こだわりアカデミー
現代にも通じる諸子百家の哲学思想。 文明と自然と人間のあるべき関係が さまざまに語られています。
孔子・墨子・老子も環境問題について論じていた?!
東北大学大学院環境科学研究科教授
浅野 裕一 氏
あさの ゆういち
1946年宮城県生れ。71年東北大学文学部哲学科中国哲学専攻卒業、76年東北大学大学院文学研究科博士課程修了。文学博士。77年島根大学教育学部助手、78年同大講師、82年同大助教授、88年東北大学教養学部助教授、91年同大教授、93年同大大学院国際文化研究科教授に就任し、2003年より現在に至る。最近は、中国で発掘された竹簡資料をもとに、古代中国の哲学思想を研究。諸子百家像の解明に力を注いでいる。著書に『古代中国の宇宙論』(06年、岩波書店)、『竹簡が語る古代中国思想ー上博楚簡研究』、『古代思想史と郭店楚簡』(ともに05年、汲古書院)、『諸子百家』(04年、講談社学術文庫)など、多数。
2008年2月号掲載
「地球環境保護」が 時代の正義
浅野 こういってしまうと誤解を受けるかもしれませんが、あえて問題提議をさせていただきたいのです。
実際に、このテーマで講義をしたこともあるんですが、「環境問題は本当に存在するのか」と。
──というと?
浅野 例えば私の趣味は化石の採集で、古生物学をやってきたともいえます。古生物学 では地質年代で物事を捉えます。
──例えば地球誕生から46億年、人類が誕生して50万年〜100万年だとか?
浅野 そうです。そういう地球史的なスパンで物事を考えますと、500年や1000 年というのは、存在しないにも等しい年数なんですね。
つまり、今、私達が生きている時 代は新生代の第四期に区分されている時期で、170万年くらい続いているわけですが、 この第四期は氷河期と間氷期の繰り返しなんです。約1万年前にウルム氷河期という最後 の氷河期が終わり、現在は間氷期に入っている。地球はこれまで絶えず寒冷化と温暖化を 繰り返してきているんです。
そういう視点で考えると、人間の活動如何に関わらず、地球 の温暖化は起こる、とも考えられるわけです。
竹簡の出土により、各国の研究者が活発に研究している。武漢大学(中国)で浅野氏が開会スピーチを行なった「新出楚簡国際学会」の様子<写真提供:浅野裕一氏> |
──人間の活動が、温暖化を加速させたり助長させているといえるかもしれないけれど、 何をどうやっても次の氷河期がくるまでは温暖化は食い止められないのではないかと。
浅野 そうとも考えられます。
「環境問題」の「環」という字は「リング」という意味ですが、そのリングの中心にい るのはあくまでも人間。人間を中心としてこの世界を捉えた問題意識です。
地球温暖化と同時に、絶滅危惧種などを憂えた生態系の話題も多いのですが、それはあ くまでもそういった生物が生きられない環境になってしまえば、人間も生きられなくなる という指標として捉えられている面がある。いわば「炭鉱のカナリア」です。
そういった ことを改めて踏まえたうえで、今一度、環境問題について考えてみる必要があると思って います。
──確かに。あまりよく物事の本質を考えないで、スローガンのように地球環境保護を声 高に叫ぶ傾向もあるように感じますね。
浅野 ええ。現代では地球環境保護が_時代の正義_になっていると思います。
ただ、基 本的に世の中すべての人が正しいと賛成するような運動は、物事の本質を見誤る危険性が あるのではないかとも思うんです。
中国・湖南省長沙で「里耶楚簡」の実物を調査する浅野氏と研究員<写真提供:浅野裕一氏> |
──その点、諸子百家の時代は多くの思想や考え方に恵まれており、さまざまな角度から 論じられていますね。
浅野 そうですね。 古代において、文明の発達について深刻に考えた人がいて、深い危惧の念を思想として 形成した。
その体験というのは、現代文明のわれわれにとっても、ひとつの経験、先人の 経験として教材になりうるのではないだろうかと。
──つまり、加速度的に進む文明の発達に対し、それぞれ人間がどのように対処したか、 一つのケーススタディになるということですね。
それしてもわれわれは、文明や環境問題 に対し、もう少し冷静に対処する必要がありそうです。 大変勉強になりました。
本日はどうもありがとうございました。
『古代中国の文明観―儒家・墨家・道家の論争―』(岩波書店) |
2010年3月末で東北大学大学院環境科学研究科をご退官
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