こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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12世紀に栄えたノルマン・シチリア王国。 ラテン、ギリシャ、アラブ文化が併存し 繁栄できたその理由とは…

ヴァイキングがつくった地中海王国

歴史学者 東京大学文学部助教授

高山 博 氏

たかやま ひろし

高山 博

1956年福岡県生れ。80年東京大学文学部西洋史科卒業。89年から90年まで、英国ケンブリッジ大学客員研究員、同年、米国エール大学大学院歴史学博士課程を修了し、一橋大学経済学部助教授。93年、東京大学文学部助教授に。主な著書に『神秘の中世王国』(95年、東京大学出版会)、『ハード・アカデミズムの時代』(98年、講談社)、『中世シチリア王国』(99年、講談社)など。93年に出版した『中世地中海世界とシチリア王国』(東京大学出版会)では、サントリー学芸賞、地中海学会賞、マルコ・ポーロ賞を受賞している。

2000年2月号掲載


ヴァイキングから傭兵、そして一国の王へ

──先生の著書『中世シチリア王国』を読ませていただいて、12世紀に南イタリアとシチリア島に、文化的にも経済的にも豊かで、先進的な大国、ノルマン・シチリア王国が存在していたことを初めて知り、とても驚きました。

高山 確かに、ヨーロッパ史を専門に勉強した方ならば知っていると思いますが、ほとんどの方は知らないでしょうね。この王国は、12世紀初頭、ノルマン人によってつくられた国で、その領土が南イタリアとシチリア島の2つの地域にまたがっていたため「両シチリア王国」とも呼ばれた国なんです。

──しかし、この王国については、世界史の授業では習った記憶がないのですが…。

高山 そうだと思います。なぜかというと、日本で「世界史」として教えられるのは、主に19世紀のヨーロッパ主要国でつくられた歴史の枠組みを基礎にしたものだからです。

当時のヨーロッパは近代国民国家が形成される時期に当っており、フランスを始め、イギリス、ドイツなどで歴史が非常に重要視され、多くの歴史家達が優れた研究を行ないました。しかしながら、歴史というものはどこの国でも自国を中心に記述しがちなもの。とりわけ、自国の成立過程を説明しようとしていた当時の歴史家達にはその傾向が強かったということができます。当然、それらの国から外れた地域の歴史はほとんど研究されなかったのです。そのため、私達の世界史の教科書には載らなかったというわけです。

──確かに、世界史というとフランスやイギリス、ドイツなどの歴史が中心でした。

しかしノルマン人というのは、北フランスのノルマンディにいた人達のことですよね。その場所から南イタリアとシチリアはかなり距離があります。そんな遠いところに、どうして彼らは王国をつくったんでしょうか。

ロゲリウス2世によって建てられたサン・ジョヴァンニ・デリ・エレミティ教会。赤い丸い屋根はオリエンタルな異国情緒を漂わせている。今でもイスラム風庭園が残っている<撮影:高山博氏>
ロゲリウス2世によって建てられたサン・ジョヴァンニ・デリ・エレミティ教会。赤い丸い屋根はオリエンタルな異国情緒を漂わせている。今でもイスラム風庭園が残っている<撮影:高山博氏>

高山 もともと彼らの祖先は北欧のヴァイキングで、8世紀末から竜骨船に乗ってヨーロッパ各地を荒らし回っていたんです。その一部の人達がノルマンディ地方に定住し、ノルマン公国をつくり上げました。そして11世紀初頭、今度はノルマンディ公国から多くのノルマン人が海外に流出していった。彼らは海賊や山賊として略奪をしたり、また傭兵として異国の君主に仕えるようになった。当時、南イタリアは覇権争いで対立する諸勢力の間で常に内紛状態が続いていた地域で、ノルマン人は勢力を拡大しようとする各地の諸侯に仕えていました。彼らの中には活躍して領地を与えられ、伯や侯、公となる者もおり、徐々に力を蓄えていきました。その有力者の一人、シチリア伯・ロゲリウス1世の息子、ロゲリウス2世がノルマン・シチリア王国を建国したのです。

──陣取り合戦をしていた人達に傭兵として仕えていたノルマン人が、その地を手に入れたとは面白い話ですね。

高山 そうですね。しかし、この国の最も特徴的で面白いことは、3つの異なる文化、ラテン(西ヨーロッパ)、ギリシャ、アラブ文化が併存していたということです。

──1つの国家内に、複数の異なる文化が…?

高山 それができたのです。それも当時のヨーロッパの中では、非常に先進的な国家として栄華を極めていました。商業、経済においては、豊富な農産物や工芸品を産み出し、地中海地域の貿易中核拠点として栄えていました。行政にしても、高度な官僚制度を採用しており、当時のヨーロッパで最も先進的だったといわれています。これを近代行政制度の先駆けと見なす歴史家もいます。また、この地を通って、東方の文化がヨーロッパ各地に広まったという要衝の地でもあったんです。こういう多様な文化が共存できたのは、互いの文化を無理に融合させることなく、うまく接触、影響し合ったからこそで、そのことがノルマン・シチリア王国に華麗な文化を開花させ、豊饒の国とならしめたともいえます。

──国民はみな、言葉も宗教も全く異とするんですよね。本当にすごいことです。

今も残るノルマン王宮にカッペッラ・パラティナと呼ばれる王の礼拝堂があり、その壁画にはモザイク画が描かれている<撮影:高山博氏>
今も残るノルマン王宮にカッペッラ・パラティナと呼ばれる王の礼拝堂があり、その壁画にはモザイク画が描かれている<撮影:高山博氏>

複数の言語・暦が入り混じり史料を読むにも苦労

ラ・マルトラーナ教会には、キリストから王冠を受けるノルマン・シチリア王国初代王ロゲリウス2世のモザイク画が残っている<撮影:高山博氏>
ラ・マルトラーナ教会には、キリストから王冠を受けるノルマン・シチリア王国初代王ロゲリウス2世のモザイク画が残っている<撮影:高山博氏>

──今や先生はこの「ノルマン・シチリア王国」の歴史研究で世界的にも有名になられていますが、そもそもなぜこの研究をされたのですか?

