こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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電波天文衛星「はるか」のおかげで 宇宙の約9割までを覗くことができるようになりました。

「はるか」で覗く宇宙の果て−電波天文衛星の試み

文部省宇宙科学研究所教授

平林 久 氏

ひらばやし ひさし

平林 久

1943年長野県生れ。67年東京大学理学部物理学科卒業後、72年同大学大学院理学研究科天文学専攻博士課程修了。専門は電波天文学。理学博士。72年より東京大学東京天文台(現国立天文台)勤務。野辺山宇宙電波観測所の建設計画に携わる。その後、東京大学助教授を経て、88年文部省宇宙科学研究所助教授、そして現職に。著書に『宇宙人の条件』(93年、PHP研究所)、共著に『E.T.からのメッセージ』(87年、朝日出版社)、『遙かなる地球外生命』(92年、同文書院)などがある。

1998年12月号掲載


地球から136億光年先の天体が見える!

──昨年2月に電波天文衛星「はるか」の打ち上げが成功しましたね。先生はその観測プロジェクトを総括されたそうですが、今日はそのお話を中心にいろいろとお伺いしたいと思います。

まず、「はるか」を打ち上げた目的は何でしょうか。

平林 簡単にいうと、「電波を発している天体」の観測をするためなんです。

天体には、太陽、惑星、星間雲、銀河などのように電波を放射するものがあり、それを観測するのに電波望遠鏡を使います。長野の野辺山に行ったことのある方なら、大きなお皿状のアンテナを見たことがあると思います。それが電波望遠鏡です。アンテナの直径を大きくすればするほど、より遠くの星や弱い電波を出している天体が観測でき、画像もさらに鮮明になります。しかし、単純に大きなアンテナをつくるには限界があります。ですから、野辺山の電波望遠鏡と世界中の電波望遠鏡を結びつけ、地球全体を一つの電波望遠鏡として観測していました。

──みんなで一つの動きをするということでしょうか。

平林 そうです。ある天体を観測しようとなったら、みんなその天体の方向を向くんです。

しかし、地上の電波望遠鏡だけでは足りなくなってきました。そこで、一台を地球の外に設置すれば、地球そのものより大きな望遠鏡ができるということで、宇宙科学研究所のロケットで「はるか」を打ち上げて観測しましょう、となったわけです。

「はるか」そのもののアンテナは8mの直径ですが、地上の電波望遠鏡と結ぶことによって、口径約3万km、地球だけの場合の約3倍の電波望遠鏡ができたのです。

電波天文衛星「はるか」
電波天文衛星「はるか」

──それは大きいですね。どれくらい遠くの天体まで観測できるんですか。

「はるか」で観測されたもっとも遠方のクェーサーの一つ。ケフェウス座にあり地球からの距離は136億光年。
「はるか」で観測されたもっとも遠方のクェーサーの一つ。ケフェウス座にあり地球からの距離は136億光年。

平林 最も遠いところで、136億光年の天体を観測しました。宇宙の果てが約150億光年といいますから、宇宙の約9割までを覗くことができるということになります。それまでも、点としての観測はできましたが、これくらい大きなもので見ますと、姿がはっきりと映像としてとらえられます。

分かりやすい例でいうと、この望遠鏡なら東京にある米粒をシドニーから見ることができるんです。

──それはすごい。そんなに離れたところから、正確な共同観測ができるんですね。


世界初の試み・電波天文衛星「はるか」

──そのような遠いものをとらえる場合、「はるか」も地球上の電波望遠鏡も、同時に同じものに焦点を合わせなくてはならないわけですね。宇宙空間を飛んでいる「はるか」を調整するのは、難しいんでしょうか。

平林 もちろんそうですが、実はどちらかというと、地上の電波望遠鏡の方が大変なんです。地球は自転していますから、固定すると目標からずれてしまうので、地球の回転とは逆の方向に同じ速度で動くようにしなくてはならない。その点、「はるか」は、自分で一旦目標を定めると、宇宙空間では止まったままなんです。

──自分で制御できるとは、すごい技術ですね。

平林 そうでしょう。「はるか」は先端技術の塊です。例えばアンテナに関していえば、直径は8mもの大きさですが、精度はたった0.5mmで、しかも頑丈なんです。このように薄く、強く均等につくるには、大変高度な技術が必要です。また、これが傘のように宇宙で開くのですが、その時ぱっときれいに張るようにしなくてはいけない。特に、宇宙には重力や湿度がないなど、地球とはまったく環境が違います。地球上では完璧でも宇宙空間でどうなるか…、その辺りを緻密に計算、調整し、つくったんです。

それから、太陽の光が当っている側面の温度は150度とか200度に上昇しますが、当っていない反対の面はマイナス100度くらいになり、約250−300度の温度差を衛星は受けることになります。衛星に搭載してある観測機器などのコンピュータがきちんと作動するように、もちろん地上から指令を出して温度調節しますが、「はるか」自身ある程度コントロールできるようになっているんですよ。

