こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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「口蹄疫」は治る病気なのに、 どうして騒ぎは大きくなった?!

口蹄疫によって全頭殺処分されたワケ

東京農工大学農学部獣医学科教授

白井 淳資 氏

しらい じゅんすけ

白井 淳資

1955年生れ。農学博士。専門は獣医伝染病学(ウイルス感染症)。山口大学大学院農学研究科獣医学専攻修士課程修了。農林水産省家畜衛生試験場海外病研究部海外病研究管理官、 (独)国際協力機構派遣専門家、(独)農業・食品産業技術総合研究機構動物衛生研究所上席研究員などを経て、現職に至る。研究分野は、家畜およびペットの感染症について。現在は、伝染病発生時に最初に取られる防疫措置としての消毒について、オゾン水やオゾンガスを利用した畜舎消毒のための基礎研究を行なっている。その他の研究テーマは、「創傷被覆ならびに皮膚感染治療のための高機能化絹フィルムの開発」「遺伝子組換えカイコの繭を活用した代替抗菌剤投与用新素材の開発」「新型インフルエンザの大流行に備えた訓練に関する研究」等。

2010年9月号掲載


昔からあった「口蹄疫」は近代化とともに深刻な問題に

──先生は、家畜やペットの感染症について研究する「獣医伝染病学」がご専門と伺っております。伝染病といえば、つい最近まで世間を騒がせた「口蹄疫」問題が頭に浮かびますが、それも7月27日、宮崎県が非常事態宣言の全面解除を発表したことにより、ひとまず終息を迎えました。非常にショッキングな事件でしたが、これほどまでに騒ぎが大きくなった理由は何だったんでしょうか。

2000年に宮崎で発生した口蹄疫ウイルスの電子顕微鏡写真。均一な大きさの概ね白い六角形の粒子が口蹄疫ウイルス〈写真提供:白井淳資氏〉
2000年に宮崎で発生した口蹄疫ウイルスの電子顕微鏡写真。均一な大きさの概ね白い六角形の粒子が口蹄疫ウイルス〈写真提供:白井淳資氏〉

白井 昔は、農家1軒1軒が生活するために必要なだけの家畜を飼うという畜産スタイルでした。ですから、たとえ自分の飼っている牛や豚が口蹄疫ウイルスに感染したとしても、もちろん人間に感染するものではありませんし、自然と治癒する病気ですから、生活にそれほど支障をきたすことはなかったのです。

しかし、家畜の数を増やし、外に出荷するための生産量を計算しながら経営する、いわゆる「企業型」になってくるとそうはいかない。口蹄疫ウイルスに感染すると、牛は採食困難に陥って乳が出なくなりますので、牛乳や乳製品の出荷が滞ってしまいます。また、特に養豚農家の場合は、子供をたくさん産んで増やして食肉にするのが商売なのに、母豚の乳が出なくなるために子豚が死んでしまうといったケースもあります。

──なるほど。人間でいうと「風邪」みたいなもので、いずれは治る病気なんですね。それなのに、近代化が進んでしまったがために、大きな支障をきたすことになったと。

白井 はい。
もう一つ、パニックの原因となったのは「感染力が強い」ということです。

口蹄疫ウイルスは、感染した動物の吐く息の中に含まれ、空気や風によって運ばれます。牛の場合、1分間に吐く息の中には約160個のウイルス粒子が含まれており、豚の場合は25万個程。アメリカやオーストラリアなど、土地が広い国ならばさほど影響はないかもしれませんが、日本、韓国、中国の一部といった土地の狭いところでは、あっという間にウイルスに感染してしまいます。

さらに、人や物の行き来が盛んになったことも、感染拡大の一つの理由だと考えます。例えば、2005年以来、断続的に口蹄疫問題が発生している中国など、近年は経済発展のため貿易を盛んに行なったり、富裕層が観光で海外を頻繁に訪れたりしています。そうした人の衣服や所持品、物の移動が「感染源」となっているケースもあるのです。

2010年6月現在までの口蹄疫発生箇所(青印:発生した場所、赤印:現在でも発生している場所)、アジア地域は多くの場所で発生が認められる〈資料提供:白井淳資氏〉
2010年6月現在までの口蹄疫発生箇所(青印:発生した場所、赤印:現在でも発生している場所)、アジア地域は多くの場所で発生が認められる〈資料提供:白井淳資氏〉

──口蹄疫というのは、人間に直接感染するわけではありませんが、生活スタイルが近代的になればなる程恐ろしい病気となるんですね。

日本の農家を守るため「清浄国」であり続ける

──4月の発生確認から3か月余りの間で、宮崎牛ブランドを支える種牛を含め約29万頭の牛や豚が殺処分されたと聞いています。口蹄疫問題が経済に深刻な影響を与えることは理解できましたが、それにしても、感染疑いのある家畜、さらにはワクチンを投与した牛や豚まで、どうして殺さなければならなかったのでしょうか。


白井 確かに、ワクチンを打った家畜はウイルスを撒き散らす可能性が低くなりますので、何も殺さなくてもいいじゃないかと・・・。しかし、なかには発症しなくともウイルスの「保菌者」になるケースがあります。そうした場合、潜在的な流行源となるため、ワクチンを投与したから完全だとはいえないのです。

何より、「清浄国」という国際基準が、殺処分に拍車を掛けているのかもしれません。

フランスの肉牛・シャロレーの品評会の様子。フランスにおいても立派な肉牛は農家の自慢である。宮崎県で発生した口蹄疫により、これら自慢の牛達を数多く殺処分されてしまった農家の悲痛を強く思い起こさせる〈写真提供:白井淳資氏〉
フランスの肉牛・シャロレーの品評会の様子。フランスにおいても立派な肉牛は農家の自慢である。宮崎県で発生した口蹄疫により、これら自慢の牛達を数多く殺処分されてしまった農家の悲痛を強く思い起こさせる〈写真提供:白井淳資氏〉

