こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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世界中で食べられているジャガイモ。 実はインカ文明など、人類の歴史に多大な影響を及ぼした 食物なのです。

ジャガイモがつくったインカ文明

民族植物学者 国立民族学博物館民族文化研究部教授

山本 紀夫 氏

やまもと のりお

山本 紀夫

やまもと のりお 1943年、大阪府生れ。70年、京都大学農学部農林生物学科卒業、76年、京都大学大学院博士課程修了。78年、国立民族学博物館助手、82年、助教授を経て現職。主な著書に『インカの末裔たち』(92年、日本放送出版協会)、『ジャガイモとインカ帝国 文明を生んだ植物』(2004年、東京大学出版会)。編著に『木の実の文化誌』(92年、朝日新聞社)、『酒づくりの民族誌』(95年、八坂書房)、『ヒマラヤの環境誌−山岳地域の自然とシェルパの世界』(2000年、同)など多数。

2004年6月号掲載


インカ文明を支えたジャガイモ

──先生は民族植物学をご専門とされており、中でもジャガイモ研究における第一人者と伺っております。

本日はいろいろとお話をお聞きしたいと思いますが、まず始めに、研究に取り組まれたきっかけについて、教えていただけますか?

山本 実は、私はもともと、トウガラシの研究をしていまして、調査のために何度も南米ペルーのアンデス高地へ出掛けていました。

そこで、インカ文明の末裔といわれる人々の生活を見て、興味を持ったことがきっかけですね。

──具体的には、どんなところに興味を持たれたのですか?

山本 インカ文明は、通説ではトウモロコシが主食といわれていましたが、現代人の生活を見ると、ジャガイモの方が欠かせない食物でした。

私はそこに疑問を持ち、文明を知るためには、ジャガイモの研究が必要であると感じたのです。

──なるほど。そして、実際にジャガイモが主食であったことを発見されたのですね。

ところで、そもそもジャガイモの原産地とは、一体どこになるのでしょうか?

山本 アンデスのティティカカ湖畔です。湖の周りは富士山よりも標高が高く、草原地帯が広がっています。

アンデスは、平均標高が約3,500m、面積は日本の約3倍もある山岳地帯です。ジャガイモだけでなく、トマト、トウガラシ、カボチャといった食物の原産地でもあるんですよ。

"標高約3,800mのアンデスの景観。樹木はほとんどなく、主にジャガイモ畑が広がっている
<写真提供:山本紀夫氏>"

──なぜこれまで、インカ文明の主食はトウモロコシとされていたのですか?

山本 考古学的な発掘は盛んでしたが、調査には偏りがありました。

乾燥すると残りやすいトウモロコシに比べ、イモ類は腐ってしまい何も残りません。ですから、発掘データでいうと、圧倒的にトウモロコシが有力説だったわけです。

──民族学的な調査は、あまりされてこなかったのですね。

山本 そうです。先住民がいる村は、標高4000mの場所にあり、寒さが厳しい上に、高山病にもかかりやすい所です。しかも、村は閉鎖的な社会なので、入りにくく、調査をするのがとても困難だったのです。

──そうですか。それは先生も研究されるのにご苦労なさったのでしょうね。

山本 はい。私は村の人達と一緒に暮らせるようになるのに、1年ほどかかりました。

まず始めに、先住民がいる村ではなく、標高3000mにある町で暮らし、親しくなった人を通じて、少しずつみんなに顔を覚えてもらったのです。


多品種栽培による安定収穫

──村ではどのくらいの期間、生活されていたのですか?

山本 かつてインカ帝国の中心地だったクスコのマルカパタという村に、トータルで2年ほど暮らしました。

村の人達は、驚くほどジャガイモばかりを食べていて、トウモロコシは、チチャというお酒の原料になる他には、儀礼用に使われるくらいでした。

マルカパタ村のジャガイモの収穫。イモが小さく形も不揃いな在来品種を栽培<写真提供:山本紀夫氏>
マルカパタ村のジャガイモの収穫。イモが小さく形も不揃いな在来品種を栽培
<写真提供:山本紀夫氏>

──ジャガイモの種類は、どのくらいあるのでしょうか?

山本 私が暮らした村だけでも、100種類以上栽培されていました。品種によって味が全然違うんですよ。アンデス全体では3000−4000もの品種があるといわれています。

──えっ!そんなにあるんですか。どんなふうに栽培されているのですか?

