こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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江戸時代の歌舞伎は、庶民文化としても大流行。 役者に合せてストーリーも変っていたんです。

近松は「日本のシェークスピア」

文学者・元歌舞伎学会会長 早稲田大学文学部教授 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長

鳥越 文蔵 氏

とりごえ ぶんぞう

鳥越 文蔵

1928年長崎県生れ。55年早稲田大学文学部演劇科卒業。58年同大学院修士課程修了。69年同大学文学部助教授を経て、74年教授に。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長も務める。87年には、演者・評論家・研究者・愛好家によって結成された歌舞伎学会の会長に就任。主な著書に『近松門左衛門集』(75年、小学館)、『近松門左衛門』(89年、新典社)、共著に『義太夫年表 近世編』(79年、八木書店)など多数。

1999年3月号掲載


歌舞伎が、世界で初めて「回り舞台」を考案

──先日、周囲の若者に、「日本の伝統芸能というと何を思い浮かべる?」と聞いてみたところ、みんな一番に出てくるのが歌舞伎でした。ところが、「歌舞伎を観に行ったことがあるか」と尋ねますと、「ない」という者ばかり。

先生は若い頃から歌舞伎がお好きだったと伺っておりますが、どういうきっかけで歌舞伎に興味を持ち、研究を始められたんでしょうか。

鳥越 初めて歌舞伎を観たのは、大学生の頃で、歌舞伎好きの友人が連れて行ってくれたんです。当時、上演されていたものは庶民が主人公になるような話が多かったこともあって、身近に感じられるところが好きで、段々のめり込んでいきました。その頃、専攻していた心理学が嫌になっていたこともあって、「じゃあ、好きな歌舞伎をやろう」ということで勉強を始めたんです。

──心理学から歌舞伎へ、というのも変った転向ですね。

ところで、昔の歌舞伎は今と違って非常に庶民的だったそうですね。

鳥越 そうなんです。特に江戸時代の歌舞伎は、庶民文化として大流行していました。

また、まず「役者ありき」で、作者がその役者の特性を活かした作品を書いていたという、近代劇にはない面白い特徴を持っています。違う役者が演じる時は、その人の個性に合せて補綴されていましたから、ストーリーと演じる役者がより融合し、見る人をさらに惹き付けたのだと思います。

──その辺りが、歌舞伎の世界的評価が高い理由の1つにもなっているんでしょうね。

鳥越 もちろんそれもありますが、役者とストーリーだけではありません。演出面でも、当時の文化水準が高かったことがうかがえます。

回り舞台というのがあるでしょう。例えば、仇討ちの旅に出た武士が刀を振り回している場面から、ぐるっと舞台が回ると、「父親の仇討ちに出た子は今頃どうしているだろう」と留守宅で心配している母親の場面が登場するというやり方です。同じ時間に別の場所で行なわれていることを、瞬時に観せるというこの発想は、歌舞伎が世界一早く考えついたんです。

──演劇の舞台技術などでは、西欧が先駆者的なイメージがありますが、日本も進んでいたんですね。


海外でも上演されている「近松門左衛門」の作品

──江戸時代の歌舞伎の話に戻りますが、当時一世を風靡した『近松門左衛門』の作品は、何回読んでも感動しますね。

鳥越 本当にそうですね。

近松は本来浄瑠璃作家で、義理と人情の葛藤に苦しむ人間の姿をリアルに描いており、庶民に絶大な人気がありました。『曽根崎心中』や『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』などは大変有名な作品です。

ですから、近松の浄瑠璃用の作品が歌舞伎で上演されていますし、当人も歌舞伎に作品を書き下ろしたこともあります。

──昨年の年末に、『国性爺合戦』が歌舞伎で上演されていましたが、今でも本当に人気のある作品ですね。

鳥越 はい。面白いことに、海外でも彼の作品が親しまれているんです。例えば、旧ソ連のグルジア共和国の劇団が近松の作品『心中天の網島』を上演しておりまして、私も彼らが来日した折、舞台を観ました。グルジアの民族衣装でやっているんですが、非常によく研究し、良い演出をしています。遠い国の人が近松をちゃんと評価し、自分達の演劇レパートリーにしてくれているというのは、日本人として、そして歌舞伎や近松門左衛門を研究している人間として非常にうれしかったですね。

