生産領域の民俗](83年、未来社)、「空からのフォークロア−フライト・ノート杪」(89年、筑摩書房)、 「山に棲む−民俗誌序章」(95年、未来社−写真)、共著として、「村の鍛冶屋」(86年,平凡社)等がある。
※香月先生は2009年3月末をもって神奈川大学を退職され、現在はフリーのフィールド・ワーカーとして調査・研究に従事されています。

1996年6月号掲載


「とにかく歩け」が民俗学のスタート

──「山に棲む」を拝読いたしました。四国の奥深い山の中、吉野川の上流にある「仁尾ヶ内」という山村の人々の生活風景を、10年という長い年月をかけてご研究されたという大変な力作ですね。ものすごいエネルギーが必要だったと思うんですが、先生ご自身は、どういう経緯でこういったご研究をされることになったんでしょうか。

香月 まず、私がこの「民俗学」という分野に入ったのは、学生時代に宮本常一という民俗学者の書いた「日本の中央と地方」という本を読んだのがきっかけです。その中の、日本の当時の観光産業の実態に触れた部分で、宮本先生は、「観光」という名の下にいかに日本の地方が、「中央」によって植民地化されていっているかを、非常に斬新な切り口で書いておられました。それまで私は、民俗学というのは昔話とかお祭りを追いかけているような学問だと思っていましたが、これを読んで、民俗学ってこんな視野も持っているのか、とその認識が変ったんです。それで、すぐに先生のお宅に押しかけたんです。そしたら「とにかく歩け」と。「それから話をしようじゃないか」とおっしゃられた。

──まず歩け、ですか。それが研究の基本なんですね。

香月 ええ。実際、先生ご自身もよく歩く方で、しかもものすごいエネルギーを持った方でした。例えば、私が24−25歳の頃、先生はすでに60歳を越えていたんですが、調査に行くと、夜は2時くらいまでミーティングをやるんです。そして朝5時には「おい、村を見に行こう」と起こされる。それを1週間続けても全然平気で、しかも全部楽しんでやっておられてましたから。

──もっとも、楽しまなければとうていできる作業ではないですよね。それにしても、スーパーな方だったんですね。

香月 歩き、発見し、楽しむために生れてきたような方でした。行ったことのない村でも、地図を広げただけでその村の生活や人々の様子を読み取っていました。「この村に行ったら、古風な人がいるぞ」と言う。実際に行って見ると当っているんです。「大地には、人間の意思が濃厚に投影されている」とよく言われていました。


調査では、一日にフィルム10〜15本もの写真を・・・

──宮本先生は、普通われわれが考える民俗学者とはかなり違うタイプの研究者だったんですね。

香月 宮本先生と村を歩くと、先生はとにかく写真を撮るんです。特に、初めて行った村では、大きな発見はもちろん、普通の人は気にも留めないようなちょっとしたことでも支障のない限りで全部撮ります。先生には「あっと思ったらシャッターを切れ」「おやっと思ったらシャッターを切れ」と教えられました。ですから今でも私は、新しい村に入ると36枚フィルムで1日に10〜15本の写真を撮ります。早とちりの問題意識だってあるし、他人が見たら、何であんなもの写真に撮るんだろうと思うような写真もすごく多いんですが、しかし、それによって、その村の日常の生活を見ようとしています。シャッターを押していくと、撮ったものはどんどん忘れてしまうんですが、あとでベタ焼きで見ますと、その時の自分のイメージが蘇ってくる、その村の当たり前の生活の中から何か情報を得ようとしていたその時の自分の記憶がそこに残っているんです。いわば記憶の海の中の「島」です。そういう取組み方を、フォークロア(民俗学)という学問の基礎作業のひとつとしてトレーニングを受けたことになります。

──徹底したフィールドワークが、宮本流、そして今や香月流の民俗学なんですね。


仁尾ヶ内で出会ったすばらしい語り手、永野茂友さん

──ところで、先生が10年間通い続けて研究された仁尾ヶ内という村ですが、なぜそこを研究の舞台になさったんでしょうか。

香月 私は今の仕事に就くまでは、若い頃から、年に4か月から5か月は旅をしていました。そういう中で運不運もあるんですが、ごくたまに、すごく魅かれる土地に巡り合うんです。それはどういうところかというと、まず敬意を払える文化があって、敬意を払える人たちがいる土地です。またそれがストレートに伝わってくる土地です。そういう村なら、村に入ったその日からその村の時間の中にそのまま浸ることができるように感じるんです。独断と偏見も、相性も偶然性も全部含まれてると思いますよ。この巡り合いには。その意味で、あの仁尾ヶ内という村は、私にとって本当に縁あって偶然に巡り合うことのできた、すばらしく相性のいい土地だったと言うことができると思います。私にとってああいう土地は本当に少ないんです。

