こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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解剖学は医学の中でも社会とのつながりが 非常に強い学問なんです。

解剖学と社会の関わり

順天堂大学医学部教授

坂井 建雄 氏

さかい たつお

坂井 建雄

1953年大阪府生れ。78年東京大学医学部医学科を卒業。同大学の解剖助手となる。83年医学博士。84−86年までフンボルト財団奨学研究員として西ドイツハイデルベルグ大学解剖学教室に留学、帰国後東京大学医学部助教授、90年から現職に。95年9月−11月に行われた特別展「人体の世界」では展示実行委員長として、日本解剖学会を代表して展示企画に加わった。96年からは朝日カルチャーセンターで「人体の世界」と題した公開講座の講師も務める。
主な編著・訳書に『リンゴはなぜ木の上になるか』(共訳、87年、岩波書店)、『からだの自然史』(93年、東京大学出版会)、『人体のしくみ』(94年、日本実業出版社)、『現代の解体新書「人体の世界」展 創世記』(共編、96年、読売新聞社)、『ガラス瓶から解き放たれた人体−新解剖学の夜明け』(97年、NECクリエイティブ)がある。また94年より『imidas』(集英社)において「人体」の解説を執筆している。

1997年7月号掲載


解剖を一度体験すると真人間じゃなくなる!?

──実は小学生の頃にやったカエルの解剖の体験は今も非常に鮮明に残っているんです。もし人体の解剖をした経験があったらどんなにすごい衝撃なんだろうと思うんですけど…。

坂井 これは体験した人でないと分からないですね。まさに世界が変るほどの衝撃的な体験です。

この大学では医学部出身じゃない教員にも解剖実習を体験する制度を設けていますが、いかに衝撃的な体験であったかを本当に感慨深く語ってくれます。本来人間の死体、あるいは体に手を触れることには抵抗感があります。でも一度解剖に手を染めれば人体を解剖することへの抵抗感は薄れてしまいます。そのことに気付くのも大きな衝撃なのです。そういう意味では、われわれはもう普通の感覚を持った人間ではない、つまり真人間ではないのかもしれませんね。

ただ、今インフォームドコンセントというのがしきりに強調されています。これは医者が何でも勝手に決めて治療するのではなく、できるだけ患者さんに情報を提供して治療方法を決断してもらう、そのことを、医者に対して言っているんです。でも患者さんは自分の体がどういうものなのか全く分からない。そういう人達に情報を与えて「決断しなさい」と言っても、それは無責任としか言いようがないです。自分自身の健康について判断していく、責任を問われる時代であれば、少なくとも何らかのボディイメージをつくることが必要になってくる。

そのためには人の体の中を見たり触ることに抵抗感を持たない方が、むしろいいわけです。それには解剖を体験することが一番ですが、誰もがそう簡単にできるものではありません。解剖実習を見学することもできますが、まだ一部の人に限られてしまっていますね。

──でもやはりマニュアルで得る知識よりも、体験で得る知識がどんどん必要になってくると思いますよ。同じ「知」でも得るものは全く違いますから。いずれにしろ、これからの時代は自分の体がどうなっているのかを、はっきり知っておく必要がありますね。


特別展「人体の世界」は46万人を動員し大成功

──一昨年国立科学博物館で行われた特別展『人体の世界』は大成功だったそうですが、やはり自分たちの体のことを「知りたい」という気持ちの表れでしょうか。

坂井 そうだと思います。

あれは日本解剖学会が創立100周年になるので何か大きな企画を、ということで行ったんです。はじめは文化祭的なものを漠然とイメージしていたら、国立科学博物館の馬場先生が実行委員会に入られて、一挙に、博物館を使って大々的にやろうということになったんです。ただこの「大々的にやる」ことの意味が、この時、学会の人達には一切想像つかなかったんですよ(笑)。でも開催してみたら46万人もの方が観に来てくださいました。

──私はてっきりホルマリン漬けの標本のような類の物を展示したのかと思ったのですが、新しい技術のプラスティネーション標本が多く展示され、かなり話題になりましたね。

坂井 あれはハイデルベルグ大学のハーゲンス博士が開発した解剖標本の新しい技術です。人体の3分の2は水分ですよね。それが全てプラスチックに置き換えられていると考えてください。これにより、標本そのものを実際手にとって扱えるし、生きている時と同様の器官、臓器の形状と弾力を保つことができるようになったんです。

プラスティネーション標本には人体全体および臓器、器官をほぼ原形どおりに標本化するシリコン法と、いろいろな角度方向にスライスされた標本を樹脂に埋め込む方法の2通りがある。

プラスティネーション標本には人体全体および臓器、器官をほぼ原形どおりに標本化するシリコン法と、いろいろな角度方向にスライスされた標本を樹脂に埋め込む方法の2通りがある。
(1)太ももの切片標本、(2)大動脈、(3)回腸から結腸の部分、(4)腕の一部、(5)腎臓、(6)正常な状態の肝臓、(7)ガンになった肝臓

──先生がお感じになった来場者からの反応はいかがでしたか。

坂井 本当にあんなに観に来てくれるとは思いませんでした。最初は単なる猟奇趣味で来るのではないかと思ってましたがそうではなくて、自分の体について知りたいという真摯な気持ちで来てくれたのだと思います。また、あのような人体解剖標本を一般の人たちに見せるという試みは初めてのことだったので、もしかしたら「けしからん」とお叱りを受けるかもしれないと思ったのですが、そういうこともなく、皆さん、心に大きく受け止めるものがあって帰られたようです。

