こだわりアカデミー
「平均的な顔」は「美人顔」。 赤ちゃんの視覚研究から、人間の特殊な能力が見えてきます。
よく見る顔が美人顔?!
赤ちゃんの視覚で分る顔ものさし
中央大学文学部心理学研究室教授
山口 真美 氏
やまぐち まさみ
1987年、中央大学文学部卒業。お茶の水女子大学大学院人間発達学専攻単位取得退学。人文科学博士。(株)ATR人間情報通信研究所客員研究員、福島大学生涯学習教育研究センター助教授を経て、現在中央大学文学部心理学研究室教授。主に生後8か月までの赤ちゃんを対象に、脳と心の発達について研究している。著書に『赤ちゃんは顔をよむ―視覚と心の発達学』(紀伊國屋書店)、『赤ちゃんは世界をどう見ているのか』(平凡社新書)、『視覚世界の謎に迫る―脳と視覚の実験心理学』(講談社ブルーバックス)など多数。
2008年4月号掲載
脳の中には「顔」の認識だけに特化した部分が
──先生のご著書を何冊か拝読いたしました。赤ちゃんを通して、視覚世界の謎をご研究されているようですね。
山口 はい。視覚を通じた脳と心の発達を研究しています。「視覚」というと、画像処理をするだけの能力と勘違いしがちですが、実は脳や心と密接な関わりを持っているのです。
──と、おっしゃいますと・・・?
山口 特に人間の「顔」に対する認識については不思議なことが多いので、そういった分野の研究をしています。脳を計測する実験をいろいろと行なってきましたが、それは人間の脳の中に「顔」を認識することだけに特化した部分があるからなのです。この部分が欠損してしまうと、人の顔を見分けることができなくなる「相貌失認」という病気になってしまいます。
──脳に顔を識別するためだけのエリアがわざわざ設けられているということは、人間にとって「顔」に対する認識は非常に重要であるといえますね。
確かに、私達は生きていく上で、何百人、何千人もの顔を見分けていかなければなりませんが、それはどうしてできるのでしょうか。
山口 私達が記憶している「人の顔」というのは、実はその人の骨格ではなく、一番よくする「表情」なんです。表情の中に、その人らしさがあるんですね。
──なるほど。いわれてみると、誰かの顔を思い浮かべる時は、いつも同じ表情が浮かんできます。逆に、目、鼻、口といった一つひとつの造作は、あまりはっきり浮かびませんね。
山口 また、デフォルメされた似顔絵を「顔」だと認識できるのも、人間特有の能力です。私達は、頭の中に「顔」というもののイメージが強くあって、そこに対象をはめこんで考えているのです。
例えば、ピカソの描いた抽象的な絵を「顔」だと認識することは、他の動物にはできません。人間は抽象的なイメージで物事を見ることができる。これは、人間だけの高度なテクニックといえます。
中央大学文学部心理学研究室のメンバー(前列左が山口氏)。同研究室では、主に生後8か月までの赤ちゃんを対象に脳と心の発達について研究をしているほか、知覚に関する研究発表や朗読会をする研究会「タマチカ」なども開催している。<写真提供:山口真美氏> |
「顔ものさし」の中心にある「美人顔」
──われわれは「顔」や「表情」をどのように学習していくのでしょうか。
山口 生れたばかりの赤ちゃんは視覚が未発達なため、顔特有の情報である目、鼻、口の並びで「顔」を判断していることが、研究から分ってきています。
そして「顔」の学習は、まず母親の顔を見ることから始まります。母親の顔を見慣れていくうちに、母親の顔が「顔」であるということを脳が認識するようにな る。見知った人の顔は、社会とのつながりの上で大切なので、母親の「顔」を見ると、脳が刺激を受け、活発に動くようになるのです。
──社会的なつながりを大切にするという行為は、赤ちゃんの頃から芽生えていると…。
では、赤ちゃんが母親の顔を好きなのは、血がつながっているからというわけでなく、見慣れているからなのですか?
山口 そうです。また、母親の顔は赤ちゃんが一番最初に見知って、「懐かしい」と思う顔でもあります。そして、それは「平均的な顔」につながっていきます。
──「平均的な顔」とは?
山口 私達は脳の中に、よく見る顔を中心に「顔ものさし」をつくりだしています。
その中心には、今まで見てきたさまざまな顔の中で最も平均的な顔、つまり一番見知った顔がある。中心に近い顔程、正確に覚えることができます。逆に、ものさしの外側の方には、例えば見慣れない外国人の顔などがあるわけです。
──つまり、よく見る顔に共通しているものが、ぎゅっと凝縮されると一つの顔モデルができあがる。これが「平均顔」ということに?
山口 はい。さらに「平均顔」は、本人にとって馴染みが深く、魅力的に見えるため「美人顔」でもあるといえます。つまり、「顔ものさし」の中心にある顔は、その人にとっての「美人顔」にもなります。
──なるほど…。だから人それぞれ好みや「美人顔」が異なってくるんですね。
「平均顔」には母親の顔が影響していることを考えると、赤ちゃんにとって母親の表情というのは、その後の人生に大きな影響を与えることになるのでしょうね。
山口 その通りです。赤ちゃんは、生後7か月で人の表情をうかがって周りを判断する「社会的参照」を行なうようになります。赤ちゃんは周りの状況があいまいな場合、母親の表情を見て、それを参考に自分の行動を判断していくようになるのです。
一方、「快」「不快」などの基本的な表情の創出は、遺伝子的に備わっているようです。
立体的にものを見る能力の実験。左右の目から入ってくる映像のズレから立体を感じることができるのか調べるため、3Dシアターなどで利用されるものと似たようなメガネを赤ちゃんにかけている<写真提供:山口真美氏> |
目から入った情報を認識する際の脳の働きを調べる実験。赤ちゃんの頭に光を当て、脳から反射される光の量を計測する。光の量の変化から、脳の働きについて調べることができる<写真提供:山口真美氏> |
音を聞かせたり画像を見せることで、赤ちゃんが何を好んで何に集中しているのかが分る<写真提供:山口真美氏> |
発達障害児の「できること」に注目
──赤ちゃんの視覚研究からは、さまざまなことが見えてくるんですね。この他にも何か分ることがあるのですか?
山口 視覚能力の発達過程を研究していく中で、発達障害の子ども達に合せたトレーニング方法が見つかるのではないかと考えています。
──具体的にはどういったことでしょう?
左にある三角形と同じ三角形を右の時計の絵から探すイラスト。自閉症児は、大人や健常な子どもよりも早く判断することができる<写真提供:山口真美氏> |
山口 発達障害の子ども達は、「できない」ことばかりが強調されがちです。でも実は、そういった子ども達にも得意としていることがあります。
例えば、瞬時に物体を判断できる能力や、たくさんの数字を覚えたりする能力などは、自閉症児の方が優れていることもあります。そうした特殊な視覚能力を追究することで、もっと人間の可能性を見出すことができるのでは…と考えています。
──「できないこと」ではなく、「できること」に注目していくわけですね。
山口 はい。そうすれば、得意なことに焦点を当てたトレーニングができるかもしれない。私達心理学の研究では、「できること」に注目し、それぞれの人間の個性を見ていくことで、みんなが幸せに生きていける後押しができれば、と思います。
──人間を平均化して見るのではなく、一人ひとりがさまざまな能力を持っていると認識することが、発達障害の子ども達の一助になるわけですね。
ご研究のさらなる発展を応援しています。本日はありがとうございました。
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