こだわりアカデミー
すべての生命とともに進化してきたウィルス。 その正体は、人類の敵でもあり、味方でもあるんです。
インフルエンザウイルスの恐怖
生物資源利用研究所所長
根路銘 国昭 氏
ねろめ くにあき
ねろめ くにあき 1939年、沖縄県生れ。65年、北海道大学獣医学部卒業、66年、国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)入所。78年に日本を襲ったスペイン風邪ウイルスのルーツの解明、人工膜ワクチンの開発、カイコを使ったワクチン大量生産法の確立など、業績多数。同研究所呼吸器系ウイルス研究室室長、WHOインフルエンザ呼吸器ウイルス協力センター長などを経て、2001年より現職。著書に『ウイルスで読み解く「人類史」』(1995年、徳間書店)、『インフルエンザ大流行の謎』(01年、日本放送出版協会)、『出番を待つ怪物ウイルス 彼らはすぐ隣りにいる』(04年、光文社)など多数。
2004年5月号掲載
風邪とインフルエンザを混同している日本
──今年に入って、鳥インフルエンザが日本中を騒がせました。先生は、国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)呼吸器系ウイルス研究室室長、WHOインフルエンザ呼吸器ウイルス協力センター長を歴任されるなど、インフルエンザ研究の第一人者としてご活躍していらっしゃいます。
今日は、インフルエンザについて、いろいろとお話をお伺いしたいと思いますが、そもそもインフルエンザとは何なのでしょうか?風邪のひどいものをインフルエンザだと思っている人も多いようですが、明確な区分けはあるのですか?
根路銘 アメリカやヨーロッパでは風邪を「コールド」、インフルエンザを「フルー」と呼んではっきりと区別しています。先進国の中では、日本だけが風邪とインフルエンザを混同している状態です。
──しかし、どちらもウイルスが原因だと聞いていますが?
根路銘 確かにその通りですが、ウイルスの種類や数、症状は大きく違います。
風邪の原因となるウイルスは100種類以上もありますが、症状はくしゃみや鼻水、軽い熱が出る程度で、1週間もあれば治ります。それに対してインフルエンザウイルスは、A型、B型、C型のわずか3種類しかありません。ひどい悪寒の後、急激に発熱し、平均39・3度、高い人では41度にもなります。関節痛、倦怠感、せき、くしゃみを伴い、体の弱いお年寄りや子どもの場合、死に至るケースもあります。
▲赤血球に取り付く無数のインフルエンザウィルス(写真提供:根路銘国昭氏) ▲細胞に侵入したインフルエンザウィルス(写真提供:根路銘国昭氏) |
──A型とB型は伝播力が強く被害も大きいとか…?
根路銘 ええ。ウイルスはひとたび体内に入ると24時間で爆発的に増え、空気感染も起こします。
──かつて大流行を巻き起こしたインフルエンザとしては、スペイン風邪やアジア風邪が有名ですが、これも相当な被害が出たそうですね。
根路銘 特に1918年のスペイン風邪では、世界で4000万人以上の人が亡くなりました。日本では約2300万人が感染、38万9000人の人が亡くなっています。当時の日本の人口は約5700万人ですから、3分の1以上の人が感染したことになります。
相撲に例えれば、風邪は幕下、インフルエンザは横綱くらいの違いがあります。
インフルエンザウィルスのふるさとは野生動物
──それにしても、インフルエンザは現れては消え、消えては現れ…と流行を繰り返しています。このウイルスは一体どこから来るのでしょうか?
根路銘 実は、インフルエンザウイルスは、もともと野生動物にいるものです。それが人間に乗り移ってくるのです。人間には免疫がないので、新型のウイルスに感染すると、最初は大流行を起こしますが、免疫ができるといったんおさまる。一見ウイルスが消えたように見えますが、実はどこかに潜んでいて、遺伝子変化を起こしているのです。そして、免疫が効かないようなウイルスに姿を変え、また大流行を引き起こすのです。
──今回の鳥インフルエンザも、「自然界から人間界へ」という動きの現れなんですか?
▲H5NI型鳥インフルエンザウィルス(写真提供:根路銘国昭氏) |
根路銘 そうです。
そもそも今回の鳥インフルエンザは、「H5N1型」というウイルスで、これはカモなら当り前のように持っているものです。それが糞などに混じって外に出て、ニワトリに感染したと考えられます。カモの中では上手く共生しているウイルスが、抵抗力が弱いニワトリに移ると威力を発揮し、重い症状を引き起こすのです。
鳥インフルエンザは本当に人間に感染するか?
