こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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歴史は必ず変る。 その時代によって歴史に対する問いかけが変るのです。

聖書に書かれた未来−キリスト教の歴史観

歴史学者 埼玉大学教養学部教授

岡崎 勝世 氏

おかざき かつよ

岡崎 勝世

1943年富山県生れ。67年東京大学文学部西洋史学科卒業後、同大学の大学院へ進み、博士過程単位取得後退学。大学では林健太郎教授、大学院では成瀬治教授に師事。専攻はドイツ近代史。今後の研究活動としては、ドイツの啓蒙主義時代の歴史学のほか、古代から19世紀までの人々がどういうふうに世界を見て世界史を考えてきたのかをまとめたい、とのこと。著書に『聖書vs世界史−キリスト教的歴史観とは何か』(96年、講談社現代新書)がある。

1998年3月号掲載


ニュートンの研究活動のベースは「聖書」

──先生が書かれた「聖書vs世界史」を大変興味深く読みました。歴史というのは面白いものだなと常々思っていましたが、「聖書」という切り口から西欧社会の歴史を捉えるというのは初めてでしたので、いろいろと驚いたこともあったんです。例えば「紀元前」を含むキリスト紀元がヨーロッパで一般化したのは19世紀に入ってからなど、とても意外でした。

岡崎 実は私もそれにはびっくりしたんです。われわれは「紀元前」という言葉を今は簡単に使っていますが、19世紀までは一般的に「紀元前」という考え方はなく、「創世紀元」で十分通用していたのですから。この本をまとめながら、この他にも、いろいろな事実が分かって、驚きながらもとても楽しんでやっていました。

──今日はそのキリスト教的歴史観や先生の考えておられる歴史の見方など、いろいろとお伺いしたいと思っています。

驚いたことと言えばもう一つあるんですが、ニュートンの研究活動は聖書がベースにあったなど、これもまた意外でした。

岡崎 ええ。ヨーロッパでは16世紀から「大学者の時代」といえるほど著名な学者を多く輩出していきますが、こうした学者達は、皆、聖書の研究者でもあるんです。例えば聖書の冒頭にある「神は6日間で天地を創造した」という話には宇宙論の要素も含まれています。彼らはこうした記述を信じていたからこそ、それらを証明するために哲学や物理学など、およそ聖書に関わりがあると思われるすべての学問を研究し、発展させていったわけです。

当時の考え方を示すものとして「神の技、神の言葉」という言葉があります。つまり「神の技」というのは神が造り出したいろいろなもの、宇宙や大地などあらゆるものを指します。現在ではそれらは自然科学の対象ですが、それらの法則を知ることが神の意思を知ることとされた。また人間の社会は神の言葉を通じて成り立っている。したがって、この「技」と「言葉」に示されている神の摂理を探究しなければならないと考えていたわけです。こういうことが背景にあり、彼らは聖書を通じて自分達の社会の法則を知ろうとしていたんです。

ニュートンもそんな研究者達の一人で、最後は異端説にかたむきますが、熱烈なキリスト教探究者でした。彼の中では、自然に関する研究も、聖書に関する研究も、すべて神の摂理を解明する研究として、統一して捉えていたのです。

──そうした研究の成果が、自然科学のベースの一つともいえる「万有引力の法則」の発見となったんですね。

岡崎 ええ。一方歴史研究の分野ではこんなことがあったんです。これはあまり知られていないことなんですが、彼は自然科学によって歴史の年号を測定しようともしたんですよ。でも天文学を利用するところまでは良かったのですが、それを伝説に適用してしまったため、ギリシア史やローマ史を大きく短縮してしまうという間違いも犯したんです。


ヨーロッパ人にとって大切なのは「神の言葉」の捉え方

──彼らのいた時代の世界観、歴史観はまさに聖書そのものなんですね。

岡崎 そうですね。歴史もまさに一例です。古代ローマ時代にキリスト教が成立してから彼らにとっての世界史は、聖書の記述に基づいて書かれた「普遍史(Universal History)」と呼ばれるものでした。

──あまり聞きなれないものですね。

岡崎 最近大修復を行なって話題になったバチカンのシスティーナ礼拝堂壁画は、天地創造から最後の審判までが描かれていますが、これはこの普遍史を視覚化したものなんですよ。

──普遍史を簡単に言うと、天地創造をスタートとして、アダムとエヴァからノアの箱舟、4つの王国の話を経て、最後の審判で現世が終わる、というものですよね。

岡崎 そうです。この普遍史はその時代、時代によって、当時信じられていた史実と何とかつじつまを合わせていました。

ただ中世あたりまでは良かったのですが、その後宗教革命やルネッサンス、大航海時代、科学革命の中で存続していくには危機的状況になり、18世紀の啓蒙主義の流れの中で、普遍史は自己崩壊していきます。現在はもう普遍史時代の歴史的生命はなくなっています。

