こだわりアカデミー
さまざまな組織に分化する幹細胞をさらに解明できれば、 再生医療の発展だけでなく、 ガンの根絶にも寄与できるかもしれません。
ガン根絶に再生医療・・・ 万能細胞「幹細胞」の可能性
大阪大学大学院医学系研究科教授
森 正樹 氏
もり まさき
1956年、鹿児島県奄美大島生れ。80年九州大学医学部医学科卒業、86年同大医学系大学院修了。80年九州大学医学部第二外科入局、87年同大助手、91年ハーバード大学留学、93年九州大学医学部第二外科助手講師、94年同大生体防御医学研究所細胞機能制御学部門分子腫瘍学分野助教授、98年同教授などを経て、2008年4月より現職。05年に世界で初めて肝臓のガン幹細胞を発見した後、食道、胃などのガン幹細胞も次々に発見した。また、「ガン特異的免疫療法」を世界に先駆けて開発し、臨床研究に取り組んでいるほか、幹細胞を用いた再生医療を乳ガン患者に行なった。
2008年5月号掲載
特定の細胞に分化できる幹細胞
──先生は外科医としてガンの診療に関わると同時に、分子遺伝学的見地からガンを研究されていらっしゃるそうですね。そして、新しい免疫療法の開発や、ガン細胞のもととなる「ガン幹細胞」のいくつかを発見され、世界的なニュースになったと伺っております。本日は幹細胞とガンについてお話をお聞かせいただきたいのですが、まずは、幹細胞について、ご説明をいただけますか。
森 はい。私達の体は60兆個の細胞からできているといわれていますが、もとは精子と卵子が結合した1つの受精卵です。受精卵が分裂を繰り返し、倍倍に細胞が増えていくわけですが、もともと1つの細胞からはじまっていますので、60兆個の遺伝子はすべて同じものです。しかしその中に、爪になる細胞もあれば、皮膚になる細胞もある。つまり、遺伝子という設計図は同じですが、部位部位で設計図から取り出す箇所が異なるため、それぞれ別の細胞に分化していきます。そして、新陳代謝によりどんどん生れ代っているのです。
──皮膚や爪なんかはどんどん新しい細胞に置き代っているのがよく分りますね。
森 そうですね。実は腸の上皮細胞も活発に細胞が生まれ変わっていて、およそ2〜3日ですべての表面の細胞が置き代るんですよ。
はじめは1つの、そして同じ遺伝情報を持った細胞なんですが、心臓や肝臓、皮膚や髪の毛など、それぞれ決った場所で特定の働きをする細胞になります。また、それらを補うような細胞もある。それが幹細胞です。幹細胞は自分と同じ細胞を複製・製造する能力を持っています。
幹細胞について、徐々に解明されてきているのですが、まだまだ分らないことも多く、それぞれの遺伝子のどのような働きが、細胞分化を司どっているか、今、多くの研究者が研究しているんですよ。
抗ガン剤では死なないガン幹細胞
──ところで、通常の細胞は増殖し過ぎないよう制御機能が働いているが、ガン細胞はそのコントロールを失って無制限に増殖するようになったものだと聞いたことがあります。一方、先程の先生のお話だと、腸の上皮細胞は2〜3日で新しい細胞に置き代るということですね。ガンの発生には長い年月が必要ということですが、数日で細胞が置き代る腸に、どうしてガンができるのでしょうか。
森 そこが重要な観点なんです。
通常、ガンはいくつかの遺伝子の異常が積み重なって発症するといわれており、理論的には十数年掛るといわれています。でも、2〜3日ですべてが代る腸の上皮細胞にもガンができる。十数年も遺伝子の異常が続かないとガン細胞にはならないのに、生れ代りの早い上皮細胞にガン細胞ができるということは、理論的に特定の細胞になる前の幹細胞そのものに、遺伝子の異常が起こっているとしか考えられません。
──なるほど。正常の幹細胞だけではなく、ガンにも幹細胞があるということですね。
森 その通りです。
そして、どうやらガン幹細胞は抗ガン剤に強いということも分ってきました。というのも、幹細胞は体の細
胞の供給源ですから、幹細胞がなくなると生命そのものが脅かされます。そのため、幹細胞は自分を攻撃する毒を排除する仕組みを備えているらしいのです。
──つまりガン幹細胞にとっての毒は抗ガン剤で、ガン幹細胞が抗ガン剤を排除するから、抗ガン剤が効かないこともあるんですね。
森 そうなんです。
抗ガン剤治療におけるガン再発の流れ
ガン幹細胞は、自己複製・多分化など正常の幹細胞と多くの性質を共有すると考えられている。抗ガン剤を投与しても、ガン細胞は死滅するが、ガン幹細胞はさまざまな抗ガン剤に耐性を有するため、再発の原因となる<資料提供:森 正樹氏> |
実際、肝臓のガンを分解して調べたところ、いろいろな細胞が含まれていることが判明しました。そこに抗ガン剤を投与してみると、ガン幹細胞から派生したガン細胞は死滅するんですが、ガン幹細胞は死滅しないのです(図を参照)。
ガンには依然として外科治療が最も有力な対抗策です。けれども外科治療や抗ガン剤投与といった方策では治癒できないガンがあるということが分ってきていますから、私達はこのガン幹細胞の特徴を明らかにして、ガンを根絶できたらと考えているんです。
──確かに、現在の治療法においては、すべてのガンが完治するわけではありません。そこで、根本的な治療としてガン幹細胞をターゲットにすることが必要なんですね。
ところで、先生はどのようにしてガン幹細胞を発見されたのですか?