──学会の中からも先生のようなオープン志向の方が出たからうまくいったんでしょうね。

坂井 そうですね。きっとそれがうまく合致したんだと思います。大学の中に入ってしまうと研究者はもっぱら研究業績で評価されますから、そのためにより最先端の仕事をしようとする。そうなると学生への教育や社会への啓蒙をいやがる人も多くいるわけです。医学全般にそういう傾向がかなり強い。でも今は、われわれ科学者も社会的責任を問われる時代です。

私は、解剖学は医学の中でも、学生への教育はもちろん、社会に対する啓蒙といった役割も大きく担っている学問だと思うのです。しかも献体をされる篤志家の方との交流もあり、社会とのつながりが非常に強いわけです。これがこの展示会を成立させた背景になったのだと思います。


医学には「不条理」な面がある

──ところで、先生は医学の不条理な面についても意見をお持ちですね。

坂井 医学を含めて自然科学というのは、事実を観察することと法則を求めることの上に成り立っています。医療の現場には日々観察すべきものがたくさんありますが、まだまだ科学が及ばないような難問も数多く残っています。しかし、こうした問題も注意深い観察力と冷静な判断力があれば、いずれは解決していけるでしょう。

ですが、こうした医師の冷静で科学的な判断力は、時に人間的な感情と相いれない部分があるんですよ。例えば医師が自分自身や肉親の病気を診るのは非常に難しい。なぜかというと、個人的な「情」が冷静な判断を狂わせてしまうからなんです。私はこれを医学の不条理と呼んでいます。

また、患者さんは入院に対する不安から医師や看護婦に対し、メンタルなケアを求めます。もちろん患者さんをいたわる気持ちがなければ、その患者さんを救うことはできません。でもそのような感情が強すぎてしまうと病を治すという本来の目的が妨げられてしまうこともありうるわけです。

──医者側と患者側、理性や感情あるいは客観や主観のギャップがあるわけですね。でも両方とも大事なことですよね。

坂井 医学に限らずわれわれの生活そのものにも言えると思いますよ。家内がたまたまカトリックだったので、教会で神父様にお話をうかがう機会があったんですが、科学者の立場から言うと神様を信じることほど不合理なことはないのです。

でも、世の中には考えれば考えるほど不合理なもの、不条理なものが見えてくることが実際に多くありますよね。科学ばかりやっていると、どうしても全てが合理的に割り切れると思いこんでしまう。実際の世の中は必ずしも全て合理的にはできていません。それが現実です。しかしそんな不合理なこともとりあえず受け入れていくことが、人間らしい生き方なんじゃないかな、と思うんです。神様を信じるということもそういうことの現れではないでしょうか。

──そうかもしれませんね。それにもともと生命は科学がつくったものではないですし、科学万能の時代と言っても全て追究できっこない…。

坂井 その通りです。解剖実習はその意味で、人間の生き方に科学を超えたものがあるということを実感する場所でもあるのです。「人体」と「生命」の関りの奥深さ、そういったものを誰でも感じるはずです。

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人様のお役に立つ医者の育成が大きなテーマに

──ところで先生のこれからの主な研究テーマは何でしょうか。

坂井 三つほど並行してあるんですが、一つは腎臓に関する細胞レベルの研究があります。

二つ目は解剖学の歴史の部分です。われわれ人類が人体をどう理解してきたのかを探ることによって、一つの人体観史のようなものをまとめたいと思っています。

三つ目は研究そのものではありませんが、学生の育成です。

解剖学の歴史を調べますと、解剖学の創始者と言われているのはヴェサリウスですが、その直前レオナルド・ダ・ヴィンチもかなり詳細な解剖をやっている。ではなぜヴェサリウスが創始者なのかというと、ダ・ヴィンチは自分のやりたいところだけをやっていたのに対し、ヴェサリウスは骨格から筋肉、ありとあらゆる体のパーツ、システムを全て観察したわけです。解剖というのは人体を網羅しなければ意味がありません。これにより解剖図が正確かつ生き生きとしたものになり、大変革を遂げたわけです。私の教室では、実習はできるだけ学生達の力でやるようにさせています。この解剖を通して、学生達の考え方は、常にマニュアルの答えが用意されているというモノから、何が起こるか分からない、自分の頭で考えて答えを出さなければならないというモノへと変革される。言わばヴェサリウスがやってきたことを追体験しているわけです。

ただ教師なら誰にもある傾向なんですが、自分の知っていることをつい教えたくなるんですね。そうではなく少し学生達を突き放して、自分で育っていくのを見守るようにしなければ、と思います。製造物責任法というのがあるでしょう。乱暴な言い方ですが、今私達が育てている医者の卵達は言わばわれわれの製造物ですから、人様のお役に立つような医者に育てる、これが私の大きなテーマでもあるんです。

──それぞれのテーマがうまくいくようにお祈りいたします。特にお医者さんの育成については、一般市民として患者の心の分かるお医者さんの育成をお願いしたいと思います。

本日はありがとうございました。


近著紹介
『ガラス瓶から解き放たれた人体』(NECクリエイティブ)

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