近松は「日本のシェークスピア」とも評価されている存在ですが、最近「シェークスピア」は知っていても、「近松門左衛門」は聞いたことがないという日本の若者が多くなってきたのは、とても残念なことです。

──本当ですね。近松の作品を教科書に載せたりすれば、目に触れることも多くなるのでしょうが…。

鳥越 彼の作品は、色恋とか、心中の話などが題材となっているので、教科書に載せにくいんでしょうね。

──さらにいえば、若者が歌舞伎を観ないというのも残念ですね。

鳥越 若者だけでなく、歌舞伎を鑑賞する人自体少なくなっています。

やはり、現代人の速いテンポに、歌舞伎のゆったりとしたテンポが合わないんだと思います。また、仰々しい表現術や言葉も、一生懸命聞かないと分かりにくいところなど抵抗があるんでしょうね。

──私が初めて歌舞伎を観た時は、あらかじめストーリーを大まかに把握してから行き、一緒に行った友達より楽しめたという経験があります。

鳥越 確かに、事前に勉強していれば、とても面白いと思います。まだ歌舞伎を観たことのない人は、是非一度、予習をしてから、足を運んで直接観てほしいですね。


役者絵を4万6,000枚所蔵する「演劇博物館」

──ところで、先生が館長を務められている『早稲田大学坪内博士記念演劇博物館』が創立70周年を迎えられたそうですね。

1999年4月1日まで行なわれいた『中村歌右衛門展』。五世歌右衛門が使用していた鏡台(写真上)<br>五世歌右衛門が使用していた衣装類(写真下)
1999年4月1日まで行なわれいた『中村歌右衛門展』。五世歌右衛門が使用していた鏡台(写真上)と衣装類(写真下)

鳥越 はい。これを機に館内のリニューアルを行ない、名品を飾る部屋を開設したんです。この部屋を開くに当っては、当博物館創設者である坪内逍遙が、五世中村歌右衛門と縁が深いこともあって、六世中村歌右衛門から多大なご協力をいただきました。そこで、名前を冠して『六世中村歌右衛門記念特別展示室』としました。今その部屋では、開室記念として『中村歌右衛門展』を4月1日まで開催しており、五代目が「歌右衛門」を襲名した時にあつらえた鏡台など、貴重な品を展示しています。

──歌舞伎のお好きな方には、本当にたまらない逸品が展示してありますね。他には、どういったものが所蔵されているんですか。

鳥越 能や浄瑠璃など、日本演劇に関するものがいろいろありますが、やはり坪内逍遙が歌舞伎に力を入れていたので、歌舞伎関係のものが一番多いですね。六代目尾上菊五郎に関するもの一式や、江戸時代の歌舞伎の絵が描いてある役者絵も4万6000枚所蔵しています。

──4万6000枚とは、大変な数ですね。

鳥越 所蔵数としては世界一なんです。しかし、江戸時代にあったものの6割くらいは、外国で保存されているようです。

日本の伝統演劇に関する貴重な資料が多いということもあって、当博物館には海外からも多くの留学生が学びに来ます。いわば、研究者にとっては、日本伝統演劇を学ぶメッカになっているんです。

私の希望としては、研究者だけでなく、今後の日本伝統演劇を担っていく人達にとってもメッカであってほしいですし、ここへ来た方が歌舞伎にもっと興味を持ってくれて、「歌舞伎座へ行こう」というようになってもらいたいですね。

──これからも、歌舞伎を始め日本の伝統芸能を、先生のご研究および多方面から支えていっていただきたいですね。

本日はありがとうございました。

1982年にロンドンのフォーチュン座を模して建てられた演劇博物館(写真上)その館内に展示されている江戸時代の役者絵(写真右)
1982年にロンドンのフォーチュン座を模して建てられた演劇博物館(写真上)と、その館内に展示されている江戸時代の役者絵(写真右)

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館
住 所:東京都新宿区西早稲田1−6−1早稲田大学内
TEL:03−5286−1829


近況報告

※鳥越文蔵先生は、2021年4月5日にご永眠されました。生前のご厚意に感謝するとともに、慎んでご冥福をお祈り申し上げます(編集部)


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