──聖書と現実が噛み合わなくなってしまった…。でも聖書そのものは未だに深く浸透していますね。

岡崎 聖書そのものは先程触れたように「神の言葉」を記述したものですから、ヨーロッパの人達にとって、その神の言葉を自分自身でどう捉えるかということは、やはり今でもとても大切なことと捉えられていると思いますよ。


歴史への問いかけは自分の中から生まれてくる

──それにしても歴史観はその時代、文化などでずいぶん違うものなんですね。

岡崎 その通りです。私は学生達に歴史を教える時に「歴史というのは必ず変わるものだ」と強調しています。

例えば古代の人達は時間は「円」である、「歴史は繰り返す」という考え方をしていました。そういう時代を経て、キリスト教的歴史観が生まれ、その後科学的歴史観を標榜していくように、その時代によって歴史に対する考え方が変わっています。さらに、最も抜本的なこととして、歴史に対する問いかけが変わるのです。

私が学生だった60年代というのは、これまでの世界史の捉え方ではこれからの若者の役に立たないのではないか、ということから世界史の再編成についての議論がされていた時代でした。またその頃はちょうど高度成長期だったため、日本は世界の中でどうあるべきかを過去に「問いかける」ことで探っていこうとしていた時期でもあったんです。このような社会背景は当然歴史の見方にも影響してきますから、それ以前の歴史とは異なった解釈が生まれていくことになったわけです。

──新しい時代には、新しい問いかけが生まれる。つまりこれからも変わるということですか。

岡崎 ええ。そしてその問いかけは、自分の中から生まれてくるものなんです。学生達には、「歴史の分野で何をやりたいのか」というよりは、「今何を考えているのか」をいろいろ聞きます。若い人達は現在の世界でいろいろな悩みを持っているのだと思いますが、むしろそういう問題を真剣に考えていった方が、これから歴史を勉強していく中で良いテーマに行き当たるんです。何か過去の中で面白いものはないか、という発想でテーマを探していても、なかなか出てこないものなんですよ。

──自分への問いかけから自分なりの歴史の見方ができる…。歴史の勉強というのは自分自身の勉強でもあるわけですね。

岡崎 おっしゃる通りです。歴史学は過去を問題とし過去の事実によって縛られてはいますが、他面ではいろいろな考え方ができる大変楽しい学問なんです。


同化することが「国際化」ではない

──ところで今盛んにグローバリゼーションということが言われ、これまで以上に外国の方や文化と接する機会が増えてきています。しかしヨーロッパの人達のように、聖書が今も深く影響しているなど、われわれ日本人とは明らかに違う点が多々あります。これは何もヨーロッパの人達だけとは限りませんが、こういった思想や文化、そして歴史観の違いは、大きな壁になってしまわないでしょうか。

岡崎 確かに違う面は多々ありますが、だからこそ相手のことがよく見えてくるのだと思います。私の大学に来ている外国人留学生達を見て感じるのは、これは私達が外国に行く場合にも同じことが言えると思いますが、ある程度自我が確立した時に外国に行く方が、その国への理解が進むのではないかということです。国際化というのは、お互いに同化すればいいというものではないですからね。

──なるほど。自分というアイデンティティーというか、軸がちゃんとでもできあがった上で接触する方が理解度も増すわけですね。

岡崎 ええ。むしろ親の海外赴任先で生まれて現地の学校へ行ったお子さんが日本に帰って生活する、と言う場合の方が苦労するんじゃないでしょうか。自我のないうちに違う文化の影響を受けるわけですからね。個性というのは、あくまでも生まれ育った場所でできるものですから。

──つまり、己を知り、相手を知るというか、そしてそれを通じてお互いの文化を知るということがますます必要になりますね。

岡崎 そこで大切なのは、尊重するということだと思います。

これも、われわれが学生達によく言うことなんですけれども、外国に行った際に「とにかくその国の人が大事にしているものをいち早く感じ取り、それを自分自身でも尊重しながら、その国の人といろいろ議論できるような、そんな感覚が大事だ」と言っています。これは若い人には是非身に付けておいて欲しいと思います。

これは心構えの問題なんです。

例えば寺院に行く時に、その国によっては靴を脱いで入らなければいけないところもあるし、靴のままで入れるところもあるかもしれない。その国々によって大事にしていることがいろいろ違いますから、まずそれに配慮する。それだけでも随分違うのではないでしょうか。

──実を言うと、私自身、外国の方とビジネスをする場合に言葉の問題以外にも、ちょっとしたギャップみたいなものを大変煩わしく感じることもあったのですが、先生のお話を聞いたお陰で少し気が楽になってきました。

今日はキリスト教的歴史観から外国人との付き合い方まで非常に幅広い話になってしまいましたが、とても勉強になりました。ありがとうございました。



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