こだわりアカデミー
パーソナル・スペースは誰もが持っている空間。 侵されるとストレスや病気の原因にもなります。
現代の「縄張り」−パーソナルスペース
山梨医科大学医学部助教授
渋谷 昌三 氏
しぶや しょうぞう
1946年神奈川県生れ。72年学習院大学文学部哲学科卒業。77年東京都立大学大学院人文学科研究科心理学専攻博士課程終了、文学博士。現在、山梨医科大学医学部助教授、学習院大学講師。非言語コミュニケーションを基礎とした「空間行動学」という研究領域を開拓。主な著書に『しぐさ・動作・ふるまいの心理学』(88年、日本実業出版社)、『聞き上手の心理学-つきあい上手になるために』(同年、講談社)、『人と人との快適距離-パーソナル・スペースとは何か』(90年、日本放送出版協会)、『恋愛心理の秘密』(91年、大和書房)、『管理職が読む心理学』(同年、日本経済新聞社)、『人づきあいに効く「クスリ」』(94年、PHP研究所)、『自分を高める心理学』(同年、太陽企画出版)、訳書に『混みあいの心理学』(インセル他著、87年、創元社)等がある。
1995年5月号掲載
他人があまり近づくと、不快な気持ちになるのは・・・
──先生のご著書によると、人はそれぞれ「パーソナル・スペース」というものを持っているそうですね。
渋谷 ええ、そうです。直訳すると「個人空間」ということになりますが、人の身体を直接に取り巻く、目で見ることのできない空間領域です。例えば、他人があんまり近くに来ると、何か不快な気持ちになったり、心が落ち着かないということがありませんか。
──確かに、他人にあまり近寄られるといい気持ちではありません。
渋谷 それは、自分自身の占有空間の中に他人が侵入しているからなんです。だから「パーソナル・スペース」というのは一種の縄張り意識とも言えます。別の言葉で「ポータブル・テリトリー」とも呼んでいます。
一般に、自分のパーソナル・スペースが保証されている時は快適であり、その空間に他人が侵入すると不快になると考えられます。
──パーソナル・スペースの範囲はどれくらいですか。
渋谷 人により、相手により、あるいは場合によってさまざまですが、例えばこうして室内で対話をする場合、だいたい通常は、腕を伸ばしたくらいの距離がその範囲だと考えられます。
──相手に届かない、相手からも届かない距離、安全圏ということですか。
渋谷 そうですね。触れる距離というのは、緊張感が強くなるんです。
ついでに申し上げると、距離だけでなく、こういうふうに対話をする時のお互いの座る位置についても、パーソナル・スペースが関連してきます。例えば、今、もし真正面に向かい合って座ったら、とても話しにくいですね。
──確かに。談判みたいになってしまいますね。
渋谷 すぐ横に座っても、何か気持ち悪い・・・(笑)。でも逆に恋人同士だったら、隣にぴったりくっついて座りたいと思うでしょう。
──時と場合によって、パーソナル・スペースは変化するわけですね。それは人類共通の感覚ですか。
渋谷 ええ。皆持っています。ただ、文化や環境によって、パーソナル・スペースの大きさに差があります。ホールという文化人類学者は「大昔、草原地帯を駆け回っていた頃の人間は、ものすごく広い空間を自分のために利用していた。しかし現代人は狭い空間に慣れるように自分を飼い慣らし家畜化した」と言っています。
男子トイレでの実験で生理的影響も証明
──確かに、現代は多くの人間が都市に住み、家、乗り物、道路、オフィスといった狭い空間の連続の中で生活していますから、大昔の人たちのパーソナル・スペースとは比べようもないですが、あまり狭いスペースの中ばかりに身を置いていると、人間はどこか変になりませんか。
渋谷 確かに、そういう状況の中ではストレスがかなり高くなりますね。
そして実は、パーソナル・スペースを侵されますと、心理的不快感だけではなくて、生理的にも変化が起こるということが実験で証明されていまして、例えば満員電車内等ではアドレナリン、すなわち興奮剤の分泌が多くなるんです。
──なるほど。満員電車とか人込みの中に長時間いると、イライラしたり、ちょっとしたことでムカッと来たりするのは、パーソナル・スペースを侵されたことが原因なんですね。
渋谷 また、特に男性には分かりやすいと思うんですが、トイレで隣に誰かがいるとおしっこがなかなか出てこないということがありますね。
──別にのぞかれているわけでもないのに、なんか落ち着かないですね。
渋谷 3つの便器が並んでいる男子トイレで、ジッパーを開けてから排尿までの時間、および排尿の所要時間を実験した例があるんですが、一人だけでいる場合と、二人の人が両端の便器を利用した場合にはほとんど差がないんです。ところが、隣合せで便器を利用した場合、被験者の排尿開始までの時間は長くなり、排尿そのものにかかる時間は短くなるという結果が出ています。これは、排尿する人のパーソナル・スペースに他人が侵入しているからだと解釈されています。他人がそばにいるという意識が、排尿行為に影響してくるというわけです。
