こだわりアカデミー
魚類の性転換の研究から、 環境問題解決の一つの糸口が見付かるかもしれません。
性転換する魚のメカニズム
自然科学研究機構 基礎生物学研究所 生殖生物学研究部門 特任教授
長濱 嘉孝 氏
ながはま よしたか
1942年北海道生れ。66年北海道大学水産学部増殖学科卒業、71年同大学院博士課程修了。72年カリフォルニア大学バークレー校動物学科博士研究員、74年ブリティッシュコロンビア大学動物学科博士研究員。77年自然科学研究機構基礎生物学研究所の助教授に就任し、86年教授。同年岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所教授。2005年戦略的創造研究推進事業における「性的可塑性の分子メカニズムに関する研究」の研究代表者に就任。04年基礎生物学研究所副所長を兼任、08年3月に定年退職し、同年4月より現職。著書に『生殖細胞の発生と性分化』(共著・共立出版)、『内分泌と生命現象』(共著・培風館)など。
2010年5月号掲載
脊椎動物の「性」は「遺伝子」で決る!
──先生は「生殖生物学」を専門に、主に魚類の性決定や性転換についてご研究されていると伺っています。性転換というと、イソギンチャクに棲むクマノミなどが有名ですね。本日は特に性転換の「メカニズム」について教えていただければと思います。
そもそも、「性」とはどのように決るのでしょうか。人間なら、性染色体であるX・Yがあり、XXなら女性、XYなら男性になることは習ったのですが・・・。
長濱 おっしゃる通り、ヒトをはじめとした脊椎動物は、基本的に性染色体の組合せによって性別が変ります。そして、1990年にイギリスのシンクレアという学者が、Y染色体の末端付近にある「SRY」という遺伝子が、ヒトの性決定に関与していることを明らかにしました。SRYがあると男性になり、SRYがないと女性になるのです。その後、ヒトの他にマウスなどでもSRYが発見されています。
──なるほど、性は「遺伝子」によって決定されているんですね。脊椎動物の性は、すべてこのSRYによって決定されているのでしょうか?
長濱 実はSRYは哺乳類に限られた性決定遺伝子で、それ以外の脊椎動物には当てはまらないのです。しかし、他の多くの脊椎動物でもY染色体が性決定に重要な役割を果たしていることは分っていたので、多くの研究者が他の生物における性決定遺伝子の探索を進めてきました。
そうした中、私達の研究グループでは、02年に脊椎動物で2番目となるメダカの性決定遺伝子「DMY」を同定することに成功したのです。
「共焦点レーザースキャン顕微鏡」を用いて、性転換時の脳において発現が変動する遺伝子を特定しているところ。この顕微鏡を使用することで、脳における遺伝子の存在を、三次元で立体的に観察することができる〈写真提供:長濱嘉孝氏〉 |
──哺乳類以外では世界初の発見になるわけで、本当に素晴らしいご功績ですね。世界的に有名な科学雑誌『Nature』にも掲載されたと伺っています。でも、発見するまでにはかなりご苦労をされたのでは?
長濱 そうですね。遺伝子を同定する作業は試行錯誤の連続で、一日に出てくるデータも膨大な量。明けても暮れても遺伝子の塩基配列ばかりを見ていました。
Y染色体のうち、性決定に関わっているとされる領域にある50万個を超える塩基の配列を決定し、その領域に52個の遺伝子が存在することを明らかにしました。さらに、これらの遺伝子の中から発現解析やコンピュータ解析を経て、少しずつ数を減らしながら性決定遺伝子を特定していったのです。5年目にしてようやく一つの性決定遺伝子にたどりついたんですよ。
──50万個もの塩基配列の中からたった一つの遺伝子を特定するなんて、聞いただけでも気が遠くなります。そうすると、DMYもSRYのように、魚類共通の性決定遺伝子なのでしょうか?
長濱 それが違うんです。その後の研究により、魚類はおろか、20種類に及ぶメダカ属の中でも、わずか2種類にしかDMYは存在しないことが分りました。
なお、DMYはSRYとも構造が全く異なっていることから、脊椎動物における性決定遺伝子は、実に多様化していることが明らかになったのです。
どのようにして性転換が起きる?
──そのようにして遺伝的に決った性が“変る”というのは不思議ですね。魚はどのような仕組みで性転換するのでしょうか?
長濱 性転換の仕組みは大きく分けて二つあります。
一つは発生の初期段階で起きるもので、メダカなど多くの魚でみられます。この時期の生殖腺は、環境要因の変動に非常に敏感なのです。例えば、ヒラメの稚魚は18℃程度の通常水温で飼育するとすべてメスになる一方、高温で飼育するとすべてオスになります。魚類以外に、ワニなども温度によって性転換するんですよ。
──もう一つの性転換とは・・・?
