こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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人から人へ。 語り継がれる昔ばなしは まさしく人間の歴史そのものなんです。

現代によみがえる昔話

口承文芸学者

小澤 俊夫 氏

おざわ としお

小澤 俊夫

おざわ としお 1930年中国長春生れ、山梨県出身。56年東北大学大学院文学研究科修了。同年東北薬科大学助教授、63年日本女子大学教授、81年筑波大学教授、同大副学長、白百合女子大学教授を歴任。国際口承文芸学会副会長および日本口承学会会長も務める。グリム童話から出発し、日本の昔ばなしの収集および研究に従事。92年より「昔ばなし大学」開講、99年には季刊誌『子どもと昔話』刊行、98年には「昔ばなし研究所」設立など、若手の研究者育成とともに昔ばなしの研究と語りの現場を結び付ける活動を行なっている。主な著書に『昔ばなしの語法』(福音館書店)、『グリム童話を読む』(岩波書店)、『昔話のコスモロジー』(講談社)など、多数。また、『日本昔話通観』(全26巻・同朋舎出版)を編纂した。

2005年1月号掲載


物語のはじまりはどこから?語り継がれた昔ばなしには法則がある

──先生は、日本はもちろん世界各国の「昔ばなし」についてご研究されている第一人者と伺っております。

私自身、大人になった今でも、なお身近に感じている昔ばなしについて、本日はいろいろとお話をお伺いできればと思っております。

まず始めに、昔ばなしは洋の東西を問わず古来よりあまたありますが、これらはどのようにして生れたのでしょうか?

(上)『白雪姫』などでなじみ深いグリム童話集も、改訂の折に世情に合せ変化していった。写真はドイツ・ハーナウにあるマクルト広場のグリム兄弟像<写真提供:小澤俊夫氏>
(上)『白雪姫』などでなじみ深いグリム童話集も、改訂の折に世情に合せ変化していった。写真はドイツ・ハーナウにあるマクルト広場のグリム兄弟像
<写真提供:小澤俊夫氏>

小澤 昔ばなしの発祥についてはさまざまな説がありますが、グリム童話研究者として名高く、私の師でもあるクルト・ランケという人の有名な言葉があります。

「人が家庭をつくって以来、物語が絶えたことはない。語ることをやめたことはない」というものです。

 

実に単純な理由で、その日体験してきたことについて、親子間や兄弟間で話し合ったんです。例えば、狩りをしている間に起きた恐ろしいこと、あるいは畑仕事の最中に起きたことなどを、みんな家に帰って話した、それが物語のはじまりでありました。

──日本でも随分古くから物語がありますね。

小澤 そうですね。例えば「わが一族の祖先はこんな出来事があって、こんなふうに解決してきたんだよ」といった話は神話になっていくなど、生活のもろもろな場面で物語のモチーフは生れてきたようです。

──では、現代に伝わっているような物語形式になったのは?

小澤 すでに中世の終り頃には、現在のような起承転結がある物語形式が見られます。ということは、それ以前から物語のモチーフなどは存在していたのでしょう。

──中世というと、日本では「今昔物語集」の頃。人が社会生活を営む頃からあると思っていいようですね。

さて、「今昔物語集」もそうですが、物語はなぜ、どのように語り継がれてきたのでしょうか。逆からいえば、聞いた話を伝える動機は何でしょうか?

小澤 いくつかの要素が考えられます。まず、子どもも大人も理屈抜きで今日起きた出来事を体験談として話したいという思いがあります。もうひとつ、昔ばなしは家庭内の娯楽であった、ということがあるのではないでしょうか。

また、語り継がれてきた世界各国の昔ばなしには共通の法則が見付かっています。構造的に優れたものが印象に残り、伝えたいと人々に感じさせたのではと思われます。

──世界の昔ばなしに共通の法則があるのですか?

小澤 そうなんです。語り継がれてきた昔ばなしは物語が持つ構造やモチーフ、語法などが共通している部分が多いのです。しかし、物語が語り継がれる上で、それよりももっと大事なものがあると私は思っているんです。

──というと?

小澤 それはどのような環境で語り継がれてきたかです。

かつては日が暮れてしまうとできることが少なく、明かりや暖を取るために薪がくべられると、そこに人が自然に集まって話が始まったわけです。大人同士が語ったり、年配者が子どもに話したり…。顔を見合わせて、生の声で語られました。

そういった過程で物語は、文章とは異なった語りの法則、すなわち耳で聞くのに魅力的で洗練されたものになってきたのだと推測されます。重要なのは、そこに人間的な生のコミュニケーションがあったということです。

──なるほど、それはテレビで昔ばなしを知るのとはわけが違いますね。

そうして語られるうちに語りの法則にも磨きがかかり、より至妙なものが現代まで伝承されてきたわけですね。


昔ばなしを通じて怖がることを学ぶ子ども達

──ところで昔ばなしの中には、子どもが登場する話も多いですよね。

小澤 そうですね。多くの昔ばなしで、子どもがさまざまに変化しながら成長する姿が語られています。

老人が主人公の話というのは教訓的ではありますが、変化に乏しいのは実人生でも同じですかね(笑)。しかし、子どもが主人公の話というのは実におもしろい。どこかでさぼっていたような奴が、何かのきっかけで知恵を出して成功する、悪いことばかりやっていた奴でも幸せを獲得していく。その過程はたいそう変化に富んでいて、実人生のおもしろさというものを語っているのではないかと思うのです。