──いろいろな状況に対応できるよう設計してある、まさにハイテクの粋を凝らしたものですね。聞くところによると、「はるか」に使われている装置など、全て国産とのことですが。

平林 はい、全部日本製です。しかも何といっても「はるか」は、世界で初めての衛星を使った電波望遠鏡なんです。日本は今まで、宇宙に関することでは、2番、3番手が多かった。しかし、今回は本当に世界初です。

これには、面白いエピソードがあるんですよ。NASA(米航空宇宙局)の人達がやってきて、私達に「マリリン・モンローがボロを着ているみたいだ」といったんです。“マリリン・モンロー”とは、素晴らしい電波天文衛星「はるか」のことで、“ボロ”とは研究体制のこと。やっている仕事に比べて、体制があまりにも貧弱だと、半分皮肉が込められた言葉です(笑)。

──そういう環境の中で、世界初が生れたわけですから、非常にうれしいですね。


衛星打ち上げは、テスト打ち上げなしの一発勝負

──打ち上げるまで相当な年月を費やされたことでしょうね。

平林 本当に長い道のりでした。予算が付いたのが平成元年、打ち上げが平成9年でしたから、まる9年間かかりました。また、予算の付く前に揺籃期として約5、6年ありましたから、全部で15年近くですね。

この間いろいろ苦労しました。まず予算を通すために、いろんな分野の方のご理解を得たり、一緒にやってくれるメンバー集めに奔走しました。それとほぼ同時に、国際的な連携組織づくりも始めました。これはとても重要なことで、きちんとやっておかないと、打ち上げてから衛星が遊んでしまう恐れがあります。ですから、観測の仕方はどうするかとか、各天文台の装置も互換性のあるものに統一しなくてはいけないとか、世界中に関連するものですから時間がかかるんです。

一方、衛星の打ち上げが成功するか分からない、ましてや予算も通るか分からない。そんな中でやっていましたので、恐ろしいものがありました。

──「絶対成功させなくては」、という大きなプレッシャーを15年間抱えてのプロジェクト遂行は、精神的なご苦労もあったんでしょう。

平林 いろいろとありましたね。例えば、打ち上げの時もそうでした。「はるか」を乗せるロケットも新たに宇宙科学研究所が開発したものを使うこととなり、普通はテスト打ち上げをしてから本番を迎えるんですが、なんとテストなしの1号機に「はるか」を乗せて打ち上げたんです。

──随分大胆ですね。自信がおありだったのですか。

平林 いいえ、正直に言うと不安でした。予算があまりないので、テスト打ち上げもできるなら省きたいという事情もありましたし、とりあえず地球の周りをグルグル回ってくれれば、後で軌道を直すこともできたので踏み切りました。内心は不安でしたが、基本的に「やることをきちんとやれば大丈夫だ」って思っていましたからね。


2006年の打ち上げ目指し、2号機の計画も

──苦労のかいあって打ち上げに成功した時は、感慨もひとしおだったでしょう。

平林 そうですね。「はるか」が地球の周りを1周して戻ってきた時は、不思議な喜びがありました。軌道に乗っていれば必ず帰ってくるということが分かっていても、ドキドキしましたね。やっと回ってきて、電波が受信される。何かわが子が生れたような感じがしました(笑)。

また、初めて「はるか」と地上の電波望遠鏡とでつくった映像を見た時も、何ともいえないものがありました。コンピュータのブラウン管に映るんですが、紙にプリントアウトしたものと違って、本当の宇宙みたいに見えるんです。映像が浮かび上がってきた瞬間、アメリカ人の研究者と2人で握手するでもなく、ただ黙ってジーッと見入っていました。ちょうどお昼時だったので、「ご飯食べに行こうか」と食事しに行ったんですが、2人とも押し黙って食べていましたね(笑)。

──光景が目に浮かんできます。そのように苦労しながらも研究に打ち込むことができる、原動力は何でしょうか。

平林 新しい謎を発見することですね。それが私を研究へ引っ張っていってくれるんです。例えば、私達生き物というのは、進化のチェーンでつながっています。親から子へチェーンがつながって、未来へ続いていきます。これは科学にもいえることで、謎が見つかってそれを解くと、そこから違う謎が出てくる。それが牽引力となって新しい謎が生れるんです。

──確かに、人間が生きていく中で一つのエネルギーかもしれませんね。では「はるか」の次は、何をなさるんですか。

平林 ぜひ2号機を打ち上げたいと思っています。「はるか」でもっともっといろんな実験をやって、その結果から生れた謎を乗せて宇宙に飛ばしたいですね。もう世界の仲間と動き出しており、2年後までに計画を練り上げて、提案したいと思っています。ちょうど私が宇宙科学研究所を定年になる頃、だいたい2006年が打ち上げの時期になるかなと考えています。

──ぜひ、2号機の打ち上げ計画が順調に進み成功されることを期待しております。また新たな謎を発見してください。

いろいろ楽しいお話ありがとうございました。



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