高山 もともと中世ヨーロッパで3つの文化が接触する歴史に関心があり、そういう地域はないか探したところ、アルハンブラ宮殿で知られる中世スペインや東地中海にあったビザンツ帝国、そしてノルマン・シチリア王国の3つが見付かりました。ノルマン・シチリア王国を選んだのは、その3つの中でほとんど研究されていなかったからです。

──ご苦労もたくさんあったのでは?

高山 本当に大変でしたね。

まず言葉。ノルマン・シチリア王国ではギリシャ語、ラテン語、アラビア語、またこれ以外にもたくさんの言葉が使われていました。ですから、史料を読むためにまず言語の勉強から入ったんです。そして、その史料の年代確定にも苦労させられました。文化や宗教、地域、時代によって、暦の制度が異なっているため、その年号が私達の暦の何年に当るのか…これは本当に困難を極めましたね。また、中世の文書には偽造も多くて、その情報が正確かどうか、違う史料から確証を得ることもしなくてはいけないんです。

──大変ですね。複数の文化が一国家に存在していたことが、研究においては障害の一つとなったわけですね。

高山 だからあまり研究する人もいなかったのかもしれません(笑)。


強力なパワーがグローバルスタンダードをつくり出す

「シチリアで最も美しいノルマン建築」と評されるモンアーレ大聖堂内部は黄金色や青、赤、緑のモザイクが壁一面を覆っている<撮影:高山博氏>
「シチリアで最も美しいノルマン建築」と評されるモンアーレ大聖堂。内部は黄金色や青、赤、緑のモザイクが壁一面を覆っている<撮影:高山博氏>

──ノルマン・シチリア王国は複数の文化が併存しながらも大きな争いもなく、逆にその状況をプラスに転じさせた国家です。現代社会も国際化が進み、異文化同士の争いが起きています。そう考えると、ノルマン・シチリア王国は理想的な国に思えるんですが…。

高山 確かに、理想的な国です。しかし、ノルマン王朝による強力な王権があったからこそ、あり得た栄華でもあったんです。王権が、異なる文化に属する人々の間の争いを抑え、そしてそれぞれの能力を利用していたため、うまくいっていたのです。ですから王権が衰退したと同時に、異文化間の争いも増え、ついにはノルマン・シチリア王国は消滅していったのです。

──なるほど。強力なパワーがあったからなんですね。

しかし、現代では異文化交流というのは必須です。こうした中、現代人はどうやったらうまく他国、他文化と交流していけるか、何かヒントはありませんか。

高山 そうですね。まず、国内だけを見るのではなく世界を見渡すこと、それも日本人なら日本というフィルターを通して見るのではなく、より客観的に世界を、現代を見ることが必要です。というのは、現代社会は民族や宗教、国家を越えて自由に行き来するようになっています。

例えば、現在の日本の状況を見ても、物や人、情報、資本が国境を越えて自由に行き来するようになっています。いわゆるグローバル化です。これまで日本は制度的な障壁に守られて、完結した社会を維持することができた。しかしここ数年の間に、その障壁も取り外され、一気にグローバル化の波が押し寄せてきました。外部、いわゆる他国の力が私達に直接及ぶようになってきたのです。この事実をよく知ることが必要なのです。

──その中では、どのように行動していったらいいのでしょう?

高山 例えば、経済にしても、政治、学問等においても各分野ごとに力を持っているところ−−私は「パワーセンター」と呼んでいるんですが−−これがある。例えば、コンピューター業界であれば、マイクロソフトがその良い例でしょう。圧倒的なシェアを誇り、絶大なパワー、影響力を持っています。このパワーセンターを中心にその分野が動いていく、自分に有利なグローバルスタンダードを決定していくのです。ですから、この動きをとらえることも重要です。

──そういう意味では、現代のパワーセンターはアメリカに集中しているといえますね。

高山 確かに、経済、知的研究機関等のパワーセンターのほとんどがアメリカに集中し、残念ながら日本にはほとんどなく、どの分野でもアメリカなどの影響を受ける状態です。また政治も同様で、アメリカ合衆国というパワーセンターが世界を動かしつつある。

──このままでいくと…?

高山 日本の国力が衰退していくことになるでしょう。そうならないためには、まず、高い水準の教育を行ない、世界に通用する人材を生み出すこと。そしてパワーセンターの一部を日本につくること、特に教育・研究機関、いわゆる「知」のパワーセンターを持つことが必要ですね。

──確かにまだまだ、日本は「井の中の蛙」的なところがあります。これは国としても私一個人としても肝に銘じなければいけないことですね。

本日は、中世のノルマン・シチリア王国の話から、現代社会の話まで幅広いお話をありがとうございました。 


近著紹介
中世シチリア王国

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