こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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人間は「動物界の一員」という視点から 文化や環境問題を考えていくべきです。

動物界の競争原理

京都大学理学部教授

日高 敏隆 氏

ひだか としたか

日高 敏隆

1930年東京生れ。東京大学理学部動物学科卒。現在、京都大学理学部教授(動物学)。日本動物学会会長。専攻は動物行動学。主な著書は『人間についての寓話』(74年、思索社)、『チョウはなぜ飛ぶか』(75年、岩波書店)、『ネコたちをめぐる世界』(89年、小学館)など多数。〔訳書〕K.ローレンツ『ソロモンの指輪』(63年、早川書房)、D.モリス『裸のサル』(69年、河出書房新社)他。

1991年2月号掲載


モンシロチョウの雄はいかにして雌を識別するか

──先生のご著書『動人物』を大変興味深く拝見させていただいたんですが、先生がご専門とされる「動物行動学」という分野はどのようなものなのでしょうか。

日高 動物行動学には大きく分けて四つの柱があります。まず一つ目の柱は、動物たちは実にいろいろな行動やふるまいをしますが、一体どういう仕組みでそんなことをするのかという「仕組み」「メカニズム」。二つ目は、なぜそんな行動をするのか、その行動にはどんなメリットがあるのかという「機能」「意味」「メリット」ですね。三つ目は、どうしてその行動をするようになったのかという「発達」。そして「進化」の四つです。

私はもともとは「仕組み」の研究から入っているんですが、それはどういうことかといいますと、例えばモンシロチョウがキャベツ畑にいっぱい飛んでいるとしますね。モンシロチョウの雄は雌を見つけるとパッと飛んでいって交尾をするわけです。イモムシの時には性行動など全くしなかったのに、「どこでそんなことを覚えたか」というのも不思議ですが、蝶々の雄は自分の雌がどんな姿をしているのかというのも本当は知らないはずなんです。

──なるほど、言われてみればそうですね。誰も教えていないのに・・・。

日高 蝶々の中には色が全然違う種類だっているわけです。ところが、別に図鑑を持っているわけではないのに、パッと相手が分る。これはどうしてか。調べていくと、モンシロチョウの場合、雌の羽の裏の色というのが手掛かりになっていることが分りました。それは紫外線と黄色の混ざったある色なんです。その証拠に、試しに紙切れに紫外線を反射する物質と黄色い色を塗り、モンシロチョウの雌の裏羽と同じような反射曲線を持った紙のモデルを作って、棒につけてキャベツ畑に刺しておくと、雄はブンブン飛んできて、その紙切れに交尾しようとします。ある特徴を持っていさえすれば、ただの紙でもいいわけですね。

一方、雌の方も、やはり同様に、飛んでくる雄を色か何かで判断するということが分っています。これが、アゲハチョウの場合ですと、ある種の色と黒の縞模様のパターンに反応するわけです。

──まるで、コンピュータがバーコードを読むみたいなものですね。

日高 そういう感じですね。彼らは、ある時は<色>、あるときは<パターン>で、雌雄を認知するんです。

その他、動物にはいろいろ人間には分らない行動がありますけど、それは大抵の場合、結果的に自分の子孫を残す上で、有利になるための行動なんです。

──具体的には・・・。

日高 例えば、鹿や牛などの雄は立派な角を持っていて、何かというと雄同士闘争しますね。では、一体あの角は何のためにあるのか。身を守るためだとしたら、本当は雌の方にこそなければいけない。

──そうですね、子どもを守っているのは雌の方ですからね。

日高 ところが、雄はその角で雌を守るのかというと、そうではない。交尾を済ませたらもうどこかに行ってしまうんです。じゃあ、雄同士の闘争は何のためかというと、闘争して勝った方は、雌も縄張りも手に入るわけで、結局は回り回って自分の子孫を残すのに役立っているんです。


動物界における競争原理は資本主義的

──「種を残す」とは、人間は人間の、カメはカメの「種」を残すというように考えていたんですが、どうも事実とは違うようですね。

日高 そういうことみたいですね。実際、動物たちは彼ら全体の「種」ではなくて、あくまで「自分自身の遺伝子を持った子孫」をできるだけたくさん残そうと一生懸命になっているんです。すると、結局これはシェア争いの話になります。例えば、ある場所に草原があれば、そこに生える草の量は、土地の質だとか、栄養分とかで決ってしまいます。当然、その草を食って育つことができるウサギの数も1000匹なら1000匹と決ってきます。とすれば、その1000匹の中で自分の子孫がなるべく多くのシェアを占めるようにするためには、自分だけが頑張ってもしょうがない。できれば他のウサギが損をしてくれた方がいいし、あるいは叩いてしまった方がいいというわけで、彼らは他のウサギの足を引っ張ったり、邪魔をしたりするのです。

