こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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縄文人はイヌをとても大切にしたのですが 弥生人は食料にしていたんです。

縄文人の食生活

動物考古学者 国立歴史民俗博物館考古研究部助教授

西本 豊弘 氏

にしもと とよひろ

西本 豊弘

1947年、大阪市生れ。71年早稲田大学教育学部卒業。81年北海道大学大学院博士課程単位取得退学、同年、札幌医科大学第2解剖学講座助手となる。85年より現職。大学3年生の時に中国古代史から動物考古学を研究するようになり、数々の遺跡の発掘調査に携わる。執筆は論文が主だが、共著として「考古学は愉しい」(藤本強編、94年、日本経済新聞社)がある。

1995年6月号掲載


縄文時代の食生活は安定していた

──新しい人間が入ってきて、農耕の技術だけでなく、イヌを食べる習慣まで持ってきたわけだから、食生活もかなりの変化ですよね。一体縄文人は主にどんなものを食べていたんですか。

西本 実は、現在私が研究主体としているのは、その食べ物についてなんです。

縄文時代は、シカ、イノシシ等を食べていた。ただ、そうしょっちゅう食べていたわけでもなく、せいぜい1年に一家族で1頭から2頭くらいだったのではないかと思われます。それ以外は植物質食料が大部分でしょうね。

──例えば木の実とか・・・。

西本 ドングリとかイモの種。青森の三内丸山遺跡ではイヌビエが出ています。植物質食料が主体ですから、ドングリのアク抜きなどの処理のために土器が必要です。

──土器は弥生時代と比べても多いんですか。

西本 嫌になるぐらい出てきますよ(笑)。それだけ植物をどんどん採取していたわけです。

何年か前ですが、学生たちと一緒に縄文時代の料理を作ってみたことがあるんです。

当時の料理というと、焚火の周りで何人かが骨付き肉を焼いているような光景を思い浮かべる方もいるかもしれませんが、実際遺跡から出る骨を調べると焼けているものはほとんどなく、また、骨は意図的に打ち砕かれたようになっている。それは骨髄を取るために割ったと考えられます。おそらく生のままか茹でて食べたんでしょうが、生のまま食べたとしても骨には肉片や軟骨などが残りますから、それを有効に利用するために、茹でて食べた可能性があります。また、骨髄は塩分、ビタミン・タンパク質・脂肪に富んでいますし、調味料の代わりにもなる。その汁にドングリで作った団子を入れたりしていただろうと思ったんです。

──一種の「鍋」ですね。

西本 その「縄文鍋」を作るために毛皮の付いたままのイノシシ一頭を手に入れて、縄文人が使っていたような石器のナイフで解体し、骨を割り骨髄も鍋に入れました。一緒にじゃがいも、ネギなどの野菜も加え、塩のみ少量加えました。色はビーフシチューに近く、意外に味がついていました。ただ、肉は野生味が強く学生たちにはあわなかったようでしたね。

またこの時にドングリを主体に、クッキーも作りました。ドングリは渋味のないマテバシイという種類を主体にしたので、砂糖を入れなくてもおいしかった。同じ材料を鍋に入れて団子を作ったのですが、火の通りが悪く、ドングリの味が強く残り、これは好評ではありませんでした。ただこの団子とクッキーは腹持ちが良かったですね。

──縄文人の食べ物は想像していたより多種多様だったんですね。

西本 そのために飢饉がないんです。季節によってあるものが採れなくても代替がききますから。そして居住地域周辺のあらゆる食料をすべて利用したでしょうし、貯蔵方法にも工夫をこらしていた。弥生時代と比べると低水準ではあるが安定していたんです。だから同質の文化を1万年も維持できたわけです。

国立民俗博物館にて
国立民俗博物館にて

近況報告

現在は同博物館同研究部の教授に

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