──何か特に先生を魅きつけたんでしょうか。

香月 「山に棲む」の中にもたびたび登場しますが、私があの村で研究を始め、そして続けることができたのは、永野茂友さんというすばらしい人物に出会うことができたからだと思っています。こういう研究ということに限らず、普通、生身の人間が生身の人間と一対一で話すとなると、相性のようなものもあって、一回で何か通じ合う人もいるし、5、6回通ってやっとわかり合える人もいます。独断かもしれないんですけど。そういうことは流れに任せるしかないんですが、この永野さんというおじいさんは、私の持っていた問題意識をものすごく敏感に把握してくださったんです。

──つまり、先生が何のために仁尾ヶ内に来たのか、何を知りたがっているかを分かってくださった、ということですね。

香月 そうなんです。で、こいつにきちんと向きあおうと思ってくださったんだと思います。だから、私が私なりの質問を組み立ててあれこれと伺っていくと、永野さんは質問に対してただ断片的に答えるというのではなくて、永野さんが背負ってきた文化の体系で話をしてくださる。そういう対応をすっとしてくださる方でした。普通のことを普通に話しているだけなんですけど、それがかえって物語性があってものすごくおもしろいんです。自分の話の意味づけをしたり話をまとめたりしようとしない。事実を事実のまま話してくださるわけで、それが不思議と豊かな語りになっているんです。そして、永野さんに限らず、そんな形で私を受け入れてくれる人の多い村だったんです。

──よく分かります。永野さんというすばらしい語り手が、先生と仁尾ヶ内を結びつけてくれたということですね。


人間の変化そのものが研究のフィールド

──私は本を読んでいる時、この仁尾ヶ内という村の景色や人々の生活等が、私自身が子どもの頃に体験した田舎の村の暮らしとダブって見えていたんです。ある種のノスタルジーみたいなものがあったのかもしれません。一方、先生は民俗学という研究テーマから取り組んでおられるわけですが、先生にとって、このご研究は何を知るための、あるいは何を知らせるためのものなんでしょうか。

香月 例えば、以前、調査で東京近郊の草葺きの農家を見せていただいたことがありました。その時は中のひと部屋ひと部屋をのぞかせていただいたんですが、ある時、その家が縁側にアルミサッシを入れた。それ以降は、もう中を見せてもらえなくなったんです。いいとか悪いとかではなく、それはサッシを入れた時から、そこに住んでいる人々にある変化が起こったということでしょう。これは、今、マンション住まいの人に研究のため中を見せてくださいと頼んだら、おそらくほとんどの人が応じないであろうということと同じ理由でしょうね。でもその人がもし、例えば10年くらい前に草葺きの家に住んでいたら、中を見せてくれたかもしれないと思うんです。人の生活形態が変って、目には見えない新たな規制が生れているということでもあるんでしょう。確かに人間は変っていくものだし、それにつれて社会も変っていきます。うわべの変化だけではなく、習俗、考え方も少しずつ変っていくのです。それは、人間が自分たちでは気がつかないうちに規制されていくということでもあるんですが、しかし、その過程では、本人も社会全体もそれに気づかない。そして、人間の行為や営みはその時その時、ある種の権利として、あるいは当然のものとして成立していくわけです。人間の営みがどのように権利となって成立し、どう変っていくのか。それを見つめるのが私の研究テーマであり、その変化の現実そのものが私の研究のフィールドなんです。

──仁尾ヶ内の人々の生活を通して、先生の目は、そういう人間の変化というものを客観的に見ていたということですね。そして、その答えが「山に棲む」というわけですね。もちろんこれからも仁尾ヶ内のような村があったら、研究されるおつもりなんでしょうね。

香月 今は、東シナ海の五島列島のある漁村で、海士のおじいちゃんと、時には一緒に潜らせてもらって調査を進めています。前ほどは自由時間はなくなっているんですが、でも、できるだけ自分の心に忠実にわがままをやらせてもらっています。

──本当に楽しそうで羨ましい限りです。次作も楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。


近況報告

「景観のなかの暮らし−生産領域の民俗]の改訂版を発行。また訳書として「ハワイ日系移民の服飾史−絣からパラカへ−」(バーバラ・川上著/98年、平凡社)が発行されている。


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