──何だか、人間と同じですね(笑)。

日高 全くその通りです。彼らは何かというと「何とかして自分の」という行動をとっているんです。

そうすると一つ不思議なことは、そんな足の引っ張り合いを繰り返していたら、「種」全体としては損をしないのか、「種」は滅びないのか・・・。

──共倒れになりはしないのかということですね。

日高 ところが、どういうわけかそうはならないんです。種は、環境を破壊されるとか、そんなことがない限り、ちゃんと生き残るというか、安泰にいくんです。

──バランスがとれているといえばそれまでかもしれないけれども、不思議な話ですね。

日高 そういう意味で、非常に面白いと思うのが、社会主義経済と資本主義経済のアナロジーです。社会主義経済というのは、「種」を残すという方式でしょう。ところが、さっぱりうまいこといかない。残すどころではなくて、もはや危うくすらなってしまった。これに対して、自由主義経済というか、資本主義経済というのは競争でしょう。これがあまりあからさまではないにしろ、やはり競争相手を叩いているわけです。ものすごい競争をしている。しかし、その方が経済としてはいいし、発展する。

──まさに、現実はその通りですね。

日高 理屈はどうか分らないけれど、確実にアナロジーはあるんです。ですから、一昨年ぐらいから非常に面白いなと思って見ているんです。ソ連、東欧など社会主義経済が否定されて、みんな資本主義の方に向かっている。これまでは資本主義の競争原理なんて悪の権化だといわれていたのが、それでなければだめだという話にまで変ってきたというのは実に面白い。


人間も他の動物と同じだと認識すべき

──ところで、先生は動物の生態や行動をずっとご覧になっていて、それを人間に置き換えて考えてみたとき、今の人間がこういう生き方でいいのかな、という問題をお感じになることはありませんか。

日高 それはかなりあります。私は、人間は「動物界の一員」という視点から文化や環境問題を考えていくべきだと思うんです。それなのに、例えば、普通の動物にはないことなんでしょうが、人間というのはスローガンを掲げるでしょう。

──「○○美化運動」とか、「緑と○○の調和」とか・・・。

日高 あるいは、「技術革新」とか、そういうような価値観を常に掲げますね。ビルもただのビルではいけなくて、インテリジェントビルでないといかんとか。人間というのが、新しいもの好きだというところがあるのかもしれませんが、しかし、どこかで「だから人間は進歩するんだ」「とどまっているのはよくないことだ」「20世紀ではそれが最も人間的なことだ」というふうに思い込まされてしまっているような気がするんです。それはある意味で、人間の持っている非常にスノッブな、くだらない欠陥なのかもしれません。

──その結果、偏った風潮を作ってしまうこともありますね。先生のご著書の中にも、「街の美化」という目的のために、雑草や害虫の駆除に力を入れすぎて、町に一匹も昆虫がいなくなった話があって、あれはドキッとしました。

日高 そうだと思いますね。どうして、道ばたや空き地に草を生やしているのがだらしがないということになるのか。どうも、何か変な価値観なりを置いて、その規範に一生懸命に従おうとしているところがある。それはある意味で、いろいろまずいことを人間にもたらすのではないでしょうか。

──それがもし先生のおっしゃられるような、人間という種にプログラムされている、一つの特性だとしたら、このまま行ってしまうとまずいですね。他の動物と違って、人間は<文化><文明>という形を積み重ね、その上に乗っかろうとしますから、ますます偏っていく危険がありますね。

日高 他の動物というのは、自分達の持っている性質が、場合によったらうまく行かないことがあるとは認識していません。結局は、人間も認識していないのかもしれませんね。ところが、困ったことに人間はその点では同じなのに、なぜか、自分達は他の動物より偉いと思い込んでいるんです。その辺りをちゃんと認識できないと、結局他の動物と同じで、何も偉くはないじゃないか、結局は、同じじゃないか、ということになりませんかというのが私の考えです。

──どんどん得意になっていくばかりではいかんなと、人間自身が気づかなければなれない。

日高 それができれば、人間は他の動物より偉いといえるでしょうね。

──人間は人間だけで生きているのでは、決してない。一緒に生きている他の生物への配慮みたいなものは、巡りめぐってこっちに返ってくるんだということを常に考えていなければならない、ということですね。今日はどうもありがとうございました。


近況報告

インタビュー後、滋賀県立大学大学長に就任(2001年3月まで)。01年4月からは国立地球環境研究所に就任予定。 また近著に『プログラムとしての老い』(97年、講談社)、『ぼくにとっての学校−教育という幻想』(99年、同)、『帰ってきたファーブル−現代生物学方法論』(00年、講談社学術文庫)がある。 ※日高敏隆先生は、2009年11月14日にご永眠されました。生前のご厚意に感謝するとともに、慎んでご冥福をお祈り申し上げます(編集部)


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