長濱 成熟した段階で起きるものです。特にサンゴ礁に棲む熱帯魚の仲間にみられ、これには「ホルモン」が重要な働きをします。性転換魚の中には卵巣と精巣両方の生殖腺を持つ種がいますが、これらの魚はそれぞれの生殖腺の中にホルモンをつかまえる“アンテナ”である受容体があります。ホルモンが分泌されると、そのうち片方のアンテナがグンと増え、卵巣もしくは精巣が大きくなり、結果的に性転換が起きるのです。
卵巣と精巣を併せ持つオキナワベニハゼ。これら2つの生殖腺が交互に発達と退縮を繰り返すことで、何度も両方向に性転換することができる〈写真提供:長濱嘉孝氏〉 |
また、メダカやティラピアは一方の生殖腺しか持っていないのですが、成熟したメスにホルモンをコントロールする薬を使うと、卵巣が精巣に変化し、性転換を起こします。
なるほど・・・。では、自然界での性転換はどのような現象によりホルモンが分泌されるのでしょうか?
長濱 視覚的な刺激です。例えばホシササノハベラは、メスからオスに性転換する魚なんですが、縄張りにオスがいなくなると、一番大きなメスが性転換を起こしてオスになるのです。早いものでは2週間程度で性転換が完了するんですよ。
また、オキナワベニハゼは、オスとメス両方の生殖腺を持っているため、両方向に何回も性転換します。大きなメスと小さなメスを同じ水槽に入れると、大きなメスは性転換を起こしオスになります。その水槽にさらに大きなオスを入れると、性転換をしたオスは再びメスに戻るのです。
オキナワベニハゼの大きいオスと小さいオスを同じ水槽に入れると、小さいオスは大きいオスを見ることでメスに性転換する。小さいオスは視覚的な刺激を受けた後、脳下垂体から生殖腺を刺激するホルモンが分泌され、それが生殖腺の受容体に作用し、卵巣が肥大化することでメスに性転換する。このオスからメスへの性転換は約10日で完了する |
──どちらの魚も、オスがいなくなったり、相手の体のほうが大きかったりといった「視覚的な情報」を引き金に性転換をしているんですね。
長濱 そうです。2匹の魚を水槽に入れ、透明なガラスの仕切りによって互いを隔てた実験では性転換が見られた一方、お互いが見えないように目隠しをした状態では性転換は起きませんでした。
現在は、視覚的な情報が脳に伝わった後、脳がどのようにホルモンをコントロールしているのかを解明するため、性転換時に脳で発現が変動する遺伝子を一つひとつ調べているところです。
──これもまた気の遠くなる作業ですね!
ところで、魚は性転換をすることで、一体どのようなメリットがあるのでしょう?
長濱 なかなか難しい質問ですね。性転換魚は性決定遺伝子が見付かっていませんので、このような魚の生殖戦略なのかもしれません。
──私は、性転換する魚には「回遊魚」がいないように思います。つまり、性転換する魚は、サンゴ礁や岩礁といった特定のエリアで一生を過すものが多い気がするのですが…。
長濱 確かにそうですね。私達もまだサケなどの回遊魚を性転換の実験に使ったことがありません。
狭い空間の中で性別が偏ってしまうと、種の繁栄に大きなダメージを与えます。それを回避する手段として、性転換という現象が起こったのかもしれません。今後は、回遊魚も含めて研究を進めていくことで、性転換のメリットが解明できる可能性がありますね。
性差医療の研究にも性転換の研究が貢献
──先生のお話から、性転換にはホルモンが重要な役割を果たすことが分りました。魚の種類によって、ホルモンは異なるのでしょうか?
長濱 いいえ、ホルモンは魚類全般に共通しています。「エストロゲン」というホルモンがヒトの女性における性活動を保持するのに重要な役割を果たしていますが、実は魚のホルモンもこれと全く同じで、エストロゲンがないと卵を作ることができないんです。
──ヒトも魚も同じホルモンを持っているとは・・・驚きです。
ところで、近年、そうした自然に作られたホルモンではなく、化学物質から発生する「環境ホルモン」により、正常なホルモンの働きが乱されていると聞きますが・・・。
長濱 おっしゃる通り、環境ホルモンにより生物の生殖器や性行動が乱されていることが問題になっています。魚類の性転換のメカニズムを詳しく調べることで、こうした問題への解決策を導き出していきたいですね。
さらに最近では、医療の世界においても性の違いに応じた治療法が注目され始めています。これを「性差医療」といいますが、こうした医学の発達にも、われわれの研究が貢献していけるのではないでしょうか。
──先生のお話を伺って、脊椎動物の性は実に多様性に富んでいることが分りました。さらに性転換のご研究は、環境や医療といった、私達の身近な問題への解決策まで導き出せる可能性もあります。性の研究は無限の可能性を持っているんですね。
今後も、先生のご研究が発展されることを期待しています。本日はありがとうございました。
長濱嘉孝先生が基礎生物学研究所を退職され、2011年4月より、愛媛大学 社会連携推進機構 南予水産研究センター教授に就任。17年10月付けで退職されました。
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