──心理的な不快感が生理的にも影響を及ぼしているというわけですね。
ストレスから病気になるというのをよく聞きますが、パーソナル・スペースの欠如によって病気になる例もあるんですか。
渋谷 もちろんあります。分かりやすい例では、囚人がそうなんです。彼らは強制的に狭い空間に押し込められていますね。そうすると、調子が悪い、頭が痛いと訴える人が多いようです。高血圧、心臓疾患、心身症といった病気になる人もいます。
権威を持つほどパーソナル・スペースは大きくなる
──ところで、友達同士、恋人同士、親子、兄弟姉妹といった親密な人間関係では、お互いの距離がかなり接近しても、不快感を覚えることはあまりありませんが、逆に、パーソナル・スペースが大きくなる人間関係とは、どういう場合ですか。
渋谷 代表的なものでは例えば、軍隊とか会社のような縦の人間関係の中に見られ、基本的には、役職が上に行くほど、下のものに対して自分の空間を大きくとるようになります。部下もまた、目上の人には距離をおいて話しかけるようになりますね。
時代劇などで、顔も見えないくらい遠くにいる殿様に家来が謁見しているシーンをご覧になったことがおありかと思いますが、あれも縦社会におけるパーソナル・スペースの典型です。
ですから逆に言えば、空間を大きくとっている人はそれだけ権威があると考えられるのです。オフィスで大きな机や個室を持ったりするのも、パーソナル・スペースを大きくすることで、権威の大きさをアピールしたいという心理的な欲求の現れですね。
──パーソナル・スペースの大きさが、権威の象徴にもなるというわけですね。
渋谷 そうなんです。ですから、有名な話ですが、ケネディが大統領選挙で当選したという報告が届いた途端、それまで彼の周りを取り巻いていた支持者たちがさーっと10mくらい遠ざかったといいます。
──大統領としての権威を持った瞬間に、パーソナル・スペースが拡大したんですね。
渋谷 これは基本的には動物のテリトリー行動と同じで、やはり強い動物は大きなテリトリーを持っています。ただ動物の場合は、そこで生殖活動とか餌や獲物の捕獲をするという、いわば種の保存と結びついているんですが、人間の場合は必ずしもそうではなくて、もっとメンタルな快適さを確保するためのものなんですね。
狭い空間でも意識を広げれば快適になれる
──先生のお話で、パーソナル・スペースというものの存在や概念については分かりましたが、でも、人間がそういう空間を持つということ自体には、一体何の意味があるのか、何のためのパーソナル・スペースなのか、心理学の領域からはちょっと外れてしまうかもしれませんが、疑問です。
渋谷 難しいテーマですね。ただ、まず考えられることは、「自分」というのは、身体だけじゃなくて、身体も含めたもっと大きな広がりなんですね。
例えば、自分が着ている洋服は自分自身ではないですが、他人に触られると不快です。あるいは、自分の持ち物に他人が勝手に触ったりすると、嫌な感じがする。車で走っている時近くに寄ってこられたり、駐車中に誰かに車を触られただけでも不快でしょう?自分の家の玄関に知らない人がいてドアを触ったりしていたら、すごーく嫌な気持ちですよ(笑)。
つまり、これらはある意味で「自分」なんです。
──分かります。勝手に触られると嫌な気持ちになります。別に、傷をつけられたりしたわけではないのに・・・。
そう考えると、パーソナル・スペースというものをベースにして、人間の行動の一つの基準とか規則みたいなものができあがっているということでしょうか。
渋谷 そうですね。人間同士お互いに居心地よく生活するための基本的な暗黙のルールのようなものが存在しているんですね。だから、それが分からない人は、無神経だとか、粗野だとかいうので嫌がられるわけですよ。
──そう言えば、「無神経な人」というのは、ほとんど縄張り荒らしだ(笑)。
渋谷 自分の領域に許可なく入ってくるものは自分の存在を脅かすものという心理が働くのかもしれませんね。
──都市に住むわれわれにとっては、大きなパーソナル・スペースを持つことは困難ですが、そういう中で、できるだけストレスを高めないように生活していくには、どうしたらいいんでしょう。
渋谷 これも難しい問題ですが、ちょっと考えてみますと、元来、日本人というのは小さい空間をうまく生かすことが得意な民族ではないかと思うんです。盆栽とか、幕の内弁当等がいい例です。狭い長屋住まいでも、みんな仲良くうまくやっていた。空間が狭くても、意識の広がりによって、快適に生きていくことができるのではないでしょうか。
──昔から日本人は、物理的な空間ではなく、意識の広がりでパーソナル・スペースを確保していたわけですね。今こそ、先人のそういう知恵を生かすべき時なのかもしれません。
本日はありがとうございました。
その後、山梨医科大学教授に就任。
サイト内検索