──鳥インフルエンザの人間への感染力は、どのくらいなのでしょうか?
根路銘 実は、鳥インフルエンザウイルスと人間との相性は悪く、感染力は非常に弱いのです。アジアの途上国など、生きたトリを売買している市場では密度の高い接触や糞などを介して感染する可能性もありますが、一度に大量のウイルスに接触しない限り、ほとんどゼロに近い確率です。ですから、そういうところに近づかなければ大丈夫ですし、肉や卵を食べて感染することもまずありません。
──それを聞いて安心しました。
根路銘 ただ、怖いのは、鳥インフルエンザと既存の人間のインフルエンザウイルスが合体して新型のウイルスが生れることです。
──どこでそんなことが起こるのですか?
根路銘 ブタの体内です。ブタは、トリと人間のどちらのウイルスにも感染する動物で、同時に両方に感染すると、それらの遺伝子を掛け合せて人から人へ感染する新型インフルエンザを作り出すのです。
中国南部の山中に住む少数民族の村落では、今でも人間とブタが家の中で一緒に生活し、ブタは水鳥と水場を共有しています。インフルエンザの多くは、こうした場所から発生し、世界中に広まっていくのです。
感染の拡大を防ぐには正しい科学的対応を
──それでは、新型インフルエンザが発生した場合、感染の拡大を防ぐにはどう対処すればよいのでしょうか?
根路銘 それには4つのステップがあります。1. 感染源を特定して元を絶つこと、2. 感染者を隔離すること、3. ワクチンを作ること、4. 情報を公開してパニックを防ぐことです。
──今回の鳥インフルエンザでも、山口県では早期にニワトリを処分し、搬送禁止にするなどの対応が取られましたね。
根路銘 ええ。これは評価できる対応だったと思います。ただ、科学が発達した21世紀に、感染源の動物を殺せばよいというのは少し情けない。ワクチンや抗インフルエンザ薬など、もっと科学的な対応に力を入れる必要があると思います。
──そういった対応はもちろん世界でも日本でも進んでいるのでしょうね?
根路銘 そうだといいのですが、時として形式や立場にとらわれて科学的な意見が通らないこともあるんですよ。
──WHOのインフルエンザ呼吸器ウイルス協力センター設立の時も、そのようなご苦労があったと伺っていますが?
▲1998年、H5NI型鳥インフルエンザの発生を中国で調査するWHOミッション(前列右から2人目が根路銘氏) (写真提供:根路銘国昭氏) ▲同年、ジュネーブのWHO本部での会議を終えてくつろぐ専門家たち(左から2人目が根路銘氏)(写真提供:根路銘国昭氏) |
根路銘 このセンターは、アメリカ、イギリス、オーストラリアに続いて1993年にやっと日本にできたんです。世界のインフルエンザの大半はアジアで発生していて、日本はその調査研究の柱を担っていたのに、それまではただデータを提供するだけで会議にも参加させてもらえなかった。それではあまりにも悔しいので、WHOの担当官に直接掛け合って、センター設立を実現させたんです。
ガン細胞を破壊するウイルスを研究中
──現在は沖縄にある生物資源利用研究所の所長としてご活躍されていますが、こちらではどのようなご研究を?
根路銘 自然界の生物資源を使って、抗がん物質や健康促進物質、SARSウイルス、殺がんウイルスを研究しています。
──抗がん物質や健康促進物質の研究は自然環境の素晴らしい沖縄にぴったりだと思うのですが、殺がんウイルスとはドキっとする言葉ですね。どういうものなんですか?
根路銘 がん細胞だけに取り付いて、中枢部を破壊するウイルスです。
もともと38億年前に初めて地球上に誕生した生命は、ウイルスだったと考えられます。そのウイルスが複雑に絡み合ってさまざまな生物に進化し、ついに人間にたどり着いた。つまり、すべての生命体の原点はウイルスだったのです。
──今、これだけの種類の生命体がいるということは、ウイルスは非常に多様性があるということですね。
根路銘 その通りです。そう考えれば、特定のがん細胞だけに取り付くウイルスがあってもおかしくない。遺伝子の組み換えなど、現代の技術をもってすれば実現可能なんですよ。
──それは非常に興味がある研究です。成果を伺える日を楽しみにしています。
本日はありがとうございました。
『出番を待つ怪物ウイルス 彼らはすぐ隣りにいる』(光文社) |
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