こだわりアカデミー

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本対談記事は、アットホーム(株)が全国の加盟不動産会社に向け発行している機関紙「at home time」に毎号掲載の同名コーナーの中から抜粋して公開しています。宇宙科学から遺伝子学、生物学、哲学、心理学、歴史学、文学、果ては環境問題 etc.まで、さまざまな学術分野の第一人者が語る最先端トピックや研究裏話あれこれ・・・。お忙しい毎日とは思いますが、たまにはお仕事・勉学を離れ、この「こだわりアカデミー」にお立ち寄り下さい。インタビュアーはアットホーム社長・松村文衞。1990年から毎月1回のペースでインタビューを続けています。
聞き手:アットホーム株式会社 代表取締役 松村文衞
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胃がんの発症のほとんどは 「ピロリ菌」が原因なんです。

胃がんを引き起こすピロリ菌の生態と対処法

東京大学大学院医学系研究科・医学部 病因・病理学専攻 微生物学講座教授

畠山 昌則 氏

はたけやま まさのり

畠山 昌則

1956年北海道生まれ。81年北海道大学医学部卒業後、同大学第三内科研修医を勤め、82年同大学大学院医学研究科博士課程内科系に進学。85年大阪大学細胞工学センターに国内留学、91年米国マサチューセッツ工科大学ホワイトヘッド研究所に留学。95年帰国し、(財)癌研究会癌研究所ウイルス腫瘍部部長、99年北海道大学免疫科学研究所化学部門教授を兼任。2000年同大学遺伝子病制御研究所病態研究部門分子腫瘍分野教授。09年現職。ピロリ菌発がん研究の第一人者で、ピロリ菌と胃がんの関係について研究。日本を代表するがん学者、感染症学者、免疫学者が集結し、がんの総合的な研究を進める文部科学省科学研究費補助金新学術領域研究の代表を務める。

2012年8月号掲載


全人類の半分が「ピロリ菌」の保有者


──先生は、胃の中にいる細菌「ピロリ菌」による発がん研究の第一人者だと伺っております。
ピロリ菌というと、胃潰瘍や慢性胃炎など、胃の病気を引き起こす細菌だということは、一般的に認識されていると思うのですが、胃がんの発症にも密接に関係していることは、あまり知られていないようですね。

ピロリ菌<写真提供:畠山昌則氏>
ピロリ菌<写真提供:畠山昌則氏>

畠山 そうなんです。しかし、ある大規模な疫学調査によると、ピロリ菌に感染していない人は、100%胃がんにはならないという結果が出ています。遺伝性による例外はありますが、胃がんは、ほぼピロリ菌が原因なのです。

──そんなにはっきりとした数字が出ているとは驚きました。
がんの発症の原因は、ウイルスや化学物質、放射線などがよくいわれていますが、細菌も関係していたとは意外です。


畠山 発がんの原因となることが明らかにされている細菌は、今のところピロリ菌だけです。


──不思議な細菌ですね。
それにしても、ピロリ菌とは、そもそもどういった細菌なのか、改めて教えていただけますか。


畠山 正式名称は「ヘリコバクター・ピロリ菌」という、胃の中でも生きられる特殊な細菌で、全人類の半分が保有しているといわれています。日本人も人口の半分、約6000万人が感染しており、特に50歳代以上は、8〜9割が保有していると考えられています。


──年配者の感染率が高いのは、どうしてですか?

 



畠山 ピロリ菌は、免疫が完全でない5歳以下で感染するのですが、戦後の衛生環境の悪い時期には、汚染された飲み水から菌が感染したと考えられています。一方、上下水道などのインフラが整った現代では、保菌者である両親や祖父母から赤ちゃんに食べ物を咀嚼して与える行為も主な感染源になっていると考えられます。
一度感染してしまうと、除染しない限りは、一生保有することになります。

「ピロリ菌」ががんを引き起こす仕組みとは?

──私が若いころには、まったく聞かなかったピロリ菌ですが、近年になって騒がれるようになりましたよね。


畠山 実は、発見されたのはつい30年程前です。胃の中には強い酸があるので、生き物は生きられないと研究者が思い込んでいたため、発見が遅れたのです。


──ではなぜピロリ菌は、胃酸があるのに生きられるのですか?


畠山 アルカリ性であるアンモニアをつくる能力があるからです。アンモニアをバリアのようにして自分の周りを覆い、酸を中和することができるので、腸などにいる他の細菌と違って、胃酸の中でも生きられるのです。
さらにピロリ菌は、自分のすむ環境をより良くするために、胃酸をコントロールしようとします。


──どのようにしてコントロールするのですか?