山本 1つの畑に何十種類ものジャガイモを混ぜて植える、多品種栽培が主流です。

生産効率は良くないのですが、病気や旱魃が発生しても被害が少なくて済むのです。

──なるほど。そうやって、安定的で持続的な収穫を得られるわけですね。

インカ帝国は食べ物が豊富で、飢えで死ぬ人はいなかったと聞いています。それは、こうした農業手法によるものなのですね。

山本 その通りです。経済的には決して豊かではありませんが、今でも飢えで死ぬ人は、まずいません。


毒抜き・貯蔵技術が発達

──ところでジャガイモは、植物学的にみると8種になるとか。

山本 そうなんです。しかもそのうち、世界に広まったのはたった1種だけです。

また、2種については、煮ただけでは苦くて食べられないんですよ。

──苦いということは、毒があるということですか?

山本 そうです。ソラニンと呼ばれる毒で、ジャガイモの芽に含まれていることでも知られていますよね。

毒のあるイモは、動物やウイルスなど、他の生物に食べられにくく、寒さにも強いのです。村人達はそうしたイモも、毒抜きをして食べています。

──先住民達は、8種をうまく使い分けることで、リスクヘッジしているのですね。

山本 その通りです。普通のジャガイモは、標高約4,000mまでしか栽培できませんが、毒のあるものはそれ以上でも栽培できます。

──保存方法はどういったものがあるのですか?

山本 ジャガイモを凍らせた後に、乾燥させる方法があります。これを何回か繰り返すうちにブヨブヨになるので、足で踏んで汁を抜き、天日で乾かすと、何年でも保存可能な状態になるのです。

冷凍して乾燥させたジャガイモ「チェーニョ」は、何年でも保存が可能(左)。<br>市場では、白いチューニョや黒いチューニョが売られている(右)<写真提供:山本紀夫氏>
冷凍して乾燥させたジャガイモ『チューニョ』は、何年でも保存が可能(左)。
市場では、白いチューニョや黒いチューニョが売られている(右)<写真提供:山本紀夫氏>
インカ遺跡の石壁に自生するジャガイモの野生種<写真提供:山本紀夫氏>
インカ遺跡の石壁に自生するジャガイモの野生種
<写真提供:山本紀夫氏>

──貯蔵技術も発達しているのですね。

アンデスのジャガイモのお味はいかがでしょうか?

山本 ポクポクしていて、非常に美味しいですよ。

石臼で挽き、肉やイモと煮込む重湯のような料理があるのですが、寒いときに食べると体が温まって非常に美味しいです。

先程のチチャもそうですが、これらが好きになると、アンデスから離れられないですよ(笑)。


世界の歴史に影響を及ぼす

──ジャガイモが世界に広まったのは、いつ頃のことなのでしょうか?

山本 実はほんの300−400年前です。

始めは食べ物としてではなく、観賞用の花としてヨーロッパなどへ広まっていきました。

──では何がきっかけで、食用として世界で栽培されるようになったのですか?

山本 飢饉や戦争による影響だと思います。

ヨーロッパ北部は、寒冷な土地で、食糧の生産性が低く、18世紀頃まで頻繁に飢饉が起きていました。そこで、領土拡大のために、戦争も度々行なわれ、畑は荒廃し、しばしば食料不足になったわけです。

ジャガイモは、そうした厳しい土地でも栽培でき、栄養価も優れていることから、ドイツやアイルランド、ロシアなど、一気に世界へ広まり、歴史に影響を及ぼしたのです。

──歴史への影響としては、例えばどんなことが挙げられますか?

山本 日本でいえば、北海道の開拓は、ジャガイモ抜きには考えられません。イギリスでも、産業革命に与えた影響は大きいと思います。

また、アイルランドでは19世紀中頃、ジャガイモの病気が発生し、収穫がなくなったことで、100万人が餓死し、100万人がアメリカへ移住したという大惨事まで起きています。

──歴史の裏にはジャガイモの存在があったのですね。

最後に先生の今後のご研究について、教えていただけますか?

山本 これからは、アンデスを中心に、チベットやヒマラヤ、アフリカ、ヨーロッパなど、世界の山岳地域を回り、人々の暮らしを見て、その共通点や違いなどについて研究していきたいと思います。

──それは楽しみですね。これからもご活躍を期待しております。

本日はジャガイモの奥深さを知ることができました。貴重なお話ありがとうございました。


近著紹介
『ジャガイモとインカ帝国 文明を生んだ植物』(2004年、東京大学出版会)

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