──ぐうたらな子どもが一人前になったり、途中でおそろしい目にあって逃げたり、難題を解決するために知恵をひねり出したり…、という話ですね。

その中には不安や恐怖、残忍性といった陰の部分や、力や豊かさへの憧れなど、人間の根幹部分にあるようなものも潜んでいると思うのですが…。

小澤 その通りですね。

世間では昔ばなしというと、登場人物に良いおじいさんと悪いおじいさんがいて、良いおじいさんは報われ、悪いおじいさんは罰を受けるといった道徳教訓的な話としてとらえられがちです。

確かにこれも魅力の一つですが、これは勤勉さや正直さが美徳として強く考えられた明治以降の教科書などに、そのような話が掲載されたことも影響しているのでしょう。

しかし人間が生きていく上で、不安や恐怖といった感情は必ずあります。特に子どもに関していえば、これから歩んでいく長い人生において、どのような不安や恐怖が存在するかということには未知なわけですから。

昔ばなしはその未知の世界を物語の形で見せる。しかし最終的には幸せになって…。

──中には最後まで怖い話もありますよね?

小澤 はい、確かに最後まで恐ろしい話もあります。しかし、昔ばなしをどういう状況で聞くかということを考えてみると、救われる気がするのです。

どういうことかというと、親しい人の声で、いつも自分を愛してくれるおじいちゃんやおばあちゃんの膝の上で、あるいは兄弟姉妹で体を寄せ合って聞く。

家庭というぬくもりの中で、昔ばなしを通じて、子どもは怖がることを習い、恐怖に、ひいては社会に慣れていく。大人になるためのプロセスの一つなのです。


『昔ばなし大学』で復活したい昔ばなしの語りのスタイル

—— なるほど。そうやって安心な環境で、恐怖などの感情に徐々に慣れていくのですね。そして文化だとか、人の生き方とかいったもののエッセンスを吸収していく。

ところで現代の子ども達にその環境はあるのでしょうか?

語り手の話や語り方を収録したもの。遠野在住の故・鈴木サツ氏は400あまりの昔ばなしを記憶していたという<写真提供:小澤俊夫氏>

小澤 その点はきわめて大切です。

かつて、人から人へ語り継がれてきた話や場面は世界各国や全国各地にありました。しかし、現在では数少ない語り手を残して、話も、そしてその語り方も急速に失われてしまった。もちろん家庭でも子どもに話を聞かせる機会は非常に少なくなってきている…。これは憂慮すべきことです。

そこで私は、かつては伝承されてきた話や語り方を復活させたいと思っているんです。

小説などは文章になっており、後から読み返すこともできますが、口承の昔ばなしは無形であり、いわば時間にのった文芸。そして音楽的性格をも持っています。文章とは違う独特のリズムや語り口があり、生の声を音として聞くからこそ映える形式を持っているんです。そこにはっきりした文法があります。

おそらく、失われたこれらのスタイルを完全に取り戻すことは不可能です。しかしそれでも今、ここで復活させる試みをしなくてはいけないと強く思っているんです。

—— 先生はそういった「時間にのった文芸」の復活を呼び掛けていらっしゃると伺っていますが、具体的にはどのような方法で試みているのですか?

小澤 本を書いたり、昔ばなし大学という学習の場を全国各地で主催しています。

—— 『昔ばなし大学』ですか?

語りの理論と実践を学ぶ「昔ばなし大学」講義風景
<写真提供:小澤俊夫氏>

小澤 昔ばなしには独特の語り口があるということ、近い距離で生の声で語ることの大事さを知ってもらうための場です。

昔ばなしを語るために必要な語法が習得できるよう、学びと実践の場として設けました。私のつくったカリキュラムに沿って、土日を利用し、1コマ80分の授業を年に12コマ、それを3年間で36コマ、つまり36単位の授業を継続して行ないます。

ちょうど大学の専門課程のレベルで修了するので、研究を続けたい方にはさらにもう2年間の上級コースがあります。上級コースでまとめた作品をシリーズ化させ、出版していこうかとも考えています。

昔ばなし大学上級コースの卒業制作である『再話』集
<写真提供:小澤俊夫氏>

私の講演などを聞いて納得された全国各地の方に実行委員会をつくってもらい、その方達に、場所の設定や宣伝など、受講者を募ってもらって開催してきました。

12年前に始めて現在までの受講者は延べ8千人位、これまで54か所の地域で昔ばなし大学が開催できました。 

ただ学問としてでなく、口承の実践を行なうこれらの活動を通じ、昔ばなしが子どもの豊かな成長の助けになればと願っています。

—— 昔ばなしのルネッサンスですね。

脈々と受け継がれ、さまざまな思いや考えが凝縮されている昔ばなしが、今後の社会において、改めて大きな役割を担っていくことを期待しております。

本日は楽しいお話をどうもありがとうございました。


近著紹介
『働くお父さんの昔話入門』(日本経済新聞社)

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