──それは、どういった基準なのでしょう。

白井 「国際獣疫事務局(OIE)」という機関が、口蹄疫ウイルスがない清浄な国に与える国際基準のことです。日本は今回の発生までは「ワクチン非接種清浄国」、つまり、口蹄疫の発生がなく、ワクチンも使っていない国として認められていました。「清浄国」として認定されると、ワクチン非接種清浄国以外の国からの畜産物の輸入を断わることができる一方で、国内の畜産物の価値を高めて海外へ輸出できるというメリットがあるのです。

──ということは、逆に「非清浄国」になってしまうと、肉の値段が安い非清浄国からの輸入制限ができなくなると・・・。そうなると、日本の農家は価格面で到底太刀打ちできないでしょう。また、「清浄国」に向けての畜産物の輸出もできなくなる可能性も出てきます。

家畜の殺処分は、人に感染するというような理由からではなく、経済的な理由によるところが大きいということなんですね。


白井 おっしゃる通りです。
日本の畜産の品質、そして畜産農家を守るためには、「清浄国」であり続けなければならないのです。

──しかし今回、日本はワクチンを使用してしまいました。ワクチン非接種清浄国として復帰するためには、どうしたらいいのでしょう。

白井 まず、全国から決められた数の家畜の血液をサンプリングし、そこにウイルスを認識する抗体がないことを示さなくてはなりません。そこから3か月の間に口蹄疫が発生しなければ、OIEから清浄国と認定されます。

──なるほど。早急に清浄国へ復帰するために、ワクチンを接種して抗体を持った家畜を国内から一掃する必要があったんですね。

 

口蹄疫ウイルスは酸性に対して極端に弱く、中性(pH7・0)に近いpH6・5以下で簡単に不活性化されてしまう。従って、食用のお酢を1000〜1万倍に薄めたものでも口蹄疫ウイルスを殺すことができる〈資料提供:白井淳資氏〉
口蹄疫ウイルスは酸性に対して極端に弱く、中性(pH7・0)に近いpH6・5以下で簡単に不活性化されてしまう。従って、食用のお酢を1000〜1万倍に薄めたものでも口蹄疫ウイルスを殺すことができる〈資料提供:白井淳資氏〉

感染ルートの解明は、事件を解決する感覚

──ところで、そもそも先生はなぜ、獣医伝染病学という分野に興味をお持ちになったのでしょう。

白井 私は小さい頃から動物が好きで、獣医になりたいと思っていました。大学に入り臨床に取り組んでいたのですが、ある時、先輩から「伝染病の研究室に来ないか」と誘われまして。その頃、自分にはセンスと器用さが足りないと感じていて(笑)、もしかしたら臨床に向いていないのかも・・・と思っていましたので、それで伝染病学に携わることになったのです。

──では、先生にとって、獣医伝染病学の魅力とは何ですか?


白井 病気や感染症の原因について、「どうしてこうなったんだろう」、「なぜこんな現象が起こるのか」など、あれやこれやと調べていくことですね。原因が分った時は、事件を解決したみたいな気分になってすごく嬉しくなるんです。

──「〇〇病」は何ゆえ起こるのか、推理して原因を特定する、まるで犯罪のプロファイリングのようですね。これまでのご経験で、印象的なエピソードを一つお聞かせください。

白井 そうですね、A県で発生した、発育不良のブロイラー(食肉用若鶏)について研究していた時の話をしましょう。

その鶏は当時、有名なブランド鶏でしたが、実はB県でも別名のブランド鶏が同じような病気になっている、という報告を受けていました。しかしその時は、両ケースをとっさに結び付けることはできなくて・・・。

それから現地に出向き、いろいろと調査をしていくうちに、どうやら両ケースは海外から輸入した同種の鶏をそれぞれに改良し、ブランド化していたことが分りました。そして、原因はその親鶏にあった、何と遺伝病だったのです。

──せっかく自分達で改良し、ブランド鶏として育て上げたのに、遺伝病とは本当にショックな話ですね。でも、早めに見付けて対処できたことは、不幸中の幸いだったといえるでしょう。

最後に、現在取り組んでいらっしゃる研究テーマについてお聞かせいただけますか?

白井 はい。現在は、オゾン水を使った消毒について研究しています。オゾン水は、環境汚染がないため、日常の水洗感覚で衛生管理を行なうことができ、労力も少なく作業者への危険性も少ない。そのオゾン水を、口蹄疫の侵入・蔓延防止に活用できないかと、実証試験やシステム開発を行なっています。

また、口蹄疫ウイルスは酸に非常に弱いため、「酢」を使った消毒も効果的だということが判明しています。ただし、その効果は長続きしないので、日常的な予防は酢で、実際に口蹄疫問題が発生した際などには、持続性のある石灰を、といった具合に、上手く使い分けて防疫対策を講じることが必要でしょう。

──何より、今回の騒ぎをきっかけに一人ひとりが感染拡大を阻止するための危機管理意識を持つということが大切であると感じています。もしかしたら、口蹄疫問題は、近代化・合理化によって生活が豊かになったわれわれの危機意識が薄れていたことに対する代償、あるいは教訓として起こったのかもしれません。

清浄国への早期復帰、そして先生のこれからのご活躍を願っています。本日はありがとうございました。



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