森 正常な幹細胞とガンの幹細胞と思われる細胞をそれぞれ抽出し、遺伝子の違いなどを調べました。
ガン幹細胞の存在の仮説はすでに数十年前位からあったのですが、検査器具や装置が理論に追いつかず、実証できなかったのです。最近になって新たな検査機器が登場し、理論を裏付けることができたんです。
具体的には顕微鏡で細胞をのぞきながら、採りたい2〜3個の細胞の周囲を電子ペンで囲み、レーザーのスイッチを入れ、細胞を切り採る。こうした行為を何千回と繰り返して比較する細胞を集め、検証しているんです。
大変な根気のいる作業なんですが、若いドクターがコツコツやってくれており、こうして集めた遺伝子をしらみつぶしに調べていって、現在、49個の細胞について調べ終えたところです。
乳房の再生手術など、再生医療にも活用
──幹細胞といえば、さまざまな組織や臓器になるiPS細胞(人工多能性幹細胞)の研究が、再生医療の切り札として京都大学などで盛んに行なわれているようですね。
森 京大の山中伸弥先生が万能細胞を作成する手法を開発・実証され、山中先生を中心に、現在オールジャパンで研究しているんですよ。その中で私達は消化器系の幹細胞研究を担当できればと考えています。
幹細胞はそもそも特定の細胞に分化できる能力のある細胞ですから、例えば乳ガンの手術患者の乳房再生手術にも応用できます。数年前までは乳ガンの摘出手術を行なうと、術後の乳房の形状が手術前とは大きく異なることから、女性としての心理的な負担が非常に大きかった。でも、幹細胞を注入することによって、手術の跡がほとんど分らないまでに再生できたんです。すでに9名の患者さんを施術しました。
── それはすばらしいですね。ちなみにその幹細胞はどうやって集めたんですか?
森 これまで、幹細胞というと骨髄液から採ってきていたのですが、最近の研究で脂肪に多くの幹細胞が含まれることが分ってきたんです。
具体的にいうと、骨髄由来幹細胞は1ccに50個位なんですが、脂肪由来はなんと5000個も含まれているんです。
──脂肪の中にそんなに! 確かに人間はすぐ太りますし、脂肪がすぐ増えるということは幹細胞が多い、ということなんですね。
森 はい。実際、乳房の再生治療を受けた患者さんは、ご自分のおなかのあたりの脂肪から幹細胞を抽出したんですよ。
脂肪を吸引し | |
採取した脂肪を | |
成分を分けるため遠心分離器などに掛け、 | |
幹細胞液を抽出する |
乳ガン患者の手術痕がほとんど分らない状態に再生できた(左は幹細胞液注入前、右は注入後)<写真提供:森 正樹氏> |
それにしても、幹細胞に関する研究は、まだ判明していないことが多く、医学としての社会的な役割も大変大きいですし、学問としても非常に面白い。まだまだ興味はつきません。今後はこうした研究を通じて、周囲に夢を与えることのできる若手外科医と医学者を育てていきたいと強く思っているんです。
──本日先生のお話を伺って、大変未来に明るい希望がわいてきました。今後も陰ながら先生を応援していきたいと思います。
本日はどうもありがとうございました。
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