こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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漆を塗ると、ものが生き生きしてくるでしょう? まさにこれがアジアの美の原点です。

「うるし」と古代日本人

漆芸家・世界漆文化会議議長 東京芸術大学美術学部漆芸研究室教授

大西 長利 氏

おおにし ながとし

大西 長利

1933年山口県下関市生れ。59年東京芸術大学美術学部漆芸科卒業。翌年より同大学漆芸科研究室で 松田権六、六角大壌両氏に師事、根来(ねごろ)塗りの研究に取り組む。80年、文部省派遣在外研修 員として渡英。84年からアジア漆文化源流調査を開始、これまでに中国、韓国、ベトナム、ミャンマ ー、タイ、チベット等の漆文化を調査視察。東京芸術大学助教授を経て現職。専攻は乾漆、蒔絵。漆芸 家としても「個展・大西長利漆芸展」(86年)、「日本・中国現代漆芸展」(91年)、「個展・大西 長利漆空間展」(同)等多くの展覧会に作品発表を続けている。日本クラフト大賞、クラフトセンター 賞受賞。日本クラフト・デザイン協会会員、日本漆工史学会会員。世界漆文化会議議長。 著書に「漆 うるわしのアジア」(95年、NECクリエイティブ−写真下−)。今年の10月に予定されている 「世界漆展」(仮称)開催に向け、多忙な毎日を送っている。

1996年5月号掲載


7000年も前に、中国で漆のお椀が作られていた

──「漆」というと、私などはまず、お椀、お膳といったような漆器が頭に浮かびます。欧米では漆器のことを”japan(ジャパン)”と呼ぶなど、日本文化を代表するものとしても位置付けられているわけですが、先生のご著書「漆 うるわしのアジア」を拝読いたしまして、日本以外のアジアの数多くの国々にも漆文化がさまざまな形で根づいていることを知り驚きました。

ところで、漆文化はもともとは中国で誕生したということですね。

大西 ええ、そう考えられます。なぜかというと、中国・長江(揚子江)河口近くにある河姆渡(かぼと)遺跡(浙江省余姚県河姆渡村)から、約7000年前に作られたと思われる漆椀が見つかっており、これが今まで世界で発掘された漆器の中で一番古いものだからです。

しかもそのお椀には朱(しゅ)塗りが施してあり、高台まできちんとついていたんです。技術的にも形状的にもかなり現代ものに近いわけで、つまりその時点で、すでに漆文化は非常に完成度が高かったと言えます。

──中国の漆文化は、7000年よりずっと昔から始まっていたと考えられますね。一方、日本ではいつ頃から・・・?

大西 日本ではこれまでに出土した漆器の中で一番古いのは、約6000年前の朱塗りの櫛です。福井県の若狭湾に面したところにある鳥浜遺跡(福井県三方郡三方町鳥浜)で見つかっています。これも、その時点でかなり高い技術水準に到達していますから、おそらく日本においても、それ以前にかなり長い揺籃期があったと考えられます。

──河姆渡と鳥浜の間には確かに1000年のギャップがありますが、日本の漆文化が独自に誕生したものではなくて、中国から伝わってきたということには何か根拠のようなものがあるんでしょうか。

大西 漆椀、櫛の両者に共通している「朱塗り」という技術は、かなり高度なものでして、偶然パッとできるとか、誰でも簡単にできるという手法ではないからです。ただ単に漆の木から樹液を採って塗るというのではなく、朱の顔料を樹液と混ぜて、練って色を作るんです。当時その顔料となったのは、硫化水銀といって、天然の水銀が火山の噴火口の熱で石のように固まったものだったんですが、これはそうあちこちにあるものではありません。まず、硫化水銀を探してきて、それを砕いて、擦り潰して微粉状態にし、漆と混ぜるわけです。

──偶然同じ手法ができ上がるということはまず考えられませんね。中国で確立した技術が、大陸との交流の中で日本に伝来したものと考える方が自然ですね。


何千年水に浸けても平気。驚異的な漆の接着力!

──それにしても、そもそもどうして漆を塗るという文化ができたのか、不思議なんですが・・・。

大西 まず、漆の木というのは平地から山裾にかけての日当たりのいいところでよく育ちます。そういう環境は、人間や動物が暮らしやすい場所でもありますから、古代の人間と漆の出会いは意外に容易だったと言えるでしょう。おそらく何らかの拍子に漆の幹から滲み出ている樹液を触った人間が、指先がみるみるうちに黒くなっていって、しかもいったん着いた樹液は水で洗っても、何かで拭いても、そう簡単には取れない、というようなことを知ったのだと思います。そして他の樹液にはないその頑固さがヒントになり、漆の活用が始まったのではないでしょうか。これは想像ですが、おそらく最初は接着剤としての効能が認められたのではないかと思うんです。

──そんなに接着力が強いんですか。

大西 強固です。原液そのものは比較的さらさらしたものなんですが、それがいったん固まると、ものすごく丈夫なものになるんです。例えば、水の中に何千年浸けておいても、漆は全然変化しません。

──耐久性も高いというわけですね。

大西 ですから、道具を作る場合に、石に木の柄を固定する用材として利用されたり、弓の補強、矢尻の固定、さらには土器の水漏れ防止等にも使われるようになったと考えられます。

──スタートは実用性からだったんですね。

大西 もう一つ私が想像するのは、漆の持つ光沢、艶です。漆を塗ると、不思議とそのものに存在感が出てくる、生き生きとしてくるでしょう?