畠山 胃の細胞を破壊する、いわゆる『間引き』をして、胃酸の量を少なくするのです。
ピロリ菌の体の表面には、ミクロの注射針があり、胃の細胞の表面にくっついて針を刺し、直接毒素を細胞の中へ注入します。人の体は通常、細胞内に異物が入ると、すぐに感知できるのですが、注入された毒素は、人のたんぱく質であることを装うため、細胞の中を自由に動けるようになります。

胃がんを引き起こすピロリ菌(緑)の体の表面からは多数の注射針が突き出ている。ピロリ菌はこのミクロの注射針を使って、CagAという発がん物質(タンパク質)を胃の細胞 (赤)の内部に注入する。<写真提供:Dr. Rainer Haas (ドイツ、Max von Pettenkofer研究所)>
胃がんを引き起こすピロリ菌(緑)の体の表面からは多数の注射針が突き出ている。ピロリ菌はこのミクロの注射針を使って、CagAという発がん物質(タンパク質)を胃の細胞 (赤)の内部に注入する<写真提供:Dr. Rainer Haas (ドイツ、Max von Pettenkofer研究所)>

──まるでスパイのようですね。


畠山 そうなんです。侵入に成功すると、次は細胞の増殖を制御する分子とくっついて、機能を狂わせて、がんにつながる異常な細胞の増殖を引き起こすのです。
通常、細胞がこのように異常な状態になると、人の体は「アポトーシス」というシステムが働き、細胞が自爆して体を守ろうとします。ピロリ菌にとっては、この自爆が、胃の細胞を間引きすることになり、結果的に胃酸の量を減らすことができるのです。

 



──なるほど。そうやってすみやすい環境にしているのですね。

 
ピロリ菌からCagAを打ち込まれた胃の細胞は異常な増殖に加えて運動性も高進し、著しく引き延ばされた形に変形する(青紫の細胞)。この形態変化はハチドリのくちばしに似るため、ハチドリ(hummingbird)細胞と呼ばれる<写真提供:畠山昌則氏>

畠山 はい。胃がんの発症は高齢になるほど増加するのですが、それは、年をとると体の機能が衰えて、自爆装置が機能しにくくなることがあるためです。そんな中、発がん物質である毒素を長年打ち込まれると、徐々に細胞が増殖し、がん化してしまうのです。
また、細胞の破壊が進むと、炎症が起こるのですが、炎症そのものが、がんの要因であることも分かってきました。詳しい仕組みはまだ研究中ですが、これから解明していきたいと思います。

日本は胃がん発症率世界1位


──ピロリ菌がそんなに怖い細菌だとは知りませんでした。


畠山 実はピロリ菌が持つがんを引き起こす毒素は、異なる地域に蔓延するピロリ菌ごとにその強さが違うのです。世界的にはがんを起こす力の弱いピロリ菌しかいない地域も存在します。


──日本人が保有するピロリ菌は悪性なんですか?

 



畠山 不運なことに、そうなんです。
特に東アジアに住む人々はがんを引き起こす力の強い毒素を産生する悪性のピロリ菌を保有していて、世界の胃がんの発症頻度のベスト3は、1位が日本、2位が韓国、3位が中国です。悪性のピロリ菌が蔓延している地域と、胃がんの発症頻度が一致していることは、ゲノムの解析によっても分かっています。

ピロリ菌 CagA遺伝子をゲノム内に組み込むことにより全身の細胞でCagAを発現するマウスは、胃がんに加えて小腸がんや血液がん(白血病)を発症する。この結果から、CagAの発がん活性が直接証明された<写真提供:畠山昌則氏>
ピロリ菌 CagA遺伝子をゲノム内に組み込むことにより全身の細胞でCagAを発現するマウスは、胃がんに加えて小腸がんや血液がん(白血病)を発症する。この結果から、CagAの発がん活性が直接証明された<写真提供:畠山昌則氏>

──なぜ東アジアでは、悪性のピロリ菌がはびこっているのですか?


畠山 人類の移動が始まった5万年くらい前から、人はピロリ菌と共生していたと思われます。移動の歴史の中で、きっとどこかの時点で突然変異が起こっていったのでしょうね。人類のルーツをたどることができる面白い細菌なんですよ。


──では、すでにピロリ菌に感染している人はどうすればいいのですか。今後はピロリ菌保有率の高い、中高年の高齢化が進みますから、それに伴って胃がんの患者数も増えていきますよね。対処法はあるのですか?


畠山 確かに、現在も毎年約5万人が胃がんで亡くなっていますが、今後はさらに増えることが予想されています。
ただ、ピロリ菌は、抗生物質によって簡単に殺すことができ、感染者の95%は除染することが可能です。


──ピロリ菌感染によって胃がんが引き起こされるのであれば、裏を返せば、胃の中から駆除すれば、発症は防げるわけですよね。

研究室のメンバー<写真提供:畠山昌則氏>
研究室のメンバー<写真提供:畠山昌則氏>

畠山 その通りです。積極的に検査や除染など対策を行って、胃がんの発症を予防することが大切です。
また、今後はピロリ菌の持つ発がん物質によって、細胞ががん化しないように、分子レベルでの対策が求められてきます。実際にマウスを用いて、ピロリ菌発がん毒素の働きを抑える薬の開発を現在進めています。こうした地道な研究ががん治療に直結すると期待しています。また、今後もピロリ菌と胃がんの研究を続けていき、他のがんの発症メカニズムの解明などにも生かしていきたいと思います。


──ぜひ期待しております。本日はありがとうございました。



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