──わかります。艶が出て、美しくなりますね。

大西 その不思議さ、美しさに古代人も当然関心を持ったと思います。特に、先程も申しました朱塗りなどは、ものを朱(あか)く変身させることができるわけですから、これはかなり大きな衝撃です。美意識にも影響を与えたと思います。しかも、植物や果物、土等から作った「あか」と違って、漆塗りの朱は変色したりとれたりしない。つまり一度作ったものが、色も形も変わらず、まるで永遠の力を秘めているかのように存在するわけですから、これは大変魅惑的だったと思います。

──美しくて、丈夫で長持ち・・・。神秘的でもあったでしょうね。

大西 まさに、アジアにおける美の原点とも言えます。


熱心な殿様が奨励した漆器作りが伝統工芸に

──漆文化は、国や地域によって独特の個性があるようですね。例えば国内だけでも、日本各地に「○○塗り」という名称がありますが、どうしてこんなにいろいろなものができてしまったのでしょうか。

大西 まず、漆の採取地の問題があります。漆というのは、土地によって性質が違うんです。例えば、岩手県の浄法寺(じょうぼうじ)町でとれる浄法寺漆と、茨城県の大子(だいご)町でとれる常陸漆では、性質は基本的には同じですが、透明度が違います。顔料を入れて混ぜたりした時、透明度の高い漆の方が色が出るんです。そういう特質によって漆器の個性が出てくるといことがあります。

そこから、漆は何かもとの形がないと塗ることができませんが、そのもとになる素材が地域によって異なるということもあります。

また、風土とそこに生活する人、言い換えれば作る人の気質にも左右されますね。

もう一つ、昔は熱心な殿様が自分の趣味にあった漆器、藩の特徴を生かした独自の漆器を奨励して作らせました。だから例えば、津軽藩の津軽塗りは、丈夫にするために何回も漆を塗り重ねるので、漆の断層が模様として出てくるという特徴があります。会津藩では華やかな蒔絵や装飾が施されたものが殿様の好みで作られました。

──そういう特性が各地域で伝統として受け継がれているんですね。

一方、われわれ庶民の生活の中でもかつて漆器は身近なものでした。私が子どもの頃には、たいていの家に漆器があって、何か行事があると大事に使っていたものですが・・・。

大西 正月、盆、祝言、法事といった時には、蔵から出してきて、洗ってお湯通しして柔らかい布で拭く・・・、大変な作業でしたよね。でも何かわくわくとした興奮がありました。そういう文化が戦後の高度成長、生活の欧米化とともに失われてしまったのは寂しいですね。今は会席料理に使われるくらいで、一般の家庭では普段の暮らしの中に見られなくなってしまいました。私は毎朝、味噌汁の椀も、ご飯茶碗も、箸も漆の3点セットでいただいていますが、いいものですよ。ゆったりとした気分で食事ができ、心が豊かになります。日本人だな、としみじみ思います。

──2−3年前に米騒動があった時、いくら生活様式が欧米化していっても、やっぱり日本人はうまい米が一番なんだなとつくづく思いましたが、そういう食文化は根強いのに、なぜ、その器である古き良き漆文化は残っていかないんでしょうか。

大西 文化というのは時間をかけて育まれていく一方、いったん失ったら。なかなかもとには戻りにくいのではないかと思います。だから過去に戻るのではなくて、新たな創造をしていかなければいけないと思います。漆の良さをあらためて発見しなくては・・・。

日本の経済的、物質的に豊かになった今というのは、ある意味でチャンスだと思うんです。


漆文化のすばらしさ、重要性を国内外にアピール

──先生が世界漆文化会議の議長として活動されているのも、そういう目的からですか。

大西 そうです。漆文化というのは、日本人の魂がずっと育んできたすばらしいものなのに、庶民の生活から失われつつある・・・、これは大変な損失だと思うんです。国際的に見てもね。そこで、この会議の活動を通じて多くの日本人に漆文化の重要性を認識してもらい、さらに世界の多くの人たちにそれを伝えていこう、またアジアの他の国々の漆文化とも交流していこうと考えています。

現在、日本をはじめ韓国、中国、フランス、スペイン、イギリス、アメリカ等の漆研究者、漆に関心を持っておられる方々が700人ほど会員になっています。興味がおありの方はどなたでも会員になれます。

また、今年10月頃に東京、そして福岡で「世界漆展」(仮称)を開催し、世界中のいろいろな漆文化を紹介したいと思っています。

──私もぜひ出かけていきたいと思います。ますますお忙しくなりますが頑張ってください。ありがとうございました。


近著紹介
アジアの大地に形成された壮大な「アジア漆文化圏」について書かれた大西氏の著書『漆』(NEC クリエイティブ)
近況報告

千葉県印旛村に漆工房『願船』を所有。創作活動を行なっている。 1999年9月1日から3ヶ月間、アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴのMingei International Museumで、『Lacquer [Ureshi] - The Living Art of Nagatoshi Onishi(漆・大西長利のリビングアート)』と題し、作品展示会および講演会を開催


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